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弟よ、幸せになれ

4つ離れた弟がいる。
今年、22歳になる。いつの間にか大人になったな。
でも弟の心は16歳のままだ。
16歳のあの日から進みたくても進めずにいる。


私は大学3年生。自称進学校に進み、地元の国立大学へ入学という親孝行コースを順調に進んだ。
大学でも成績がよく、給付型の奨学金ももらった。
学生団体の代表としてイベントを運営して、学生生活は順調だった。
学生団体の活動が終盤に差し掛かり、集大成となるイベント当日を迎えた。
私が頑張っていたことを知っていた母が見に来てくれて、よく頑張ったわねと褒めてくれた。

その日だ。私のイベントを見終えて高校へ弟を迎えに行くと、いつもと弟の様子が違ったらしい。母親の勘だ。
その日は特に何があったかも言わなかった。私はやっとこさイベントを終え、打ち上げをして帰ってきた。
いつもの家と何ら変わりはなかった。
でも次の日あたりから、少しずつ弟の様子が変わっていった。

弟は小学時代、いじめを受けていた。
中学では最初にいい成績を取りすぎてしまったことがプレッシャーになっていた。
そして高校受験に失敗した。
行きたくなかった私立の高校の特進コースへ進んだ。
弟にとって高校受験の不合格は大きな心の傷となっていた。
大学進学が当たり前な特進クラスは、当然毎日大量の課題がある。
授業も普通クラスに比べて1時間多い。
帰宅してご飯を食べればすぐに課題、授業の進度も早い。
高校生としての青春を楽しむ時間なんてないように見えた。
それでも必死に弟はしがみついていた。
弟は少し、学歴主義のようなところがある。
きっと高校受験に落ちたことがかなり影響を与えていると思う。
今度こそ上手くやるんだと自分にどんどんプレッシャーをかけていたと思う。
そんな缶詰生活の中でも、弟はみんなに優しかった。
〇〇はこんなところがある、多分家庭がこうだからだろうとか
〇〇最近ちょっと様子がおかしいんだよねとか
周りの人の様子によく気づいて、よく心配していた。
当然先生たちにプレッシャーもすごく、ストレスで生徒に当たり散らかす先生もいたようだ。
そうなると当然生徒たちもストレスがかかってくる。
特進コースにいる生徒の中には、親が医者や弁護士などの家庭も少なくない。親からの教育がストレスになっているような子もいた。
弟はある女の子の相談をよく受けていたようだ。
私も弟も昔から相談されやすいが、これがまた要注意なんだ。

あの日弟に何があったか、全貌は私も両親もよくわかっていない。
当時弟が少しずつ話してくれたが、話せば話すほど感情的になる。
でもわかっていることもある。
弟はクラスの仲間を守るために、先生に意見を言ったということだ。
その日、テストの返却があった。
その科目は全体的に生徒の点数が悪く、先生も毎回怒鳴っていたようだ。
その日も同様に、教室中に声を張り巡らせ罵声を浴びせていたという。
泣き出す女の子たちもいたと弟は言っていた。
そんな状況に耐えられず、弟は声をあげた。
だがその後、先生は衝撃の行動をとった。
弟の意見に賛成かどうかをクラス全員に聞いた。
正直、そんな圧力下で先生に逆らうなんて、まだ10代の子達にできるだろうか。
考えることさえできないかもしれないのに、声をあげた一人に賛同して先生に意見することがどうしてできるだろうか。
周りの友人たちはただ俯いて黙っていたそうだ。
弟からしたら相当なショックだ。
あんなに先生に罵倒され、先生がいない時に愚痴を言っていた仲間が、いざという時に自分の味方になってくれなかった。
弟にとってはそれが地獄の始まりだった。

その日から弟は日に日に学校へ行けなくなった。
最初は遅れて登校したり、保健室登校にしていたが、学校へ行かなければいけないということそのものが弟にとって大きなストレスで、彼はLINEも全て消し、友人たちとの連絡手段を断ち、退学した。高校2年生だった。

「なんで俺が…!!!」
「なんであいつらは見てみぬふりをするんだ…!」
そんなことをよく言っていた。
その表情は怒りに満ちていた。家族の私でさえ少し怖いくらいに。
弟が学校を休むようになっても、誰も連絡をしてこなかったらしい。
それも弟にとっては悲しくてたまらなかった。
自分はいつも休んだ人がいれば宿題を教えてあげたり、連絡事項を伝えたり気にかけているのに、どうしてこうも他人を思いやれない人が多いんだと。
そして久しぶりに登校できた日、一番気にかけて欲しかった子から
「来れてよかったね」と声をかけられたらしい。
正直、その言葉は嬉しくない。
少し一線を引かれているような、自分は関係ないと言われているような、そんな気持ちになる。
弟はそんな言葉が欲しかったんじゃない。
大丈夫?待ってるよ。
そう、気にかけて欲しかった。

退学してから弟は外へ出られなくなった。
離れて暮らす祖父母にも会えなくなった。
人を信用できなくなったと言っていた。
今の自分が何をきっかけに感情のコントロールができなくなるかわからないと。
弟はたまに荒れていた。
ものを投げたり、泣きじゃくったり、声を荒げたり。
心の叫びだった。
どこにもぶつけることができない怒りと悲しみと悔しさを、どうにかして表に出さないと壊れてしまいそうだった。
私たち家族はとことんぶつかった。
弟は本心ではないことも言ったりした。
それで傷ついたこともある。
そんな弟の態度に怒ったこともある。
でもわかっていた。
弟がそんなことを心から思っているわけじゃないということを。
父は男親として、全身で弟の心の叫びを受け止めていた。
時には体を張ることだってあった。
これで良いんだ、これで少しは発散できただろうと。
母と私は少し怯えることもあった。

だが次第に弟はつらつらと当時のことに関する話をするようになった。
人に期待しすぎると良いことはないとか、思っているより周りは自分のことをしか考えていないとか。
私も経験がある。
私も相談を親身に受けたのに、気づいたらいなくなっていて、感謝もされず、私が困った時には知らん顔されたこともあった。
「何でそんなに人に優しくできるの?」とよく言われたが、そんなの知らない。
それが当たり前だと思っているから、私にとって特別なことではなかった。
姉弟だもの似ている。
自分がしたことを相手も同じようにできるとは限らないこと、世の中には優しさに漬け込むような利用するような人もたくさんいるということ、みんな自分が可愛いんだということ。
弟は周りも少し早くそれを学ぶことになったのかもしれない。


「報告があるの。今日ね、〇〇(弟の名前)歯医者さんに行ったのよ。」
母からの連絡に私はつい、え〜!!!!と大声を出してしまった。
歯医者さんだけでなくラーメンも食べにいったと。
そう話す母が嬉しそうで、私は電話越しに泣いてしまった。
最近の弟は穏やかだった。
荒れていたのは本当に最初の一時期だけで、その後はずっと葛藤の時間を過ごしていた。
一度歩みが止まってしまうと、再開の一歩を踏み出すのは容易ではない。
しかも止まっている時間が長くなれば長くなるほど次の一歩は大きくなる。
何かきっかけがあれば、きっと踏み出せると父はずっと弟を信じていた。
歯の痛みが強くなったことがきっかけで弟は数年ぶりに病院へ行ったんだ。
きっと弟もきっかけを見計らっていたと思う。
最近は桜を見に行ったり、買い物に行ったりしているようだ。
でも動き始めたら始めたで、また新たな不安が出てくるものだ。
高校の卒業認定をどうするか、大学はどうするか心配しているようだ。

焦らなくていい。
まずは一歩歩出した自分を盛大に褒めたらいい。
これだけの長い時間苦しかったよね。
たくさん悩んで、泣いて、ぶつかってきた。
これを一つ一つ乗り越えてきたあなたは強いんだから。
痛みを知っているからこそ、人に優しくできる。
誰かを助けることだってできる。
あなたの痛みを誰かの祝福に変える時もいつかくる。
あなたは幸せになるべきなんだから。
あなたみたいな人が幸せにならなかったら神様の目は節穴だ。
人生、いつからだって始められる。
おじいちゃんになってから大学に入る人だっている。
いろんな人生がある。
正解も不正解もない。
自分で自分なりの正解を作っていけば良いんだから。
私だって25歳にして悩んで葛藤して、人生迷ってるよ。
いいんだ綺麗に歩かなくたって、走り続けなくたって。
何より、私たち家族は人のために立ち上がる愛情のあるあなたが誇りだ。
いつでも味方だ。だから胸張って、幸せになってくれ。

いま、あれ?と思っている人。
私も同じような状況を経験したことあるなとか、もしかして…と思った人。
少し、考えてみてほしいんです。
あの時自分に何ができたか、何をして何をしなかったか、今何ができるか。
それだけでいい。
同じように苦しんでなんて思っていません。
あなたの周りで、弟のように苦しむ人をもう出さないでほしい、それだけです。

人に優しくありたい。
きっと弟は、今もこれからもそうあり続けます。

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