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春と走る

通勤の途上、涼しい風が感じられる時がある。そんな時に「今日は走ったら気持ちいいだろうなぁ・・」と思うことがある。考えてみればたった7年前、2017年の東京マラソンに出て以来、走ること=苦しくて嫌なことから、走ること=気持ちいいことに変化してしまった。

「変化してしまった」と書いたのは、僕自身が驚いているからだ。

運動全般が苦手で、運動神経が悪い芸人さんたちがテレビで笑われているのを観ると、僕もそちら側の人間だなと、笑って観ていられなくなる。

技術もなければ理論も知らないし、まず興味がないこともあって、野球やサッカーもあまり詳しくない。以前の職場で、男性陣が野球を語ったり、サッカーを論じている輪には入れなかった。


毎日ではないけれど、昼休みに走る習慣が続いている。今の職場の立地に感謝しきりだ。昨冬、いつも走っていたコース上の橋の工事が始まって、普段走っていた歩道が通れなくなった。

渡らずに、橋の手前で折り返して戻ってくるコースに変更して、行っては戻っていた。新年度になって、橋が通れるかと思ったら、工事はまだまだ続いていた。

景色を変えるためにも、橋を渡ってぐるっと回りたくて、信号待ちをし、工事していない反対側の歩道を渡り、渡った先でまた信号待ちをして。

僅かな時間だけれど、速く走れないから、昼休みの残り時間が気になる。2分、到着が遅くなった。

ある時、数百メートル前を走っている人を観察していたら、工事している橋の手前で、土手下の道に降りて、橋をくぐっていった。

しばらくして彼は、橋の反対側の歩道を走っていた。信号を避けて、橋をくぐって反対側に出たのだ。たいてい、橋の近くには土手に通じる階段がある。それを使っていた。

そんな簡単なことにも気がつかず、信号待ちをしてヤキモキしていたなんて!と恥ずかしくなる。翌日から、橋の下をくぐり信号を避けるコースで走った。

走っていく、というのは途中で止まると、ちょっと辛くなる。休憩できていいかと思いきや、走り出す時の身体の重さや、息を整える時間が短い。

なんて偉そうに書いているが、つまりは時間がないから、とにかくちゃんと戻りたいだけなのだ。信号でヤキモキしたくないだけなのだ。

冬から春は、河川敷の土手の醍醐味が味わえる。実生みしょうと言って、風や水で流されたり、鳥などによって運ばれた植物の種が、その場で育って花を咲かせる。ハマダイコンの花が群生していると、それはもう花畑そのものだ。

さらに、場所によっては桜の木が植っていることがある。桜の木は、造園屋さんにはあまり喜ばれないものの、眺めたい人は大勢いる。近所に桜が咲いていたら嬉しいと感じる人は、かなり多いのではないだろうか。

走っていると、やることがないので周囲を眺めるしかない。目の疲れには遠くを見ることが効果的だし、モヤモヤはゼエゼエしていると消える(気がする)。

風が強いと、なぜこんな時に走っているのだろうと後悔に似た気持ちになるけれど、走り終えてホッとした時の感覚は、いつも嬉しい。


#走る #春 #河川敷

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