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月曜日の図書館35 手に手に武器を

親による読み聞かせがいつ終わったのか、はっきり覚えている。小学校1年生のときだ。
父親からトーマスの絵本を読んでもらっている途中、彼がうとうとし始めた。文字を読んでいるつもりらしいが、どんどん呂律が怪しくなる。しまいにはいきなり、怪獣が現れた、などと言い出す。どうやら自分の夢の話を混ぜてきているらしい。トーマスの話にゴジラが登場しないことくらい、さすがに知っている。
そのときわたしは悟った。このままこのおっさんに任せていたら、世界がめちゃめちゃになる。これからは、自分の力で物語を読み解くのだ。
こうしてわたしの読み聞かされ体験は幕を閉じた。トーマスはテレビで観ることにした。

毎日1回、お昼に返本タイムがある。カウンターに入っていない人全員で、棚に本を返すのだ。うちのフロアは分厚くて重い本が多い。毎日持ち続けている間に、手首からひじまでの部分だけ妙に鍛えられているらしく、平常時でも青筋がくっきり浮き出るようになってしまった。二の腕は出番がないのでぽよんぽよんしている。
前に市の偉いおじさんたちが見学に来たとき、1ヶ月分まとめて製本した新聞を実際に持ってもらったら、軽々持ち上げたあげく「お、おもい」とわざとらしいリアクションをするのでげんなりだった。それ持ってずっと廊下に立ってろと思った。

おじさんに力では勝てない。

返本しながら書庫に入れようと思って古い本を何冊か抜き、ブックトラックの下段に置いておいたら、そういうときに限ってどこからともなくやってきた誰かがまた棚に戻してしまう。その逆を自分がすることもある。漫画など読んでいると信頼している者同士が息を合わせて敵を倒す場面があるが、あんなことはとても図書館の仲間とはできない。受け取れと投げて寄こされた武器は、つかめないばかりか勢い余って自分の首を斬られてしまいそうである。

すぱん。

絵本を読んでいるとき、わたしは主人公と一心同体だ。つらいときは大好きなかえるが主人公の絵本を読む。かえるはおへそを押すと、口から変な雲を出す。おじさんがいじわるしようと近づいてきたときも、その技でやっつけてしまった。たまにおへそが汚れると、雲の出が悪くなる。
現実の世界で、わたしがおじさんに物理的に勝つことはないだろうけど、絵本の中ならどんな極悪おじさんも一網打尽だ。

学校が臨時休校になっていた月の「幻の給食メニュー」が送られてきた(1年分まとめて資料として製本している)。リストに載っている「まぜまぜごはん」を食べた者は、ひとりもいない。誰にもまぜてもらえないまぜまぜごはんが、成仏できずに宙をただよっている。

暗い廊下で本の仕分け作業をしているとき、西日がちょうど射しこみ、それを受けたK川さんが神聖な生き物のように光り輝いた。本人に告げると誰だって同じように輝くよ、と言った。
暗いトイレの鏡で自分と目が合う。うちの図書館のトイレの鏡は、映った人間を醜く見せることに定評があるが、今日のわたしは美醜を超えた顔をしている。何かのはずみで雲を吐きそうな顔をしている。

うとうとしていないときの父は、なかなかの読み手だった。決して感情をこめすぎず、淡々と読み進める。おかげでのびのびと絵本の世界に浸ることができた。
登場人物が歌う場面があっても、特にメロディをつけることなく、歌詞を棒読みした。ランパンパン。威勢よく行進するクロドリを見るたびに、今でも無表情のリズムが頭の中に鳴り響く。ランパンパン。ランパンパン。ランパンパンパンパン。
それは、どれだけ楽しそうに盛ったメロディより、わたしを勇気づける。

たいこの音が聞こえるよ。

MRTの仕組み、コンコルドの墜落原因、10年前の給食のメニュー。手渡す相手を決めない、いつ役に立つかわからない知識を、わたしたちはせっせとためこんでいる。同じ質問は二度と来ないかもしれない。次に来るのは100年後かもしれない。それでも、そのときに戦う人が丸腰にならないように、わたしたちは備える。まぜまぜごはんも浮かばれる日がきっとくる。
その武器は信頼し合える人だけが使えるのではない。誰でも、仲間じゃなくても、手にしていい武器。
そして当たっても首は斬れない。

あまりにもこんぐらがった質問を受けたT野さんが、神に試されている...!と十字を切った。


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