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ひっくり返す内臓が無い私 ┃ 映画「BLUE GIANT」感想

ジャズ経験者の彼に誘われこの映画を観に行くことになった時、何故かわからないけど全く乗り気になれなかった。

あらすじ
ジャスに魅了された宮本大は、河原でサックスを吹く毎日を送っていた。高校卒業を機に上京した宮本は、同級生・玉田と訪れたライブハウスでピアニストの沢辺に出会う。3人はジャズバンドを組み、ジャズクラブ“So Blue”への出演を目指していくが……
https://natalie.mu/eiga/film/188392


(ここからほんのりネタバレ有ります。)


「ひっくり返す内臓」が無い私

主人公のダイが、ピアニスト雪祈のソロに怒るシーン。
「ジャズのソロは内臓を全て出す」「ひっくり返すもんだ」と言っていた。雪祈のソロにはそれがない、と。その後雪祈は物語の中盤でその感覚が分かり、会場を沸かせるソロを奏でる。

ここでの「内臓」って何なのか?
映画を観終わって、一番最初に考えたことだった。

結局それは
「ジャズをやりたいと純粋に思う気持ち」
「自分が音楽にかける気持ち」
「自分が世界で一番上手いと思う気持ち」

かな、という答えに落ち着いた。

雪祈は最後の一つだけがどうしてもできなかったけど、それができた瞬間、ひっくり返せたのだと。そこで、ふと思った。

私にはこの一つも無い。

少し寒気がした。私は高校三年間箏曲部で、ソロパートも何回か弾いていた。大会にも何度か出場したことがあるくらいにはなんとかやっていた。

でも私には
「箏をやりたいと純粋に熱く思う気持ち」も無ければ
「箏にかける気持ち」も特に無い。だから
「自分が世界で一番上手いという気持ち」だって持ったことがなかった。

雪祈は内臓をひっくり返すことができないことに悩んでいたけど、私はそもそもその内臓が無い人間だった

ああ、だからこの映画を外野から、一線引いて眺めている感覚があったのか

そう思いながら、帰り道で「面白かった」と興奮気味の彼を見て、自分が乗り気じゃなかった理由がようやくわかった。

大学時代、ジャズ研でサックスを吹いていた彼。彼は多分、少なくとも私よりは、「内臓がある」人だ。ダイや雪祈の世界が理解できる人と観に行く自分が恥ずかしかったのだと。

映画終わり、マクドに入って感想を言い合おう、となったときも、「外野の私が感想なんか言って良いのだろうか」と 何か後ろめたさを感じながら席に座った。


音楽を始めるタイミング

彼と感想を言い合っていたときに出てきた話。

高校生でサックスを始めた主人公のダイ。多分ダイは、大学生でジャズに出会ったとしても、もっとその後でも、そこからジャズを始めていたと思う。そのタイミングに言い訳なんかしない

ここでも自分と比べてしまう。
箏曲は、上手な人は幼少期から始めている人が殆どで、なんかもう絶対越えられない壁みたいなものがある…と高校時代の私はずっと言い訳してた。今から追いつけるはずない。あの人たちは「違う人間」だからと。

ああ もう 映画を観ているときから感じていた後ろめたさ、恥ずかしさの正体はこれだ。

自分のタイミングに言い訳しているような私が、いっちょまえにこの映画に意見なんか言えない。言う資格がない。ただの外野のたわごとでしかない。勝手にしんどくなってしまった。



マクドを出る時、彼が私のことを羨ましい、と言った。なんで?
私はあなたのほうがよっぽど羨ましいよ と言った。

「(私)のオタ活みたいな、好きなものに熱中できるところが、ダイに近くて羨ましいな〜て思った。自分にはそれがないから」

私は彼の内臓がとても羨ましかった。後ろめたさを感じるほど。
でも、その彼が私に「好きなものに対する態度が羨ましい」と言った。


そんなもんなのか。


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