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春待つひと

これから本格的な冬が始まろうとしているのに、こんなタイトルなのは、チューリップの球根を植えたから。

うちでは昔から母が、冬にパンジーの苗を植え、その下にチューリップの球根を埋めていた。毎年咲いていたはずなのだが、なぜか昔は目に入らず、それが何年か前からか、春に家に立ち寄るときれいだなと思うようになった。


そのとき、童謡チューリップ歌詞

さいた さいた チューリップの花が
並んだ 並んだ 赤 白 黄色
どの花見ても きれいだな

が自然と心の底から湧き上がってきた。
日常の中の感動を、単純な言葉で、だけど明確に表現している、
歌詞の力ってすごいな、と思う。


母の話によると、
チューリップが咲いていると、家の前を通る新小学一年生たちがうれしそうに見ていることがあるという。その姿を眺めることも、楽しみの一つだそうだ。


春にきれいに咲くチューリップを覚えていたので、今年は自分で球根を買ってきて植えることにした。
作業をしながらふと思い出したのは、昔住んでいた北フランスの春だ。
長く、厳しい冬を終えたあとの春というのはその移り変わりが、温暖な地域よりドラマティックだ。

ある時突然、雲の合間から太陽が顔を出し、あちこちで花がいっせいに咲き始める。
公園や街路樹のさくらのような花はもちろん、通り、市庁舎の玄関、ちょっとした広場、家々の庭など、いたるところが花で埋め尽くされる。


曇天の続く、長く陰鬱な日々から一転、世界は急に色鮮やかになる。
その反転に心打たれると同時に、こうして春を思って冬の間準備してきた人がいることを思うと、何だか泣きそうになった。


同じ頃、一人北フランスにやってきたばかりの私はこんなことを言った。
「知り合いをつくるために、面白いイベントかなにかあれば参加したい」と。
するとそれを聞いた人はこう言った。
「友達を作りたかったら、自分から何かを企画しないと」
その人は現地に何年も住んでいる日本人で、これまでに友人たちとイベントでラーメンの出店をしたり、和菓子を一からつくってお茶会を催したことがあるそうだ。


企画するにも呼ぶ人がいないのだ、と思った私はいまいちピンときていなかったが、今ではその意味がよくわかる。
受け身でばかりいては、人生は面白くならないのだ。


そこから十年たった今、春待つひととして球根を植えている。
少しは自分の手で、何かをやる人になれているだろうか。

写真は北フランスで撮影したもの


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