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鷗外と漬物

森茉莉のエッセイによると、父・森鷗外は津和野(島根県)の藩医の家系、母方の祖父・荒木博臣は佐賀藩士の出で、どちらも武士らしく質素をよしとし、漬物にかつおぶしとしょうゆをかける食べ方を「漬物にはすでに塩の味がついているのにけしからん」と怒ったらしい。しかし二人とも、江戸っ子である博臣の妻とその娘(鷗外にとっては妻にあたる志け)から、この「けしからん」食べ方を勧められてからは、そのおいしさにやみつきになり、鷗外も「明舟(妻の実家)のお義母さんのところのやりかたはうまいなあ」と言いながら、食べていたという。

私はこれを読んでから、漬物をかつおぶしとしょうゆで食べるのが、いっそう好きになり、食べていると「明舟のおかあさんのやりかたはうまいなあ」という、鷗外の声がどこからともなく聞こえてくるようになった。



時は現代に進んで、フランス、ブルターニュでの話に移る。
この地方は酪農が盛んで、塩のきいた芳醇なバターが特産である。そのバターをたっぷり使った塩バターキャラメルや、クッキーのガレット・ブルトンなどのお菓子も名産だ。

ブルターニュの友人の家に招かれた時、家庭では日常的にこのおいしいバターを食べており、朝も昼も夜もバケットにバターを塗りながら「うまいうまい」といって食べ続けた。ブルターニュ出身の友人も当然異論はなく、地元がバターの名産地であることに満足し、食卓は終始喜びに満ちていた。

しかし、この時ちょうどドイツに帰省中だった彼女のパートナーは「塩バターが嫌」なのだそうだ。理由は「バターの味があるのだから、塩をいれるなんて贅沢だ」と考えているらしかった。「無塩が好き」ではなく「塩が無用と考える」と考える辺りがいかにも偏屈、というのが彼女の口ぶりから伝わってきた。

いつの時代にも、どこの国にも、似たようなことをいう人はいるものである。


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