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「しなないでね」と送り出されるドキュメンタリー


 自分だったら、拾うだろうか?
 百ページをこえたあたりだった。レースを撮影していたカメラマンが、登山道に落ちていた煙草の吸殻を見つめている。一瞬の躊躇。いつもならすぐに拾っていたという彼が迷ったのは、背負った荷物がいつにもまして重たかったからだ。
 アルピニストでもある彼は「こんなの拾いたくねえよ。吸わねえし……」とも思うが、腰を屈めた。あのとき拾わなかったことを後々後悔したくなかったからだ。先ほどまでカメラを向けていたレースの参加者が、規定よりも重たい荷物を背負っているのを知っていたこともあったにちがいない。
『激走! 日本アルプス大縦断 2018 終わりなき戦い』(齊藤倫雄&NHK取材班・集英社)
は、「しなないでね」と家族から送り出された総勢三十人の男たちが、野営しながら8日間にわたり、昼夜を問わず山岳を走りぬけていくレースを取材したドキュメンタリーだ。何度も何度も、この場面、自分だったらと考えながら読まずにはいられない。

 ふだんは、ぜったい手にとったりしない類い。だけど、読んだらめちゃくちゃ面白かったという本がある。この『激走! 日本アルプス大縦断』もそうだ。

 日本海側の富山湾から、太平洋側の駿河湾まで、アルプス山脈を走破する。レースに参加したのは予選を勝ち抜いた三十人の男たち。全行程すべて露営と聞いて、レンジャー部隊の訓練のようだと思った。そういうシンドイ話は、ああ、よみたくねぇーと思ってしまう。根がだらしない人間なんで、熱血ドラマはガンガン耳元で怒られてるように感じるので、避けたい。そもそも山登りとかにはまったく興味がない。

 というわけで、せっかくながら送られてきた本の表紙を目にしたとたんスルーしようと思ったのだが、「まあ、ちょっと目をとおしておくか」とパラパラ読みかけてしまったのは、編集者のお手紙が挟まっていたから。
 自信作らしい。なにより、その編集者は以前『黙殺』という、落選するのが見えているのになぜ選挙に出るのか不思議に思っていた「泡沫(著者は無頼系独立候補と呼ぶ)」を取材してきた(それも20年間)畠山理仁さんの本を世に出した編集者だった。ほかにも記憶にあるものでは、過去に闘病記のジャンルから外れたノンフィクション『ポンコツズイ 都立駒込病院 血液内科病棟の4年間』(矢作理絵)をつくったのも彼だった。
 だもので、合わないと思ったらリタイアするつもりで読み始めたら、なんだか面白い。レースは8日間なので、就寝前に一日ごとハラハラしながら最後まで読んでしまった。
 謎だったのは、どうしてこの人たちはこのレースに挑むのか。8日間山中を走り続けるという過酷さ。山岳地帯で高山病にかかったり、レースだけに睡眠時間を削ることもあり、誰もが一度はふらふらになって幻覚を見るという。
 しかも賞金、ゼロ。

 わたしはこの本ではじめてこういうレースがあるんだと知ったくらいだから、知る人ぞ知るで、とりわけ有名なレースというわけではない。そもそも登山するひとたちのココロがわたしにはまったく理解できない。

 シンドイ思いをして、なんで山に登るのか。このレースの参加者たちはさらに何倍、いや何十倍もキツイことに挑戦しようというのだから、わたしにしてみれば、もはやエイリアンの域だ。賞金があるとか、メロスのように友人との約束を守るために走らならならんというのでもない。
 レースを取材する者たちも、たびたび参加者たちに問いかける。
「なぜ、TJAR(レースの略称)をやるんですか」
「なんだろう、わからないっすよ」
 ほぼ誰もが同様な答えを返している。
 わからないけど、参加しないではいられない。なんなんだろう。

 NHKがドキュメンタリーとしてテレビ放映したそうだが、といってもBSらしい。テレビに映るということだけでは、参加の動機としてはレースの過酷さと釣り合わない。
 三十人の参加者全員の顔写真と年齢が目次の前に掲載されている。30代後半から40代前半が多い。50代も五人。最高齢は58歳だ。まさに命懸けだ。最初は、文中に登場する印象的なシーンや会話から、そのひとを探すということをしていた。一番最初は、外科医の鹿野(かの)颯太さん、28歳。1日目、一般の登山者で怪我人を見つけるとレース中にもかかわらず下山につきそう。当然のような動きに、参加者一覧を見た。このひとか、なるほど。そんなふうにして一人ひとりを覚えていった。

 マラソンなどとちがってレース中に取材に答えたりもしているし、レース後にこの本のために各人をインタビューしたもの(レース中に何を考えていたか)、撮影していた複数のカメラマンの視点も文中に挿入しているので、重層的な構成になっている(アングルが多面的ということでは小説っぽくもある)。書き手がひとりで全部を書ききるというのではなく、チーム的なつくりがちょっと異色なのも、編集者がそれを許したということでちょっと変わっている。
 何度か顔写真を見ていくうち、顔や名前を覚えていく。まずこのレースのことをまったく知らずに読みはじめ、「絶対王者」と呼ばれる存在がいて、参加者の誰もがマークするのが望月将悟さん、40歳。2002年以来、2年に1回開催される大会で、彼は4連覇。前回大会では2位に7時間半の大差で、5日を切る大会記録で優勝している。

 この本に書かれる昨年大会に、途中の山小屋などでの食事や飲料水の補給が公認されているにもかかわらず、あえて「無補給」を宣言、そのぶんの食料などプラスして18キロ近い荷物を背負いレースに臨んでいる。

 静岡市消防局に勤務し、山岳救助隊の副隊長とあって山岳を得意とはするもののロードではひたすら歩きとなり、先頭から引き離される。それでも後方からジリジリと順位をあげ、上位者にプレッシャーをかけていくのが「読み物」として面白い。ここでもさらに、なんで?となる。
 負荷さえなければ、悠々と5連覇は確実視されていた。それでは参加の意味はないということなのだろうが、あえてハンディをつけて参加する男を取材チームが追いかける。最後に逆転劇はあるのか。

 あるいは最年長の竹内さん。当初トップをゆく男澤さん。追いかける垣内さん。気にかかる選手が次々出てくるなかで、わたしが惹かれたのは、弁護士の近内(こんない)京太さん、40歳。企業法務とともに刑事事件や少年事件も手がける。印象的な場面で参加リストを見返す。少年事件を扱う弁護士が、こういうレースに何故に参加するのか。好奇心からマークするのだが、その人となりがわかってきはじめると、つい応援してしまう。面白い。
 
 しかし、ノンフィクションとして本書が卓抜しているのは、優勝を争う上位のスター選手でなく、テレビにはおそらく映らなかっただろう、下位の参加者を丁寧にピックアップしていることだ。たとえば、レース5日目。コースを逆走する岩崎勉さん、51歳。レース5回目の彼は、安全管理のため携帯が義務付けられているGPSを落とし、探すために道を戻っていた。
「見当はついているんですか」とたずねるカメラマンに、思い当たる場所を口にしながら坂道の道路脇に目を凝らす。見かねた土産物屋の女将さんが「ねぇ。あの車貸してやるでねぇ」と車の鍵を手渡そうとする。しかし彼は「お気持ちだけありがたく」お礼を言って歩き出す。

 ここで読者は驚かされる。なんと取材クルーたちは、岩崎さんがGPSを落としたというのを聞いた後、密かにロケ車を走らせ、落ちている場所を特定していた。しかし、伝えるのはルール違反となるのだろう。知らないフリをしながら、岩崎さんのあとを追う。
 あともう少しというところで、くるりとユーターンしてしまう。見当たらなければ失格となる。行きつ戻りつ。「ありました!」と声を発するまでに30分。捜索のために1時間近いロスをした。

 こっそり、教えてやることはできないのか。冷たいなぁ、テレビのひとは。誰も他には見ていない。教えてやれよ。そう思うとともにこのレースは人生そのもなんだなぁと思いもする。こうした場面、クルーは目にしているのだが、という場面が他でも見受けられる。取材者も、教えられないという立場にイラついていたりもする。

「やめたいと思わなかった?」
「1日100回くらい思いますよ」
「じゃあ、なんで?」
 37歳、初参加の片野さんに、カメラマンが問いかける。レース中にみんなから見てもらえていると思うと、「もうだめ」というのは先延ばしにしたいのだと答えている。
 これは、すこしわかる。レースに参加するなどわたしはまったく考えはしないけど、「やめたい」と根をあげる、その自分の背を押す感覚は理解できる。

 さらに後方。6日目の関門閉鎖時間(チェックポイントで、過ぎるとタイムアウトとなる)に、どう考えても間に合わないと思われる秋元恒郎さん、45歳がいる。初参加で山の中でコースを間違えたらしい。体力も限界に達していた。それでも前に進もうとする。
「どんなことを考えながら、ここまで歩いてきたんですか」
 とたずねる取材者に、
「時間がすごいあるんですね。これだけ山にいると。そんな中で自分のことも考えたし。家族のこととか仕事のこととか。でもいろいろ悩んでいても、やっぱり人間はちっぽけだなっていつも思うんです。何言われたって、たいしたことないじゃないかって。なんか自然はいいなって」

 秋元さんは、事前アンケートに「逃げてばかりの人生にケリをつけたい」と参加の動機を書いていたという。そのことをカメラマンに言われると、昔から嫌なことがあると部活をやめ、会社も転職してきた。「こんなに続いているのってないんですよね、妻以外」とこたえるのだ。
 いい場面だ。ポロッなのか、あえてなのか、妻以外というのがユーモラスでもある。
 ここで、取材者が、いまのスピードでは閉門には間に合わないだろうというと、「走っても無理ですよね」と言い、「でも、走ります最後」。そして、これでこの選手の取材は終わりだと取材クルーが「○」印をつけ、先行する選手を追いかける。

 だが、なんとこの後、秋元さんが猛スピードで閉門寸前に飛び込んでいく。そこであらためて秋元さんがインタビューに答えている。この台詞がじつにカッコいい。そうだよなぁ。これで俺の取材は○にされた、あのときカメラマンの背中を見て秋元さんも感じたのだ。言われはしなったが。撮影終了ですって。カッコ悪いなあと思った。答えながら、これでいいのか、ちがうだろうとおもった。だから頑張れた。

 わかりよくまとまるものではない、人間は。あんなふうに言って終わりにしたらカッコ悪いと思えばこそ、信じられない力が絞り出せる。これがノンフィクションだと膝をたたくととともに、なんで?の答えがすこしだけ、つかめた気がした。

 もう一つだけ、これもテレビには映らなかっただろう、ささいなシーンをあげておくと、山小屋で食事をとった際の料金を払い忘れていたことに気づいて、道を戻った選手がいる。54歳、レース2回目の岡田さん。かなり先に行ってからのことだ。戻りたくない。でも、ターンする。気づいてしまったから。彼にかぎらず、全員がどんな小さなズルも許そうとはしない。自身に対して。ひとが見ていようがいなかろうが。ふらふらなのに。そういう意味では、世相への警鐘を感じもする。ひたすら自力で何とかしようとする。ルールを遵守。カッコよさとはどういうものか。気づかされることの多いドキュメンタリーだ。

『ポンコツズイ』『黙殺』『激走!日本アルプス大縦断』。ノンフィクションだという以外に、医療、選挙、山岳レースとテーマはバラバラだが、なんとも人間くさい。出てくるひとの顔が見たくなるということでは共通している。本は編集者がつくるものだと、あらためて思いもした。

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