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食材を醸す技② 伝統食品の誕生 その2 (豆みそほか)

飛鳥~奈良時代の発酵調味料だった醤は、平安時代頃、みそへと進化した。この原料として、豆に加えて米や麦も使われたが、愛知では豆みそが主流となる。

延元2年(南北朝時代)、八丁(岡崎市)の大田弥治右衛門(現まるや八丁味噌の創業者)が豆みそづくりを開始した。室町時代になると豆みそは、三河武士の兵糧として重用されている。また、今川義元の家臣で永禄3年(室町後期)の桶狭間合戦に従軍した初代早川久右衛門は、今川家が敗れた後に岡崎の願照寺へと逃れ、ここでみそづくりを学んだと伝わる。その後、初代から数代後の久右衛門(現カクキューの創業者)は、正保2年(江戸前期)に八丁で生業として豆みそづくりを開始した。東海道岡崎宿の西端にあたる八丁の地で、大田家と早川家が販売する豆みそは、地元住民のみならず、街道を往来する旅客、さらには江戸町民にも食されたという。

まるや八丁味噌の味噌(岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト)

あるいは、宝飯郡出身の萩原宗平は元禄元年(江戸前期)、大野(知多市、常滑市)で豆みそ・たまりしょうゆの生産を開始し、同12年より名古屋や熱田へと送り出すようになった。荻原家は文化12年(江戸後期)に尾張藩御賄所御用達となり、江戸末期には江戸、大阪、京都等にも店を構えている。この間、豆みそづくりは知多の各地へと広がっており、小鈴谷(常滑市)の蔵元・盛田家も宝永5年(江戸中期)に生産を開始した。

江戸時代以来の製法により熟成中のみそ桶(写真は岡崎市のカクキュー八丁味噌)

ほかにもさまざまな醸造品が江戸時代の間に愛知から誕生している。

まずは、みりん。安永元年(江戸中期)、大浜(碧南市)の蔵元・第22世石川八郎右衛門(現九重味醂の創業者)は、甘口の高級酒として、みりんの生産を開始した。後に料理のうま味を引き出す調味料として普及し、鰻のたれやそばつゆなどにも使われるようになる。

続いては、酒かす酢。文化元年(江戸後期)、半田の中野又左衛門(現ミツカングループの創業者)は滞在先の江戸で人気だったファストフード・早ずし(握りずしのルーツ)に出会う。このとき、早ずしに使われていた米酢からうま味の強い酒かす酢への変更を思い立ち、半田に帰国後、酒かす酢の生産を開始した。

そして、白しょうゆ。新川(碧南市)の醸造家は金山寺みそをヒントに、江戸後期、小麦を主原料とする薄口調味料・白しょうゆの生産を開始したという。なお、山崎(名古屋市)の尾崎家によって文政11年(江戸後期)に考案され、西三河や知多に広がったとの説もある。 

これらは酒やみそと同様、江戸へと送られて町民たちの食生活を支えた。そして明治時代以降は全国に広く普及し、今日では日本を代表する味として海外でも知られる存在となっている。

酒かす酢「山吹」を詰めた樽を再現 (ミツカンミュージアム)

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