「貞観政要」の感想⑤一般庶民だからこそ言葉に気をつけよう。

ずは引用から

p500
言葉というものは、君子の枢軸というべきものなので、気安く人と話し合うべきではないだろう。

一般庶民でさえ、一言でも悪言を吐いたら、人はそれを覚えていて、その者の恥や禍につながる。

貞観政要 全訳注 より引用

この後は、一般庶民よりも君子の方が言葉の被害が大きい的に話が続くのだが

一般庶民も言葉には気をつけるべきである。

引用はしないが、この前には「君子の発言は民衆に与える影響が大きいから気をつけなければ」と言うと臣下が、「君子の発言は記録されるから、この先の人にまで影響を与える」と返すくだりがあった。

記録にも残らない時代の庶民さえ言葉に気をつけなければならないのならば、誰でも言葉を残すことができる時代を生きる我々も君子のように発言に気を遣わなければならない。

一国の支配者レベルではないと自分の言葉が残らない時代。
それと比較した時に、いかに自分が気軽に発信した言葉が残り続ける可能性が高い時代を生きているかということを思い知らされた。

言葉が残ること。
それはこんな場末のnoteや、誰も見ていないXであっても変わらないことなのだ。

かつての君子並みの慎重さが求められると思うと、よりネチケットに配慮したことを書き、余計なことは言わないべきだろう。


考え方によっては、中国古典がネットリテラシーにまで応用できるというのは興味深い。
やはり古典というのは、長い年月を生き残っただけある有益な「情報」なのだろう。

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