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#読書の秋2022:エドガー・A・ポーの『黒猫』は新解釈で読んだほうが面白い

はじめに(ネタバレ注意note)

エドガー・アラン・ポーの小説『黒猫』をご存じない方は、先に読んでおかれることをおすすめします。
また、読んだことがある方にも再読をおすすめします。主人公がどんな時に残虐な行為を起こすか?深堀すると面白さが増す作品です。

今回のnoteは、いつもに比べてすごく長文ですから、興味のある方だけ
このままお進みください。
秋の夜長を一緒に楽しみましょう。
では、はじまり、はじまり.…

エドガー・アラン・ポーの『黒猫』を再読した。
モントリオールの短大で出された課題図書。40代で感じたあの感覚は正しかったのか?それとも、ただの思い過ごしだったのかが知りたくなって。

一度も読んだことがない作品だった。誰かの評論を丸写ししてないか?課題提出後に講師陣からしっかりチェックされる時代でもある。疑われるのが嫌で、情報収集しないまま取り組んだ。頭の中がまっさらな状態で誰の影響も受けずに読んだことが、今となっては幸運だったことがわかる。

黒猫というタイトルがそもそも先入観を持ちやすい。導入部をさらっと読んでしまうと、最後まで誤解したままあっさり読み終わってしまう。
わざと印象操作しているポーは、かなりの皮肉屋だったのかもしれない。
彼がかけた罠に引っかからないよう、気をつけながら再読していく。

私がこれから書こうとしているきわめて奇怪な、またきわめて素朴そぼくな物語については、自分はそれを信じてもらえるとも思わないし、そう願いもしない。自分の感覚でさえが自分の経験したことを信じないような場合に、他人に信じてもらおうなどと期待するのは、ほんとに正気の沙汰さたとは言えないと思う。だが、私は正気を失っている訳ではなく、――また決して夢みているのでもない。しかしあす私は死ぬべき身だ。で、今日のうちに自分の魂の重荷をおろしておきたいのだ。私の第一の目的は、一連の単なる家庭の出来事を、はっきりと、簡潔に、注釈ぬきで、世の人々に示すことである。それらの出来事は、その結果として、私を恐れさせ――苦しめ――そして破滅させた。だが私はそれをくどくどと説明しようとは思わない。私にはそれはただもう恐怖だけを感じさせた。――多くの人々には恐ろしいというよりも怪奇バロックなものに見えるであろう。今後、あるいは、誰か知者があらわれてきて、私の幻想を単なる平凡なことにしてしまうかもしれぬ。――誰か私などよりももっと冷静な、もっと論理的な、もっとずっと興奮しやすくない知性人が、私が畏怖いふをもって述べる事がらのなかに、ごく自然な原因結果の普通の連続以上のものを認めないようになるであろう

青空文庫より(佐々木直次郎訳)


青空文庫の翻訳は”単なる家庭の出来事”としているけれど、原文は”誰でも知っている身近によくある話”という意味にも解釈できる。

このあと、主人公の紹介が続く。

子供のころから私はおとなしくて情けぶかい性質で知られていた。私の心の優しさは仲間たちにからかわれるくらいにきわだっていた。とりわけ動物が好きで、両親もさまざまな生きものを私の思いどおりに飼ってくれた。私はたいていそれらの生きものを相手にして時を過し、それらに食物をやったり、それらを愛撫あいぶしたりするときほど楽しいことはなかった。この特質は成長するとともにだんだん強くなり、大人になってからは自分の主な楽しみの源泉の一つとなったのであった。忠実な利口な犬をかわいがったことのある人には、そのような愉快さの性質や強さをわざわざ説明する必要はほとんどない。動物の非利己的な自己犠牲的な愛のなかには、単なる人間のさもしい友情や薄っぺらな信義をしばしばなめたことのある人の心をじかに打つなにものかがある。

青空文庫より(佐々木直次郎訳)

おとなしい子がからかいの対象になるのは、古今東西同じのようだ。からかう側は軽い気持ちでやっている。周りの大人でさえ、その程度なら子供の遊びの延長だと思いがちだ。だけど、からかわれた側は本当はどう感じているか?心に負った傷はどうしたらいいのか?
からかいいじめの境界線は今でもあやふやのままだ。

子供の頃に受けた心の傷が癒えてない若い男の短い生涯。いじめられた過去から立ち直れないまま大人になり、結婚し、アルコール依存症になり、飼っている動物を虐待。最後には妻も殺める…
ポーは、いじめ被害者の壮絶な人生を読者に突きつける。

「彼らの悲痛な魂の叫び声が聞こえるか?」

と、1843年から時を越えて真っ直ぐに問いかけてくる。


結局、黒猫に対する私の感想は今も変わらなかった。
カナダの高等教育でも『精神病質的な男の話』として教えられているこの短編は、怪奇話ではなくいじめ被害者の悲劇だ。
母国語が英語でない日本人の私が、今までの解釈とはまったく違う視点で読むことができたのはなぜか?

1991年に佐賀で起こった同窓会殺人未遂事件。

この事件を知らずに『黒猫』を読んでいたなら、サイコパス男の話として記憶し、またこうして読み直すこともなかっただろう。

小説をどう読むか?どう解釈するか?はひとりひとり違っていいと思っている。楽しみながら読むのが一番だから。ただ、『黒猫』に関しては、いじめ問題として新解釈するほうがポーの真意が感じられる。


経験を重ねたてきたからこそ、
違う解釈が浮かんできた。
教えられたことを鵜呑みにするのではなく、
まずは自分でとことん追究してみる。
大人になって学ぶことの醍醐味はそこにある。
学びはいつから始めても遅くない。
それだけは自信をもって断言できる。




#読書の秋2022
#黒猫

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