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いまこそ魅力ある授業と求められる教員の在り方

明日何が起きるかわからない。決めつけない。ほんとにそんな事態になってしまいました。知識基盤社会の中で、教師教育では、教師を学びの開発者として、社会的な時間の中に定位させることの重要性が指摘されてきましたが、いま、改めて学び続ける教師教育の創造性が求められているように感じています。

小学校では令和元年からはじまっている新しい学習指導要領。その中に「学習過程」という記載が取り上げられています。これまで、問題解決的な学習のプロセスのことを例示されてから、多くの方は、課題-考察-まとめの過程によって、課題とまとめを正対させる授業の構築するイメージしてきているように思います。

新しい学習指導要領では、主体的・対話的で深い学びを通して、思考力・判断力・表現力といった資質・能力を育成する旨が記載されています。学習過程の重要性も取り上げられていて、課題とまとめを正対させる授業構築が重要視されています。

ここで言われる「学習過程」は、問題解決学習の形に教材を再構築することではなく、私のイメージでは、探求の過程、つまり「どのように学ぶか」を創造することが教師に求められていると思います。教材の文脈を何度も読み込み、さまざまな事例に当てはめてみて、仮設を立て検証を繰り返す試みが求められていると。

魅力ある授業を実践しようと考えたら、当たり前のことだし、これまでも行っていることなのですが、オンライン授業を考えると、考えを立案する過程、探求する過程、「問い」を持つ過程におけるストーリーが具体的にならないと、授業がほんとに噛み合わない。ライブの感覚で、軌道修正がしづらい。

ノート指導、学習規律、板書計画が、学力向上の要と訴えてきたこれまでは、いったい何だったのだろう。私は、もうそういうことを言わないし、要とは思わないけれど、いまだに研修の重点項目としての取組を目にするとがっかりします。低学年におけるノート指導は重要ですが、高学年には発達を配慮し徐々に自由度をもたせるものでなければ、将来的に使えないわけで。ある程度の骨格になるものは必要だけど、改めて的外れだなあと思います。

課題とまとめの正対のみを意識し過ぎて教師と子どもの議論が噛み合わない授業構想への新しい発想の試みが本丸。リズムやテンポ、教師の語り、子どもたちをいじるなんていうのは論外で、文脈の中にある理論を精査し、言葉を洗練することが求められます。やればやるほど、この仕事、奥が深い。そして、ブラック。教材研究は、好きでやっているし、自分で選んだ仕事だから、辛いとか、忙しいとか思ったことはないけれど、新しい働き方も考えないと、学校に未来はないのは確かだと思う。

新しい学びに対するさまざまな本が出版されていますが、本質は、学び続けることです。教師も子どもも楽しく学び続ける人には勝てません。文脈の中の理論を何度も精査し、洗練させ、他の文脈にも当てはめようとする発想を大切にした教師と子どもの育成への新たな試みが求められています。ほめればいいとか、ICTを使えばいいとか、○○先生がいいとか、聞こえのいい言葉に惑わされないでほしい。

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