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年末だからって大掃除しなくてもいい

年末ですね。

年末って、どうしてこう、忙しいのでしょう。
あれもしなきゃ、これもしなきゃ。
Doについて、特に気持ちが急いてしまう。

今焦ったってしょうがないのに。
だったらもっと早くから、やっておけばよかったでしょ。
心のお母さんの声が聞こえる。

でも、例えば大掃除。
10月にやったって、12月まで何もしなければ汚れます。

要は、12月にやるから意味がある。
一年の締めくくりとして、心もキレイにするために、大掛かりな掃除をする。
節目をつけ、清らかに新しい年を迎えるために。
そんな理由で、大掃除は12月にやるのでしょう。

だけど、私、実はこういう「決まり事」に縛られるのは大っ嫌いな人間でして。
別に、12月を締めくくりにしなくても、5月でもいいじゃん。
5月のほうが、温かいから体も動くよ。
梅雨前に埃を払っておく、という意味でも、掃除にはうってつけ。
なんて考えてしまうわけです。

その延長で、お正月に親類縁者集まるしきたりも、いまいち肌に馴染みません。
遠方にお住まいで、その時だけしか皆集まらない、というのなら分かるのですが、私は1時間以内に行ける場所に実家があり、親兄弟は皆そこに。
それならお正月に拘る必要もなく、それどころか、年に1回、その日だけは集まろう、などと強調すればするほど、逆に他の日に会いにくくなるじゃないですか。>考え過ぎ?😅

合理性。


あらゆる面で、とても大切にしています。
もちろん、風習、文化、それらを否定するつもりは断じてないですし、守っていらっしゃる方を尊重はします。
が、私は私なりに自由に生きたい。
合理性は、私にとっての習慣、文化、あるいは信仰のようなものなのです。

様々な価値観が共存するこのご時世。
正直、色々な人がいると、それだけ調整は面倒な作業です。
意見の取りまとめは、難しくなります。
でも、そこで諦めてしまっては、多様性を否定するようなもの。
難しくとも、どこで妥協できるか、折り合いをつけるか、探って行ってこそ、全体の幸福感は増すのだと思います。

意見を言いましょう!
意見を聞きましょう!

「決まり事だから従え」
というパワハラめいた指示出しは、もはや過去の産物。
決まり事は、1から作っていくべきです。

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