画面のこちらと向こうのアンビバレントな愛欲と。
「写真を撮られるときは、カメラを最高の恋人と思って写ってください」
というのは、どこの新人モデルも最初に言われることだ。
大体そういうときに思い浮かべる相手って、今付き合ってる彼氏だったりするわけだけど、本当は
「めっちゃヤリたいけどヤっちゃったら今後の生活や仕事に支障がありそうな、だけどヤリたくて仕方がなくてどうにかなっちゃいそうなほどカッコイイ憧れの男の人」
を想像するほうが、もっとずっと良い写真が撮れることが多い。
その理由は単純なもので、どんなに芸能界で売れていなかったとしても、デビュー前の一般コミュニティでは当然にモテているし、彼氏を作ろうなんて思わなくても、向こうからいくらでも寄ってくる。
それゆえに飢えを知らない。異性への空腹を、渇望を知らない。
だからこそ、欲しくて欲しくてたまらない、だけど絶対に手の届かない絶対的な領域にいる男性を夢想することが好ましい。
理性で押さえつけた本能をカメラの前でだけ解放し、狂おしいほどの渇望をファインダーの奥に叩きつけるように、シャッターのリズムに身を任せ求愛のダンスを踊る。
高鳴った心音を聴かれてしまわないように、動かした足の奥から、水音が零れてしまわないように、皮膚だけを静謐に、アルカイックな微笑を込めて。
こうして出来上がった写真は、今の彼氏にとってはこの上なく残酷なものになる。
「ちゃんと付き合っていてちゃんと好き」
と
「狂おしく求め、愛し、望む」
その二つの想いの違い。
そんな風にされたことのない自分との、決して超えられることのない境界線の向こうを、不特定多数の公共物によってまざまざと見せつけられる。
それは、初々しい恋愛ごっこに興じていたデビュー前の少女が最初にしていたであろう
「日頃のわがままと好奇心を満たしてくれているご愛顧と感謝を込めてセックス」
では決して見せることのない熱望と、それは絶対に自分の手に届かない場所にあるという事実。
超えられない壁の絶望にある彼と、超えたら全てを失う彼、彼ら相反する存在の男たちの壁の中に囲まれた彼女は、その情欲の渦を呑めば呑むほどに色気を増していくのだ。
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