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泥中の蓮を授ける【ショートショート】

新宿歌舞伎町にて

翼は、歌舞伎町の街を歩いていた。美しい瞼、出で立ち。誰もが振り向くけれど、翼は生きていない。死んでもいない。生きることも、死ぬことも希まず、ただこの街を歩いて、泥の中に沈んでいく。暗く黒く塗り潰されても決して奪われず、翼は美しく、人を優しく想い・・・気遣いながら、生きたり死んだりを繰り返し、またこの街を歩く。・・・どうして歩くのかもわからずに。頭を垂れたまま歩く。ふと空を見上げると、狭い街の空にカラスが一羽飛んでいる。
「大きいな・・・。」
翼は思った。すると、そのカラスが一声鳴き、翼の元へ舞い降りてくる。
「やっば・・・。」
翼は逃げる。カラスが追う。大きな翼がバタバタと音を立てる。
「待って!・・・待ってって、俺は何もしてないよ!」
それでもしつこく追ってくるカラス。翼は朝のタクシーに飛び乗った。

漆黒のカラスは、黒いタクシーの上を3回周り、大空へと西へ舞い上がる。
(・・・八咫烏?その翼で俺を導くか?・・・何処へ・・・?)
「運転手さん、あのカラス追ってください!」
「カラス?見えないよ!ナビしてくれる?」
「はい!」

タクシーは西に向かって走り出した。

やがてカラスは緑の公園に降りていく。
「すみません、ここで。」
翼がタクシーを止める。運転手が眉をひそめた。
「お客さん・・・この位の距離、歩いてもらわないと困るよ・・・。」
「すみません、カラスが・・・お釣り要りません。」
「カラス?」
不審そうな顔をした運転手に千円札を2枚手渡す。すると、不機嫌そうにドアを開ける。
「何か黒いのついってっけど、汚してかないでくれな・・・。」
「え・・・。」
「肩。」
翼が肩に手をやると1枚、黒い羽がついていた。・・・翼は何故かそれを棄てることができなかった。

社にて

鳥居をくぐりぬける。緑々とした葉が茂るその社。茅の輪が・・・。
ああ、夏越大祓の日だ・・・。
(今年も来たか・・・この日が。もう二度とくることはないと思っていたのに・・・。)
昨年の今日、幸せを手にすることは難しいと知った。自分は幸せにはなれないと知り、幸せを求めることを罪と感じ、自分が酷く穢れたと思った。
1年経ってしまった。
もう罪穢れから逃れたかった。この日に。
・・・自分に一滴の罪も穢れもないと知らずに。

その時、その美しい瞳が見開かれる。目が、合った。
(やっぱりいた・・・大きい・・・。)

翼の瞳に映る八咫烏は、翼の瞳にしか映っていない。そうとも知らず、翼は瞳を合わせたまま後ずさる。
ドン!
何かに身体がぶつかった・・・と思ったその時、翼は酒に酔った様子の小柄な男に首を掴まれた。その威圧感に背筋が凍る。
「よぉ・・・オメエ、目ぇ何処につけていやがる?」
「すみません、カラスが・・・」
「カラス?ん?カラスなんていねえよ・・・舐めてんのか?」
「いや・・・」
≪ドン!≫
思いきり腹を蹴られ、翼の意識が薄れる。手に握り締めていた漆黒の羽が、ひらひらと目の前を舞い、その時、羽ばたいた八咫烏の3本の足で身体を掴まれて、どんどんと大空へと高度を上げ、翼の意識は完全に途切れた。

ない、ない、ない、

ない、ない、ない、いない。
ここにも、そこにも、どこにも。
俺は何処へ行った。俺を返してくれよ・・・。
ああ、あの何も始まっていない純粋なあの頃に、還してくれ・・・。
選べるなら産まれたくもない。還れるなら・・・。
汚れているんだ、穢れているんだ、心も身体も。
俺は俺が大嫌いなんだ・・・全てが嫌いだ。
生きるも死ぬも、生きないも死なないも、自由にさせてくれよ・・・。

何が「生きる」で、何が「死ぬ」なのか、「生きていること」が何で、「死んでいること」が何なのか。それすらわからず、罪穢れも汚れもない心身で、翼が求める救いはあるのか。

暗く黒い森にて

気が付くと、深い森を歩いていた。暗く黒い森の中を、翼は歩いている。
(ああ、さっきの八咫烏の導きか・・・。)
ようやく、生きる死ぬに決着をつけられる。きっと暗く黒い森の中で、身体は息絶える。あとは、あの八咫烏に、残った瞳と心を喰らってもらえば、俺は無になれる。そう、生きることも死ぬことも希んでいない。ただ、消えたかった。灯る炎が消えるように、無と化したかった。ああ、俺の罪も穢れも共に無に還る・・・。
(ああ、幸せだ・・・。)
幸せを手にすることは難しいと知った。自分は幸せにはなれないと知り、幸せを求めることを罪と感じた。でも無に還れるなら、きっとそれは幸せだと言える。生まれてから初めて見る夢、ようやく無に還る幸福が・・・。
(俺も幸せになれるんだ・・・。)

その時、爆音がした。可憐な爆音が・・・。
(また何かが邪魔をする・・・。何の音だ・・・。)
爆音がいくつもいくつも耳に響く。

瞳を開くと、暗く黒い森に薄日が差し込んでいる。遠くだ、まだまだ遠い。
踵を返した翼を、八咫烏が邪魔をする。
(シ・ヲ・エ・ラ・ブ・ジ・ユ・ウ・ヲ・ア・タ・エ・ル)
一声鳴いた八咫烏。翼には、確かにそう聞えた。ああ、そうか。あの薄日の中で無に還るんだ。俺を導いてくれるんだ・・・。
翼は歩むどころか、その「希み」に向かって駆け出した。
薄日が差し込んでいるのは、泥水の池だった。翼の瞳は哀しみを帯びる。
暗く黒く美しい森だと思った。ここで無に還る幸福を求めた。なのに、なのに、どうしてこんな泥水に光が差し込むのか?
(汚い、汚い、汚い・・・!やめてやめてもうやめて・・・)
頭を抱える。どこにもない、ない、ない、ない、生きること死ぬこと、生きないこと死なないこと、全てない・・・。無へ、無へ・・・。

音がする。爆音がする。可憐な爆音が。何の音だ?
抱えた頭を上げると、薄桃色の花が開く。蓮の花が奏でる美しい音だったのだ。泥水の中から、炎が灯るように・・・。

「綺麗だ・・・。」
泥水の中で咲く、蓮の花。一滴の罪穢れもない。葉の上を、キラキラと水滴が転がる。ああ、全ての罪穢れも、一緒に絡めて落としていくんだ・・・。

そうだ、翼は綺麗だ。その翼で羽ばたくんだ。無ではなく、雄大な大空へ。その名の通り、翼を広げて・・・。
その大空は、お前のものだ・・・!
きっとその心の片隅で、蓮が静かに咲いている・・・。
(イ・キ・ル・ジ・ユ・ウ・ヲ・サ・ズ・ケ・ル)

ああ、生きるって、生きるって!

夕闇の社にて

夕闇に社が沈む。ああ、確か腹を蹴られて・・・。
(あの八咫烏・・・。)
カラスが一羽飛び去る。大勢の群衆が空を見上げる。

生きたかった、生きて欲しかったんだ・・・。
幸福の無などない。
手のひらを見、指をたたみ、開く。ずっと感じていた。ここ暗く黒い森があると。だが、その手のひらには蓮の花が咲き誇っているではないか・・・。

俺は綺麗か?
罪穢れていないか?

考える。

汚いことにも手を染めた。
望まないことにも、目を瞑った。
そんな自分が嫌いで、何故こんなことになったのか自分を責めた。

希む幸せを

翼には、泥中の蓮が咲いている。
絶対にない、汚れることも、罪穢れることも。

そして必ず、希む幸せが翼を羽ばたかせる日が来る。
飛び立とう、遠くまで。

大空へ、翼を。きっと全て繋がっているから。
















































ごめんなさい。誰の幸せよりも貴方の幸せを希んだ1年間を過ごしました。どうか翼を切り落とさないで。本当に本当にごめんなさい。罪から逃れられない私を許して。本当に本当にごめんなさい。訪れる幸せを祝福する時が来ることを祈っています。

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