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北野武・首 雑感想|お前らはどう生きんの?な映画

北野武監督の最新作「首」を見てきました。
初めて鑑賞した北野映画かつ前情報なしで見に行きましたが、とても好きだったので感想をシェア。以下ネタバレ含みます。

まず、私が一番好きだったのは、四肢欠損の俳優さんや、遊女の中に女装男性役が自然にいたこと。話のネタにされるでも、笑いにされるでもなく、一見気づかないほど自然に存在していた。「首」で描かれていた群衆の姿は、今描きうる最大のダイバーシティーだと思いました。これまで大河ドラマをはじめとした、私が見てきた時代劇には、四肢欠損の俳優さんが出演しているところを見た記憶がありません。けれどもそもそも戦国時代は、一般庶民は総じて貧しく、戦争もあれば医療も未発達ですから、傷ついた人、弱った人はいたはず。そして障害のある人はいつの時代だって共に暮らしてきたはずです。けれども、現代ドラマとして取り上げられるのは、強者と勝者の歴史になりがちだったと思います。色々なバックグラウンドの群衆同士で、共に生きてきたはずなのに。そしてこれからも共に生きて、もっとお互いが暮らしやすくなっていくように思考しようという時代なのに。
「首」では、目立たせるでもなく、社会の構成員として自然に描かれていたのが非常に好きでした。

そして、なんといっても死体の数がたくさん映る。明智光秀を中心とした武将たちは、兵士は駒としか思っていませんし、遊びで人を斬り殺す。なんなら、自分の命さえ何とも思っていないように見えます。武将が興味あるのは「首」だけ。中村獅童さんの演じる農民は、家族を失ってまで武士として成り上がるために、しつこくしつこく敵の首を取ろうとします。
その首にしてみても、腐敗がすすめば誰のものかも判別できません。誰の首であるかも、もはや関係ないのです。あれほどの首の山の頂にある将軍とは何なのか。そのために生きる人とは何なのか。
人生すべてが遊びだと語り、死ぬ間際には、「やっと死ねる」と言い放った信長の闇は、諸行無常を生きる武士の極致。その断片は、戦争の絶えない現代に生きる私の中にも萌していると感じて、感情移入しました。
どうせ遊びなのだから、あるいは、どうせ遊び=無意味だとしても、何かを成し遂げたいという熱量のある映画。「この世は全部茶番だとして、で、お前らはどう生きんの?」と問われているように感じました。

また、カメラの位置が正対するカットが多かったのも印象的。舞台を見ているかのような作り込みは、終始好意的に捉えました。この点は他の北野作品も見てみたいと思います。


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