ぜんしゅの跫(澤村伊智)

澤村伊智は異形コレクションでちょくちょくみかけていて、面白いなーと思っていたのですが、「超怖い物件」収録の「笛を吹く家」でより気になる作家になりました。

因みにこの「超怖い物件」は良作揃いでおススメです。

「笛を吹く家」はミステリー要素も強く、どんでん返しで驚かされるのですが同時に彷彿とさせられたのがアリ・アスター「へレディタリー」
正に、家族は選べない。

しかしよくよく考えてみると、澤村伊智は「家族は選べない」ではなく「親は子を選べない」なのかもしれない。子は親を選べませんが、親もまた子を選べないのですよね。そして血の繋がった子だからといって、愛せるわけじゃない、関係が上手くいくわけではない。

「ぜんしゅの跫」は短編集ですが、最初の話「鏡」もまたそういう話です。

道化師にならねば、笑い者にならなければ、他者に優越感を与え踏みにじられる事を良しとせねば社会参加できない、そんな惨めな存在を悪びれもせず笑う自分を肯定できるのは、所詮他人事だから。そんな事実をあぶり出す話。

誰もが自分の子が誕生する時、「ずば抜けていなくても構わないから、せめて普通、人並であってほしい」と、そう願う訳です。
しかし親は子を選べない。あなたに恐れていた不運が襲い掛かる、そんな日が来るかもしれない…そんな恐怖を感じさせるであろう結末。

「わたしの町のレイコさん」はある町の都市伝説を調べるうちに明らかになった、驚きの事実。
その怪異の噂「レイコさん」は女装の男で、男性器が無い。そのレイコさんは遭遇した男性の性器を切断するという、そんな都市伝説。

これもまた怪異の正体にどんでん返しが。
てっきり男性器を切断された怨念かと思いきや、そうではなかった。男性器に対する妄執への怨念と言えるのかもしれない。
この怪異の正体には他の憶測もできると思います。本当に怜二の怨霊だったのか?と。杉本の妄執が形となって表れ、彼が死んだ後も延々他者に取り憑き生き続けているのではないか。

「鬼のうみたりければ」は、はっきりとさせず読者の想像に任せるタイプの結末ですが、モヤモヤとはしない。

全ては希代子だけが見た幻覚、幻だったのか?と思ったけれど、輝の映る写真がある以上それは無い。
しかし、その写真を確認した野崎くんが一体どんな反応をしたのか、読者には知らされていないんです。つまり、その写真には希代子が見ているものと全く別の光景が写っているという可能性もある。
全ては希代子の見た幻だったのか、それとも輝は本当に健太郎を乗っ取ってしまっていたのか…
あと、野崎くんて最終話の野崎と同一人物ですよね?きっと。

「赤い学生服の女子」は怪異の正体に、そう来たか!と。
血塗れの学生服の女の子と聞けば、何某かの事件に巻き込まれた不運な女子と想像しますが、怨恨絡みでも何でもなく、また人でもなかったという。

そして比嘉さんて、最終話「ぜんしゅの跫」に出てくる比嘉姉妹とは関係あるのだろうか?
でも比嘉さんは亡くなったって話だし、別もの?


最終話「ぜんしゅの跫」は霊能探偵みたいな事をしている比嘉姉妹の話ですが、そこに「鏡」で登場した主要人物が出てくる。
実は最初の話「鏡」には謎が残っているんです。最終話で明かされるのかな?と思ったのですが、そういう訳でもなかった。しかし「鏡」の主要人物、知沙の名は出てくる。

ひょっとして、これは「比嘉姉妹シリーズ」として繋がっているのでしょうか?他の作品の比嘉姉妹シリーズで明かされている謎なのかもしれません。







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