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言葉と身体ーー為末大 今井むつみ著『ことば、身体、学び』を読んで

 為末大 今井むつみ 著 扶桑社新書 2023年出版

 日本人のスポーツ選手で言葉が豊富な人って、あんまりいないような気がしてて、でも、為末さんは、珍しく、語る人だと思っていた。東浩紀さんのゲンロンにも呼ばれていたようで、この本も面白そうだと思ったので、図書館で借りてみた。

 為末さんと今井さんの対談形式で書かれていたが、どちらかというと、為末さんの発言の方が、言葉が面白かった。

 私が疑問に思うのは、身体を使う人がどういう風に、身体を動かすことを言葉にして表現するんだろう、ということである。例えば、アメリカのスポーツ関係者はカウンセラーとか栄養士とかコーチとかいろんな人がサポートしているのが当たり前で、実際最前線で試合に出場する選手をみんなで支えている。日本ってそういう人たちがあまり重視されてなくて、結局、根性だろ、とか、学校のクラブ活動みたいに暴力的な指導者が指導するから、記録が伸びる、という、すっげー古臭い世界から、日本は抜け出せていない。なんなんだろ、こういう世界。日本はくそだと思う。

 そこで、私は、為末さんみたいな言葉を発するスポーツ選手に注目しているのだが、この本は、そんな彼から絞り出される言葉を感じることができる本では、ある。その割には今井さんのコメントがいまいち納得できなかった。

 例えば、為末さんが「熱いフライパンの上を走るぞ」と選手に言うと、すごく動きが良くなるそうだ。それは、個人的な体験というよりも人間が身体を動かすうえで、イメージしやすい言葉なんだろうと思う。そういう言葉がスポーツの世界ではあるように私はこの本を読んでて感じた。

 「メンタルモデル」つまり、それは、表象で、状況を心の中で組み立てたイメージ、状況を適切に抽象化してイメージできるということ、だそうだが、スポーツの世界では、このメンタルモデルというものが必要とされているんだろうか。「文章を読んでわかる、理解するということは、結局このメンタルモデルをつくるということで、それができない子どもが非常に多いのだと思います。」ということが書かれていたが、スポーツの世界では、言葉からどう身体を動かすか、というイメージの問題であって、子どもはメンタルモデルという概念を持っていないんじゃないかと思う。その身体をどうやって動かすという問題は、決して抽象的なイメージではないと私は思う。表象かどうかは疑問だが、自分の身体を動かすということは、「抽象化してイメージする」ということではない。

 また、「接地」という言葉も気になった。英語で、グラウンディング、記号設置問題というらしい。「あることばについて、その概念が身体に接地しているというのは、例えば算数で使われる言葉であれば、分数、少数、関数などについて、具体的に生活経験に根ざした例を自分ですぐイメージできるということです。」p. 61と書かれていたが、この言葉がなんかのヒントになるんだろうか。もうちょっとスポーツを実際やってる人にその意見を聴きたい。

 結局、私が思ったことは、もっとスポーツをやってる人が実演だけでなく、積極的に、「伝える」ということを他人にするべきなんだと思う。体の動かし方は自分だけでは分からなくて、相手からの言葉がないと分からない。言葉だけではないんだが、それが、どういう言葉で言うのか私には分からない。

 まあ、一緒に運動しようよ、という話なのかもね。


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