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「死は存在しない -最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著 を読んでみた (1)

noteのいいところの一つは、日頃、自分では見つけ出せないような本が、様々な年代のnoterさん達によって沢山紹介されていて、その中から読んでみたいと思える本が何冊も見つかることだ。
自分の好みだけで選んでいると分野も偏ってしまい、こうはいかない。

私は、死んだらどうなるのか、という事について若い頃も考えてはいたが、最近はより切実に考えるようになった。
"自分だ"と思っている"意識" や、"魂" と呼ばれるものは、肉体がなくなったらどうなるのか。
そんな私の疑問の斜め上をゆくような、「死は存在しない」というタイトルからしてインパクトのある本書は、科学的視点から "死後の世界" を検証している点が目を引き、読んでみようと思った。
このような選択も、後述する、"科学的な根拠のあるものをより信憑性があると感じてしまう現代人"の中の、自分もその一人、ということの現れだけれど…。

本書は、日頃聞き慣れない単語も多いため、あとで要点を自分の中で整理するためにも、メモを取りながら読み進めた。
この記事は、読書感想文というよりも、自分のための読書メモを兼ねている。

今回は長い記事です。3,752文字あります。
お時間のある時に、お読みいただけたらと思います。


「死」を語る三つの視点と相反

これまで世の中では「宗教」「科学」「医学」という視点から「死」を論じてきた。
これまでの「科学」は「死後の世界」を否定し、「死後の世界」を肯定する「宗教」とは決して交わることはなかった。
「医学」は「臨死体験」「死後の世界」の可能性は認めるが、なぜそうした「不思議な体験」が起こるのかを科学的に説明できていない。

人は大きく三つの立場に分かれる。
1. 死後の世界の科学的否定
2. 死後の世界の宗教的的肯定
3. 死後の世界の半信半疑(中間的立場)

宗教が語る「死後の世界」についてどこかにその存在を信じたいと思いながらも、科学はそれを否定していることから、なかなか「死後の世界」の存在を積極的に信じることができない。
こうした矛盾が起こる背景には、「科学」というものが、我々の意識に大きな影響を持つ存在となり、現代における「最大の宗教」になっているという状況がある。
現代人の多くは、3. の立場に立つ人が多いだろうと、本書では始めに述べている。

私もこれまでは、死んだら全てが無になり、目の前に幕が下りたように何処までも果てしなく真っ暗な闇がただ続いてゆくだけだと考えてきた。しかしそれでも、「死後の世界」があるとするならば、信じたい、という気持ちも少なからず持ってきた。

あらかじめ断っておくが、本書は宗教を否定しているわけではなく、むしろ宗教と科学の架け橋となり、融合を試みることを望んでいる。

現代の科学が直面する限界

筆者は科学とて万能ではない、という観点から、現代の科学では説明のできない"謎"についても、幾つもの例を挙げながら全体の半分くらいのページを割いてじっくりと説明している。

ミクロの世界では「物質」が消えてしまう

「物質」とは見ることも触ることもできる目の前に明確に「存在」し「質量」や「重力」を持ち、「位置」も明確に分かるものであるが、原子よりも小さな「素粒子」のレベルで観察すると、日常感覚で捉える「物質」という存在は「消えて」いく。
「物質」は究極、「エネルギーの固まり」に他ならない。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著

現代の最先端科学では、この世界の本質は「物質」ではなく、「波動」「エネルギー」であることが明確に示されている。

だそうです!?驚きました…よね?
でもよく、人々のエネルギーが充満している、とか、感情が波のように伝播する、というような事を言ったりしますよね。人間も何かしらの波動やエネルギーを持っているということは理解できます。

いまも「意識の謎」を解明できない現代科学

現代科学が直面する最大の問題の一つは、「意識の謎」を解明できないという点。そもそも「物質」から「意識」というものが、どのようにして生まれてくるのかを、説明できない。
現代の科学は、我々の誰もが日常的に体験する次のような「意識の不思議な現象」を説明できない。
「視線感応(視線を感じること)」「以心伝心」「予感」「予知」「占い的中」「既視感(デジャビュ)」「シンクロニシティ(共時性)」「コンスタレーション(布置)」
そして、現代の科学は「説明できないものは、存在しない」という頑迷な立場をとる。

ゼロ・ポイント・フィールド仮説

さて、ここからが本書の肝とも言うべき箇所。

現代の最先端量子科学では「意識の不思議な体験」は、「ゼロ・ポイント・フィールド」と繋がることにより起きる現象、という仮説が論じられているという。

「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは

この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、ここにこの宇宙のすべての出来事、すべての情報が「記録」されているという仮説である。
この宇宙には「量子真空」というものが存在し、その場が、ゼロ・ポイント・エネルギーで満たされているということは、現在、科学的事実として認められているそうだ。

「量子真空」とは何か

現代の最先端宇宙論では、138億年前、この宇宙が誕生したと述べている。
ではその前には、何があったのか。そこには何も無かった。
「真空」だけがあった。「真空」=「量子真空」。
この「量子真空」があるとき、ゆらぎを起こし、その瞬間、極微小の宇宙を生み出し、それが急激に膨張し始めた直後、大爆発(ビッグバン)を起こし、現在の宇宙が誕生したというのがビッグバン宇宙論。そして、その中に地球が誕生し、人類が生まれた。
この「量子真空」の中には宇宙を生み出せるほどの莫大なエネルギーが潜んでいる。このエネルギーのことを、ゼロ・ポイント・エネルギーと呼んでいるのである。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著

ここまで読んで、私は、アカシックレコードのことが頭に浮かんだ。

アカシックレコードは、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念で、アーカーシャあるいはアストラル光に過去のあらゆる出来事の痕跡が永久に刻まれているという考えに基づいている。
宇宙誕生以来のすべての存在について、あらゆる情報がたくわえられているという記録層を意味することが多い。

Wikipediaより

ものすごく簡単に要約すると、アカシックレコードとは、現在・過去における全宇宙で起きたあらゆる情報が記されたデータベースのようなものを指すらしい。このようなものが本当にあるのかどうか、科学的根拠はない。アカシックレコードという言葉を作ったのは、ルドルフ・シュタイナーだと言われている。
このような概念を、最先端量子科学の視点と裏付けから提示しているのが、ゼロ・ポイント・フィールド仮説なのではないか、という印象を持った。

「最先端の科学の知見」と「最古の宗教の直感」の不思議な一致

ちなみに「宗教」の世界では、ゼロ・ポイント・フィールドと極めて似たビジョンが、遥か昔から語られているそうだ。
例:仏教の「唯識思想」、古代インド哲学の「アーカーシャ」の思想(これはアカシックレコードのアカシックの語源にもなっていると思われる)

ではなぜ、ゼロ・ポイント・フィールドに、情報が記録されているのか?

量子物理学的に見れば、この世界のすべて、自分自身の体も、この世界も、明確な「物質」として存在していると思っているが、実は、「波動」であり、「物質」というものは、本来、存在しないのである。
そしてそれは「目に見えない意識」と思っているものも、その本質はやはり、すべてエネルギーであり、波動に他ならない。

従って、この宇宙の「すべての出来事」とは、その本質は、量子物理学的に見るならば、すべて「波動エネルギー」なのである。
それゆえ、もし、ゼロ・ポイント・フィールドが、この宇宙に起こった「出来事」、すなわち「波動エネルギー」を、「波動情報」として記録しているのであれば、ゼロ・ポイント・フィールドが、この宇宙の「すべての出来事」を記録しているという仮説は、決して荒唐無稽な理論ではない。

例えば、いま、静かな湖面の上を吹きわたる風を想像してみると、この場合、風は「空気の波動」であり、それが、湖面に「水の波動」である波を生み出す。
それは、言葉を変えれば、「風」という波動エネルギーの痕跡が、「湖面の波」という波動情報として「記録」されるということである。
これが、現実世界(湖面の上)での「出来事」(風)を、ゼロ・ポイント・フィールド(湖面)が、「波動情報」(湖面の波)として記録するということのイメージである。

「死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説」田坂広志・著


なんだか壮大な話になってきましたが…。ここまで読まれた方、ついてこれてますでしょうか?
私も手元のメモを何度も読み返しながら、理解しようと試みてます。

ゼロ・ポイント・フィールド仮説の成立ちに触れたところで長くなってしまったので、(2)へ続きます。
よろしければ、もうしばらくお付き合いください。




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