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Chosen familyとしての『赤毛のアン』

昔々、緑の屋根が、あたたかな陽の光を反射する農場で、三人兄妹が暮らしていた。
長男は利発で社交的。次男は繊細で臆病。長女は幼い末娘だった。
仲の良い家族がいて、豊かな実りのある美しい農場があり、洗い立てた家の中は清潔で温かく、北国の生活を心地よく守っていた。
だが、そんな農場に暗雲が立ち込めて、無慈悲な不幸に見舞われた。

まず、一家は大黒柱を失った。
それから、長男が後に続いた。
母親は心痛で正気を失い、床に臥せるようになった。
気力を無くし、自分の殻に引きこもり、衰弱していく母親を、幼い末娘が懸命に看病した。
次男は、繊細で口下手で不器用だったが、持ち前の誠実さで根気強く、妹に助けられながら、なんとか農場を切り盛りした。

そうして、歳月は飛び去って行った。
年若く幼い二人が病母を養い、必死に生活を立て直し、農場の経営を軌道に乗せて、ほっと息をつくと、二人は老兄妹になっていた。

結婚もしない、道楽もしない、寡黙で勤勉で生真面目で堅物な老兄妹は、田舎の農村で変わり者だと噂された。
いつしか、その噂さえも枯れ果てて、二人はただの馴染み深い、農村の古くからの一員になっていた。

半世紀前、末娘は恋をしていた。だが、ささやかなすれ違いをほどくまえに、家の雑用に巻き込まれて、それ切りになった。
半世紀前、少年は恋をしていた。奥手な彼が、言葉数の少ない人種特有の、時間を掛けた無言の愛をはぐくむ前に、少年は一家の大黒柱になった。

このまま、折り目正しく生活を守り、近いうちに人生を終える。
寂しく、硬く閉じていた代わりに、神に恥じずに、清く正しく生き抜いて、この人生を終える。
二人はそう考えて、沈黙しつつ、穏やかな日々を、慎ましく送っていた。

老兄が六十歳を過ぎたある日、二人は、人生を左右する一大決心をする。
重労働である農場の手伝いのために、孤児の少年を迎えることにしたのだ。

ところが、手違いでやってきたのは、風変わりな少女だった。
天涯孤独の苦境のなか、労働力として搾取されつつも、持ち前の「想像力の余地」で天真爛漫な精神を守り抜き、生き延びてきたのだと語った。

老農婦は言った。「手違いを正して、あの子を孤児院に送り返しましょう。女の子がなんの役に立つというのです」
老農夫は言った。「そうだな。わからないけれど、もしかしたら、わしらのほうで、あの子の役に立つかもしれないよ」

それでも老妹は合理的に考えて、近所で只働きの家事手伝いとして孤児を探している家に、少女を委譲しようと考えた。
またしても、労働力として過酷な家庭に引き取られる恐怖で、老兄妹の家ではうるさいほどにお喋りをしていた少女が、凍り付いた。
老妹はそれを見て、思わず、少女の手を引いて帰ってきた。
老兄は、老妹が少女を連れて帰ったことを喜んだ。そして、経緯を聴くと、小さく吐き捨てるようにして言った。「私が可愛がっているものは、たとえ犬の子だって、あの女の家になんてくれてやるものか」
そうやって、二人は少女を引き取る決意を固めた。

感情豊かな少女の眼を通して、日々を暮らし、世界を見つめるうちに、水が浸み込むように、年老いた二人の、身体の奥底にしまい込んでいた感情が動き始める。

しばらくして、老農夫は妹に言った。
「ずっと思っていた。お前の可能性を閉ざしたのは、母さんと私だ。母さんは立ち直ろうとしなかった。子供を亡くしたとしても。子供は、二人、残っていたのに」
妹は兄に答えた。
「ときどき、考える。あのとき、母さんが立ち直っていたら・・・。でも、生活のためだった。仕方がなかった。こんなこと、今まで、口に出さなかったのに」
妹は言葉を躊躇った。
「でも、口に出した」
兄が言葉を継いだ。
「今さらね」
妹は吐き捨てた。
「ああ、でも、今は何もかも変わった。あの子がいる。お前は強い。母さんのようにはならない。何があっても、三人で立ち向かおう」
兄は妹の手を握り締めた。

老兄妹は孤児の少女に、人生で初めての安全基地、「家」を与えた。
孤児の少女は老兄妹に、二人が幼年期に出会うはずだった瑞々しい世界を垣間見せ、成長と変化という果実をたっぷりと味合わせ、共有した。

彼らの人間関係は、偶然に吹かれてきた糸のような細枝から編み始められて、それぞれが手間暇と心と時間を掛け合い、豊かな実りのある大木に育てあげられた。始まりの出会いは偶然でも、それは決して偶然に大成したのではなかった。彼らが意志を持ち、意欲して、意図して、育て上げたのだ。

アンとマリラとマシュウは、まさに「選択された家族」だった。

人間関係とは、家とは、こうして育てるものなのだと、思い知らされるようだった。

このようにして田舎の農村の老兄妹、マシュウとマリラが、Eの付くアンを引き取った。

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以上が、海外ドラマ『アンという名の少女』で語られた、マシュウとマリラの過去を絡めて書いた、『赤毛のアン』本編が始まる前のあらすじです。

有名な『赤毛のアン』は、この後から始まります。

これまで私は、マシュウとマリラの二人の複雑な境遇に思いを馳せたことがありませんでした。

よく考えれば、なぜ、19世紀終わりのカナダの片田舎という時代背景で、あの保守的で真面目な二人が、老兄妹のままで暮らしていたのか。
保守的で真面目なのだから、結婚して子供を持ち、周囲と同じように、伝統的で格式的な旧世代の暮らしをしていたはずではないか。

その背景を、主人公のアンに目を奪われて、考えたことがありませんでした。
慈愛にあふれるマシュウと、自分とさえ厳格にしか付き合えない不器用なマリラ。
彼らが孤独に暮らすには、常ならぬ悲劇と犠牲があったに違いありません。

だからこそ、海外ドラマ『アンという名の少女』で、二人がささやかな青春のときめきを取り戻し、過去のわだかまりをほぐしていくエピソードが物語の基軸として設計されていたことに、深く感動しました。

名作を繰り返し演出する意義がそこにありました。

愛するマシュウとマリラの背景を昇華してくれた、キャラクターを生かし切ってくれた脚本と監督に拍手喝采を送りたいと思って、この感想文を書いています。

『赤毛のアン』を読んだことが無い方にも愛読者にも、NetFlix『アンという名の少女』はお勧めです。

よろしければ、『赤毛のアン』の紹介文は、下記にも詳しくまとめてありますので、ご覧いただければ幸いです。

このところ、『赤毛のアン』にはまっています。アン・シリーズを読んで、エミリー・シリーズを読んで、アンの英語版を照合して、アンという名の少女をBGM代わりに流して、名シーンを思い出すたびに感想文を書き連ねている状況です。

本読みははまっている本があるとそれだけで実に楽しいからお得だと思います。

近々書きたいものは、アンの名犬シリーズのように、アンの名もなき偉人シリーズ。
数は少ないが、アンの救いのない意地悪な人間シリーズをやりたいと思っていたが、思いとどまりました。結局、他人の生命力を高めないものは「人生のスパイス」でしかないのだから。

名もなき市井の人の生活の美しさが、モンゴメリの真骨頂。

アン・シリーズ読破もいいですが、短編集も、心よりお勧めします。

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