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Reflection Journal 2019年7月16日 朝

昨日は、21時過ぎには就寝したが、6時ごろまで寝ていた。泊っている宿から出る水は利尿作用があるため、夜に何度もトイレに行く。朝起きてすぐに散歩に出る。携帯の電波も届かない田舎なので、誰に会うこともない。そして、熊野は本当に水の国だと思う。あちこちに水が流れて、苔が生している。


1.歩きながら考えたこと
以前のエゴ的な自分主義とは異なっているが、まだ自分軸を捨てきれない自分がいるように思う。質感としてはエゴよりも深く、身体感覚ではつかめないほど深いところに眠っている信念=メンタルモデルのような気がする。この自分(という習慣)が自分の変容を邪魔していることに気づく。これは、自分が正しいと思って、またはそう自覚なく、繰り返してきた習慣なので、この習慣を変えることしか方法が無いようにも思える。

この古からの習慣は、自分の中の本当のエネルギーを開放しないこと。解放することによる恐れがあると思っていたが、恐れとは違って「恥ずかしさ」みたいなもののように思えてきた。

本当の自分と現実の自分をつなげる管があり、その管の通りを良くする鍛錬(これはまさに鍛錬)だと確認できた。


2.妙法山阿弥陀寺
妙法山阿弥陀寺は、女人高野山とも言われ、女性性を感じるお寺であった。山頂に奥の院があり、そこまでの古道を片道20分、往復40分を歩いた。熊野古道は、高湿地のために苔が生しており、神秘的な表現で僕らを迎えてくれる。小雨と霧がなお神秘性を増して、何かに包まれる感じがよい。
以前の旅であれば、雨は絶景の阻害になると思っていたが、それはそれで楽しめるようになった。お寺を拝むという目標よりも、歩くという過程を楽しめるようになった。

至るとことで拝みながら、自分の肚とつながってみた。自分の内面の外的世界の管にエネルギーを通してみた。


3.熊野那智大社・那智山青岸渡寺
熊野3大社の中で一番自分あっている感じがあった。柔らかい感じがいい。しばらく、那智大社のエネルギーを感じながら、そこに佇む。それぞれの神社の波動・エネルギーの違いが分かるようになってきた。

神社仏閣が一緒にあるのが面白いと思っていたら、幕末以前は「神仏習合時代」と呼ばれ、神社とお寺は入り混じっていたそうだ。日本らしいと思いつつ、この世の中は知らないことがこんなに多いのかと驚く。知らないことに素直に、知らないといい、教えてもらえることが楽しい。

境内まで道のりにお土産物屋さんがある。ふと入ったお店が、那智黒石で硯を作っている唯一の製作所で、一度墨をすってみてくださいと言われるがままに体験してみる。今まで体感したことがない、滑る感じに魅了される。また、那智黒石はパワーストーンのようで、左手で持って、右手をあてるとエネルギーが循環する。
様々な硯を持ち、エネルギー循環を確かめて、墨をすってみて、最後はアドバイスをいただき、1つの硯に決めた。

書道をやらない自分が硯を購入することは考えられないが、書道を始めたいという意識と、昨日から続く偶然の流れに身を任せて、かなり高額な硯を購入した。
①パワーストーンとして、
②硯として、
③精神統一の方法として、
活用してみたい。そして、書道は本当に始めてみたい。もしかすると、墨の絵が書きたいのかもしれない。実は、祖父が画家であり、その血は少し流れているかもしれない。でも、絵を書くことは、好きなのかもしれないが、上手ではないと思う。

帰り道に、那智の滝を見ているときに、ふとこの旅も考えすぎ企画している。単純に「もっと楽しめばよい」というメッセージを受け取った。

2日目の熊野の旅は、結局4時間も歩き続けて、少々疲労した。夕食のあまご料理・ジビエ料理のボリュームが凄いが、ほぼ間色することができた。

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