学校の授業が苦手だった。
小学校の頃から、学校の授業が苦手だった。
特に、体育と、音楽と、図工の時間が苦手だった。
先生に、やり方を教わって、その通りにやりなさい、
と言われてもも、うまくできなかった。すんなりやれないことが多かった。そもそも話を聞いていないから、手順が分からず、周りをキョロキョロしたり、周りのやってる様子を見て、遅れないように見よう見まねでやろうとしたりして、すごく苦痛だった。
大人になってからわかったのは、自分は興味のないことの話を聞くのがすごく苦痛だったり、やりなさいといわれたことを、その通りにやったりすることが、とても苦手で、好きではなかったみたいだということ。
それに、うまくできなかったらどうしよう?とおもうと、余計にうまくできなくなってしまうみたいな悪循環もあった。
でも、国語の時間は得意だった。
よく本を読んでいて、周りのみんなより早く、文字や漢字を知っていたので、言われたこともすらすらできた。
それ以外の時間は苦手だったけれども、体育や図工や音楽みたいに、なにかやれといわれることが少なくて、先生に指されなければ、何もしないでいいので、頭の中でいつも違うこと、好きなことを空想したり、想像したり、お話を作って、頭の中で1人で遊んでいました。
体はじっとしているけれど、頭の中ではなにをしても自由だったので、私はそれらの授業の時間をやり過ごすことができたのだとおもいます。
苦痛や退屈や苦手をやり過ごす、回避するために、唯一自由で強制されない、大人の目に触れない、外からわからない頭の中で、遊んだり小さな自由をかろうじて味わっていた。
今の自分がその頃の自分に声をかけてあげられるとしたら、どう声をかけるだろう?
やりたくないこと、自分が望まないことを、強制されるのって嫌だよね。気が乗らないことを無理やりやらされるのは嫌だよね。
よくわかるよ。おじさんもそうだよ。
やってて楽しいこと、好きなこと、面白いことはなにかあるかい?
それを思いっきりやってもいいんだよ。
あと、先生になにかやれ、と言われても、うまくやろうとか、褒められようとか、みんなみたいにうまくやろう、とか、周りと比べなくてもいいと思うよ。
そうすることは、君にはなかなか難しいかもしれないけど、少しでもやってみたい、面白そう、興味がある、もっとやってみたい、と思ったことを、根気強く、思いっきり、精一杯やればいいんじゃないかなと思うよ。
それじゃ、またね。
また会って話しようね。
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