12年間放置していたカオスな書斎を片付けたらいろいろ見えてきた3


風変わりな嫁入り道具

20数年前、結婚して自分の荷物を嫁ぎ先に運びこんだわけですが、後にも先にも、私の嫁入り道具ほど風変わりなものはなかったと思います。
一番目についたはずのものは、コピー機1台。
ゼロックスの鬼のように重いやつです。
ワープロ、一眼レフカメラ、使い古しの引き出しだんすと、ロッカー、
新品だったのは、着物だんす一つ。
そして、大量の本。
しかも、カタログ的なものが多かったので、これまた重い。
結婚と共に、自営していた広告デザインのオフィスは閉じ、その残骸をもって来たわけです。

デジタル化によって書棚からいらなくなったもの

当時持ってきた大量の本は、だいぶ売りましたが、20年以上たった今でも持ち続けている本もあります。
その本の中でも、写真をストックしたカタログ冊子を今回一気に処分しました。
グラフィックデザインを仕事としていたころのもので、参考資料という名のもと保管していたものです。
きっと今の20代の人が見たら笑われると思います。
なぜなら、「全部ネット上にあるでしょ」って言われてしまいますから。
90年代のグラフィックデザインの仕事は、まだまだアナログ要素が強く、切り貼りするような世界だったのです。
情報も、足をつかって探してくるような世界。
お気に入りの写真やレイアウトをファイルし、ストックする習慣がありました。
仕事から離れてからも、デジタルデザインワークの雑誌などを買った形跡があり、2003年2004年のデザイン雑誌が数冊書棚から出てきました。
子育てしながら、パソコンでillustratorやPhotoshopを使いこなそうと奮闘していた時の参考書だったのでしょう。
次々と更新されていくデジタルの世界では、バージョンアップと共に、情報が古くなりPC関係の雑誌のストックもあっという間に用をなさなくなっていきます。
大事にとっておいた様々な雑誌たちともさよならをしました。
その時々の時代を映す情報系の本ともさよならをしました。
中学から使い込んでページが広がってしまっている英和辞典、和英辞典も思い出深いですが処分。
ネットで外国語検索すれば、発音までしてくれますものね。
昭和の時代から、どこのうちでもあった「家庭の医学」も、情報が古いので処分しました。医療系のネット情報は膨大にありますね。
かたや「広辞苑」は処分できませんでした。
今は、ほとんどネット検索で済んでしまいますが、広辞苑は知の宝庫的な存在。
書棚の「象徴」として残しました。

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アートは古びない

残した本は、アートをあつかったもの。
古典から近代までの画集とコレクションしているボタニカルアートの画集。
絵本類も、アートのポジション扱いです。
デザインは、時代と共に合わなくなっていきますが、アートは、古びないのです。
アートが古びないのは、なぜか。
作品を通して作り手の表現するエネルギーは、いつの時代も伝わってきます。
きっと、人間の根源的なところに触れるものだからなのでしょう。
音楽や映画や演劇もまた同じですね。

「広告批評」という小さな雑誌が80年代から90年代、ちょうど広告全盛期の時代にありました。この数冊は、今見ても面白いので書棚に残しました。
アート要素が強い広告も多かったですしね。

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手仕事(アナログ的)は人間の原点

手仕事系のものも、いつの時代も価値は、ほぼ変わりません。
季刊誌の「銀花」という雑誌は、アート作品としてみることもできる手仕事系を取り扱っており、今見ても古びて見えません。
手仕事的なものは、生身の人間にしっくりくる原点のような存在です。
「結局ここに帰ってくる」というような感覚ですね。
土、木、紙、布、植物、人間の手仕事
いつの時代もやっぱりしっくりくる、肌感覚でいいものはいいといえるもの。
装丁も繊細な「銀花」は、貴重本として書棚に残しました。

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デジタル化の今でも、結局、人は手仕事的なものを求めてやまないと思います。
それは、砂場で遊ぶ小さな子どもたちと向き合っていれば自然とわかります。

残すのは人間性を保つための本

書棚に、これから先も残していく本と、そうでない本。
表現しづらいのですが、
自分の人間性を高めるか、人間性を保つことができるかが基準になりました。
デジタル化が優位の世界になるほどに、自分の核を持たないと、地に足がついていないような浮遊感に陥るのではないかと感じます。
地に足をつけるためにも、旅に出たり、料理をしたり、手仕事をしたりすることはこれからも必要なことと思います。

とはいえ、デジタル化がもたらしたものは、私たちを身軽にしてくれました。
今回、本や雑誌を処分したところ、スチール書棚と、腰くらいの高さの書棚がいらなくなりました。

もう持ち歩かなくても、わざわざ出向いていかなくても、ストックしなくてもいい世界。
その身軽になったところには、人間の遊び心を発揮し、もっと自由になれる可能性が生まれるとよいなと思います。

この続きは4で。

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