死体は嘘をつかない/ロン・フランセル、ヴィンセント・ディ・マイオ、満園真木

http://www.tsogen.co.jp/sp/isbn/9784488070809

読了日 2021/02/09


コロナがニュースを独占する前にあった事件となると日本では芸能人の不倫が大きな話題となっていたけれど、世界的な目で見れば人種差別の問題のほうがはるかに大きかった。
というか、本来なら一芸能人の不倫問題よりも大きく取り上げるべき問題にもかかわらず、差別とかしてませんし?? 意味わからんのですが?? みたいな日本人が多すぎるがゆえに海外のニュースのひとつとしか扱われなかったのだろう。

黒人に対する人種差別問題【BLACK LIVES MATTER】が世界的に報道される以前から、アメリカ国内では白人と黒人のあいだで何かしら事件が起きればすぐ人種差別問題に直結するムードとなっている。

本書ではまず、そうした事件から取り上げられている。冒頭の第一章から差別問題の事件を書くということは、やはりそれだけアメリカにおいては根深い問題となっているのだろう。

事件はアメリカのとある州。
正義感の強い男性が地元のためにパトロールしていたある夜、素行不良の少年を発見して不審に思った。
後をつけた男性は少年ともみ合いになり、発砲し、少年の生命を奪ってしまう。
男性は正当防衛を主張したが、世間の目は少年の人生を思って悲嘆に暮れた。

少年は黒人だった。
そのため白人男性に殺されたと噂されたからだ。

男性は警察官でもなんでもない、ただの一般人である。一般人が地元のパトロールのためとはいえ拳銃を所持して、あろうことか発砲するだけで日本人としてはなんという世界だと思わずにはいられないがいつか観光には行ってみたいと思っている。

ところでこの事件は、白人男性が黒人差別主義のもとでなんの罪もない少年を殺害したという見方となって世間に広まり、大問題に発展する。

【BLACK LIVES MATTER】でもネットでは騒がれたことだが、殺害された黒人男性は前科をいつくも持っていることから、ある程度、白人警察官に対する情状酌量の声もあがった。
とはいえあれはアメリカ警察の腐敗の実態が白日にさらされたこともあり、多分ウヤムヤにされたのだろうけれども。

この本書の件に関しても、黒人少年はマリファナの常習で学校から停学をくらったり、非行を自慢げにする部分があった。
もちろんだからといって殺されて然るべき、というわけではない。若気の至りという言葉も日本にはあるくらいだし、更生の兆しがない子どもでもなかった。兆しがなくても子どもは守らねばならないが、このあたりはなんとも難しいな。

焦点は、白人男性の発砲は正当防衛だったのか、という点に絞られた。

素行不良の少年は、怪しいからという理由だけで追いかけてきた白人男性に馬乗りになり暴行をくわえたのか。
だから白人男性は身の安全のためにやむなく発砲したのか。
それとも白人男性は、ただ単に黒人差別主義でいたいけな少年を殺害したのか。

本書の著者にして検死医、ヴィンセントの出番がここに生まれる。
ヴィンセントは殺害された少年の腹部に残る銃創、それと発砲時の火薬のつき方などから、いったい彼らの身に何があったのか推測する。

重要なのはここだ。
ヴィンセントはあくまで、遺体や残っていた衣服などの状況から読み取れる事実だけを裁判で証言する。
真実のみを話す。
その真実は、ヴィンセントが死体から教えてもらったことだけだ。

死体は嘘をつかないから。

裁判は全員が納得のいく結論におさまるとは限らない。
世間的な注目を集めようと、いくら不愉快な事実が打ち明けられようと、真実にもっとも近い答えを検死医のヴィンセントは証言する。
死体は嘘をつかないが、意思表示ができないので、代わりにヴィンセントが証言するのだ。

黒人差別と同じくらい本書で焦点があてられる話題がもうひとつある。
乳幼児連続不審死だ。
ある女性が面倒をみるあいだだけ、なぜか乳幼児は体調不良をきたす。
女性は必死の救命措置を取るが、やがて乳幼児は命を落とす。
女性は母親であったり看護師であったりするが、まさか生命を産みだす母性の塊たる女性が幼子を手にかけるなどありえるのだろうか。

読みすすめて気づくのは、これもある種の差別が含まれているということだ。
母性にあふれた女性は決して子どもを殺さない、という善意的な見方の差別。
おかげで、犯行を否認してはいるが、ほぼ犯人と確定してもいい女性たちは、むしろ子どもたちに救命処置を行ったが救えなかった悲劇のヒロインとして同情されている。
法医学的な証拠では、彼女たちを犯人と決定づけても構わない点が多くあるというのに、それでも彼女たちはそんなことをしないという主張と、周りの援護射撃によって善意的に見られている。
それもすべて、母性の塊たる女性は子どもを殺すようなことは決してしないという幻想に基づいているからだろう。

幻想という名の女性差別。
母性があれば、お金がなくとも自分の時間なんてなくとも、子どもといっしょにいられればそれで幸せなはず。
周りが抱く幻想という名の差別を押しつけられて、凶行に走る女性へは母性が足りないと非難する。

本書における乳幼児を手にかけた女性たちは、それとはまた別の動機で罪を犯したようだが、いまだに罪は認めていないらしい。

母性の塊である女性の自分がそんなことをするはずがない、という幻想を利用して、自らの罪を認めない。
差別を利用して生きているように思えてならない。

果たして彼女たちが本当に乳幼児を殺害したのかどうかは、おそらく不明なままだ。

法医学的に、ヴィンセントのような検死医が殺害の懸念を訴えても、認めてもらえないこともある。

三人の児童が非行気味の少年に殺害された事件においても、少年たちが疑わしいというだけで逮捕されたようなものだ。
その後に新たな真犯人像が浮かび上がっても、逮捕はおろか、少年たちへの補償は釈放するだけという顛末。

これでいいのか、と。
正しい裁きが行われない世の中でいいのか、と著者が言う。
日本でも法医学関連書には必ず記載されている、法医学者の嘆きは日米共通だった。
法医学者がとても少ないことを。
このまま法医学者が減れば解剖が減り、すなわち捜査において真実が追求される頻度が減れば、正しい裁きも消えてしまう。

著者が言う。
私たちの患者はもう苦しみはしないが、正しい裁きを求めているのだと。
苦しんで殺されたあげくに正しい裁きまで奪われてしまったら、死んでも死にきれない人間がどれほど増えることか。

法医学に関する妙な偏見を、どうにかなくせないものかと幾冊もの関連著書を読んだ身の上程度だが、心から思う。

そして、本書で扱われた事件の被害者の死後の安らぎを、宗教を超えて祈る。

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