華竜の宮/上田早夕里

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読了日2020/03/05
「第10回センス・オブ・ジェンダー賞大賞受賞作」

陸地の多くが水没した未来、25世紀。
陸地に住む者を陸上民と呼び、海に己の片割れとともに住む者を海上民と呼んだ。
海洋公館公司、青澄セイジは日本の海域に属する海におけるトラブルシューターだった。
海上民とのいざこざを和解するために、セイジは海上民の長と呼ばれているツキソメと会う。
海上民と陸上民とのあいだに立とうとするセイジはツキソメと分かち合うが、二人の行く末に立ちはだかるのは人類滅亡の危機だった。

目下、日本も含めて世界のあちこちで新型コロナウイルスへの対策が取られていることは報道で耳にしている。
今のところ感染者報告の出ていない東北の片田舎で引きこもっている私には、正直あまり「ヤバイ」実感はない。
なかった。
ドラッグストアのマスクがなくて、その次には開店前のスーパーで見かける行列がトイペを求めての人だかりだったと気づくまでは。

ネットで見かけるのは、ドラッグストアの店員さんに対するお客の話だ。
あれほど店の入り口に「本日マスクの入荷はありません」と張り紙をしているのに、
見えていないのか無視しているのか(下手すれば日本語が読めない自国民なのか)、何かと店員さんに商品在庫切れの有無を尋ねる。
そして無いと言われてキレる。
店員はお前たちの八つ当たりの道具ではないんだ八百万の神々と言うものを知らんのか日本人のくせに神はあちこちにおられるんだぞ天誅でも下されろ、と私ごときが思うのも無理がないくらい世の中愚か者が多いらしい。

水際対策としては民間人にもっとも近い場所にいるといっても過言ではないドラッグストアの店員さんでさえ、この扱いなのだ。
では感染者のいる現場、すなわち病院。
それと検体の検査にたずさわる研究所などの職員さんはどれほど謀殺されていることやら。

水際対策が後手後手で国内感染が増加傾向をたどっている、とここぞとばかりに政府をたたく人々も多い。
ただ、彼らに役人は現場を知らないのだ。
だから後手にまわるのも無理はない、なんて擁護をするつもりは毛頭も爪の垢ほどもない。

けれど、現場にはたしかに、ウイルスと対峙しているといっても良いほど、感染者と向き合ってひたすら人々のためにわが身を尽している方々がいることを忘れてはいけない。

華竜の宮の主人公、青澄セイジはそんな男だった。
自分の身よりも、たった今苦しんでいるかもしれない人を救うために奔走する。
華竜の宮の世界は最後、破滅が決定づけられている。
かといって、セイジはそれを止められる立場ではないし、止めることもできない。
むしろ、止める行動すら取れない。
この世界における地殻変動は、たったひとりの人間の行動で大きく変わるものではないからだ。
数十年のうちに、この世界は破滅する。
セイジはそれを知っている。
知っていてもなお、セイジは動く。
何に対して動くのか?
それは海の上に住まう海上民が、少しでも心ささやかな生活を送れるように、彼らのわだかまりを取り除くために、セイジは動く。

それはもうひとりの主人公、ツキソメもおなじだった。
流れ者の自分を受け入れてくれた海の民のために、ツキソメは彼らのために時には血を流し、命を奪うこともためらわずに動きまわる。

この物語は中盤から、読者に痛いほど突きつけてくる。
この世界は破滅する。
彼らは残らず死ぬ。
地殻変動が起きるまでには、ツキソメはまだしも、セイジや他の人物は寿命で死んでいる可能性を示唆されるものの、間違いなく地球は人々を破滅に追い込む。
この描写がエグいほど繰り返される。
セイジも何度もその未来を教えられる。
だから、人々は未来に希望を託すためにツキソメを追う。
そして、あとはもう、破滅よりも何よりも、今を生きる人々を助けてまわる。

自分がやれる、未来への手助けが終わったら、あとは生き抜いていくしかできない。
セイジは自分が生き抜いていくために、今を生きていく人々を助けてまわる。
いつまでも現場の最前線に立ち、様々な方向から繰り出される阻害の魔手をかわし、時にはそれすら受け入れて、目の前で困っている「たったひとりの人間」を助けていく。

ひとりの男の生き様がここに記されている。
現場の最前線に立つとは、こういうことなのだろう。
その行動をすべて知ることは、他人にはきっと不可能だ。
けれど、最前線に立つ彼らがいなければ、世界はまわらない。

この世をまわすのは「たったひとりの人間」ということを、私たちは今一度理解した方がいい。

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