FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣/ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド

https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/19/P89600/

読了日2024/01/23

FACTFULNESSをはじめはFACTFULLNESと勘違いして、何度か打っていた。
FACTFULNESSを翻訳すると「事実の証明」だが、FACTFULLNESを翻訳すると「事実の証明(FACTFULNESSを翻訳しています)」と親切に間違いを指摘した上で、本来訳したかったFACTFULNESSの意味を教えてくれた。
少し前までは機械に頼っても、母国語に訳すとどうしても妙な具合になってしまう翻訳機能も昨今の性能はすばらしい。
世の中は確実に良くなっている、と本書では何度も繰り返されるが、身近なことから良くなっている事象を思い知る。

世の中は良くなっている、確実に。
少しずつではあるけれども。

そのことを知りたくて本書を手に取った。
昨今の、いわゆる情勢というものがあまりにも辛すぎて、言葉として口に出すことも、文字として打つことも苦しい。
酷いときは海外の国の名前を見ることさえ悲しくて目を伏せてしまう。
ニュースを見ていないわけではないけれど、見たくもない現実ばかり報道される。
実際に起こっている出来事の数々だとしても、知らなければならないことばかりだとしても、それでも、どうしても、あんまりではないかと毎日がつらい。
日本が平和だと言われ続けようと、平和な国の外では喫緊の課題が幾多も摩擦を起こしているのかと思うと気が気でない。
それだけでメンタルがやられる、と言葉にすると安易だが、これだけで精神的に異常を来たしてしまいかねない人は私の他にも多くいるだろう。

FACTFULNESSのレビューを見ると、世界に対する正しい見方が分かると言う意見が多数あった。
悲観的な物の見方を過ちであると知り、世界に対する見方が変わるとあった。

疑心暗鬼な心が「本当か? そんなことがあるのか?」と訴えるが、百聞は一見に如かず
というかたまたま購入する機会があったので手にしてみた。
そして読んでみた。
不安で揺らぐ自身の気持ちをなだめるための薬にでもなってくれないかと、表紙を開くときにはもう疑心暗鬼よりも禁断症状から止められていた酒や薬に手を伸ばす気持ちであった。
飲酒も(ヤバイ)薬もやっていないが。

FACTFULNESSには副題がある。
「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」
1章につき、私たちの勝手な思い込みを過ちだと訂正してくれる気づきを提案する。


分断本能

生活における豊かさは上位の国もあれば、下位の国もある。当然といえば当然だ。
だが冷静に考えてみれば、その間もあってしかるべきである。何事も中間層が圧倒的に多い。そのことを私たちは、知らない。知る機会がない、と他人やメディアのせいにすることはたやすいが、知ろうとしなかった。それもまた事実だ。
下位と呼ばれてきた国の人々の圧倒的な努力によって、かつて下位であった国は中間層へと登っている。そのことを上位の国の人々は、やはり知らない。ここで言う上位の国というカテゴリーに入る人の見分け方はかなりわかりやすい示し方があった。言われてみればそのとおりだ。
そして上位の国の人にとって、下位、つまり下の景色はよほど意識を向けない限りはわからない。自分たちと同じ目線に立ってはじめて、そこにいた「元」下位の国の人たちに気づく。気づいたときには競り合い、追いつき追い越される可能性もあるが、ともに手を取り合える世界の仲間として仲良くしたいものである。

ネガティブ本能

人はネガティブニュースのほうが意識を向けやすい。心当たりしかない。朝夕のニュースは悪い出来事がメインで、良い出来事はまとめてサラッと流されて終わり。SNSで拡散されやすい話題も炎上が主なネタ。良い出来事は拡散されにくい。
これだけで暗い気持ちになってしまいがちな私はもう、この章に救いを求めて読んだ。
言われてみればそうかもしれない、と感じたのは「悪い」は現在もしくは過去の状態であって、そこから「良くなっている」状態は現在から未来にかけての変化の状態であるということだ。この「悪い」と「良くなっている」は、現在という時間で重なっているのでその二つの状態は両立し得る。何でもかんでも「悪い」状態にばかりピックアップされてしまうが、同時に「なら、良くしていこうか」という意識を持つ人もいるはずだし、必ずいる。それだけでもう「良くなっている」変化は起こっている。目に見えないだけで、良くなっているのだ。
「良くなっている」現在と「良くなっていく、良くしていく」未来は見えないので、誰の目にも映らない。目に見えていた過去しか映らないから、悪いニュースしか取り上げられないというあたりが今現在の情報化社会の限界なのかもしれない。
良い変化を、一個人でも良いから多くの人にもっと教えてもらいたいと思う。たとえそれが誰の目にも見えないものであっても。

直線本能

章タイトルを見ただけだと、どういうことだろうと少し分かりにくかった。
これは世界的な人口の増加を懸念する、グラフに対する見方を教えるものだった。今のペースで人口が増加していくと、地球にある資源では全人類を養えないのではないかという危惧がある。だが今のペースで人口が増えていく可能性はほぼないし、むしろ人間という種が存続するにあたって、地球という自然環境における最適な人口になりつつあるようである。
貧しい国の子どもたちを助け続けたら、その子どもの数だけ人口が増えていく。そして資源が食いつぶされるという考えのいちゃもんを読んで、流石にゾッとしてしまった。この意見に対して悪気がからあるわけではないと評する著者の一文は二度見した。心が広い。だがいちゃもんをつけた人は、この本にあるような事実は知らないので無知ではあるのだろう。
貧困に喘ぐと飢餓や病気に見舞われる未来を憂い、生き残る子どもを増やすために、子どもの数自体を増やす。つまり子だくさんになる。だが貧困が解消されれば、飢餓や病気であらかじめ失うであろう子どもの命を勘定して出産する必要がないので、加えて避妊に対する理解も深めることで、計画的に子どもの数を考えられるようになる。
言われてみれば「確かに」としか思えない。だが言われなければ気づかない事実が、このように本書には多く載っている。

恐怖本能

ネガティブ本能にも共通するが、人は恐ろしいものに目が向きがちになる。自然環境で生きていた時代の人間ならば、恐ろしいものに真っ先に気づいた人間ほど生き延びやすい。だがその本能も、基本的な安全を手に入れた人々にとっては恐怖本能として良くない働きとなってしまう。
恐るべきものとそうでないものを、私たちはきちんと見分けないといけない。ネガティブ本能のせいで何でもかんでも怖く見えてしまう世の中だが、不安の99%は起きないという言葉があるように、おおかたのことは起こらない。ただ見聞きする情報が、ネガティブ本能によって恐ろしいものだけ入手しやすくなっているだけである。
恐ろしいことはそうそう起こらない。その前に正しい情報を精査し、行動を起こすのならば冷静になってから決断する。著者のような人でさえ、頭が恐怖で満たされると事実を見られなくなってしまうのだから。

過大視本能

9という数字は1桁の数字ならばいちばん大きい。だが比較対象が100とか10000なんて数字だった場合の差はあまりにも大きい。最初に見たものを基準に考えてはいけないのだ。小象が象の基本的なサイズだと認識してはいけないのだ。比較対象として他にも複数の象を見て、多くの象の平均的な体格を見て、ようやく最初に目にした象が子どもであると理解できるように、数を目にすることも大切である。平均を知るために、割合も知っておくと良い。ここでもやはり、両極端ばかり見るのではなく平均、中間を見るべきだ。

パターン化本能

赤い果物といえばリンゴだが、緑色のままおいしく食べられる青リンゴもある。黄色のリンゴだってある。赤いリンゴ以外はリンゴではない、という分類が過ちであることは誰の目にも明らかだが、そういった間違えたパターン化は世の中思いのほか多い。
赤いリンゴの中にある青リンゴは確かに異端で、違いは目に見える。それは事実。
赤いリンゴと青リンゴを並べたとき、それは同じリンゴであるという共通点もある。これも事実。
赤いリンゴと真っ赤なトマトの違いは多い。形も柔らかさも匂いも、育つ過程も違う。これも事実である。
赤い丸い食べ物はすべてリンゴだとパターン化して理解してしまうことは間違いなのだ。
たとえ赤い丸い食べ物はすべてリンゴ!という意見が過半数あると言われても、その過半数は51%なのか99%かでも話は変わる。
それでも私たち人間の中には、「赤い丸い食べ物はリンゴ!それ以外ありえない!リンゴじゃないという意見を持つやつはバカ!」と自分以外全員バカと決めつける者も少なくない。これもある意味、自分以外全員バカとパターン化しているのだろう。生きやすい人生ではあるのかもしれない、孤独を感じない人なのだろうから。

宿命本能

諸行無常とはよく言ったもので、この世に変わらないものなんて何もないというのに、自分に関わりがないところ(もしくは変わってほしくない、変わるわけがないと勝手に思い込んでいるところ)は変わっていないと思ってしまう。多くの国々は貧困から脱そうとしているし、脱するための手助けをしてもいるのに、なぜか貧困国は貧困のままだと思っている。努力は実を結ぶと言いながら、実を結んだ現実を目の当たりにしていない。的はずれな、ごくごく一部のまだ貧しい部分にのみ着目して口にする「ほら、変わってない。変われるわけがないんだ」という言葉はあまりにもごう慢が過ぎる。
変化を知るためにはつねに学びが要る。その学びを嫌った時点で、私たちは変わっていく。良くない方へ。誰がそんなことを望むだろう。より良い未来を望む人が大多数なのに、なぜ私たちは私たちとその他大勢の人々がより良い未来への変化を歓迎しないのか。
単なる無知なら知ることからはじめていきたい。知らないことは恥ずかしいことでもなんでもないのだから。

単純化本能

なんでもわかりやすいもののほうが好かれる。けれども世の中、そう単純ではない……なんてわかっているのだけれど、単純な方がわかりやすくて喜ばれる。誰に喜ばれるのか、と考えてみる。理解しようとする方だろう。理解しようとする方は、何かを与える側に多い。何を与えたら喜ばれるのか。考えてはみるけれど、考えれば考えるほどわからなくなるから、単純にパターン化してみる。その答えを補強する意見だけを聞き入れて、やっぱりコレという単純な答えに着地をする。
単純さはわかりやすくて誰にでも喜ばれる。なんて思い込んでいる時点で危うい。単純な見方と答えは、誰の目にも明らかな罠でしかない。率先して罠にかかる必要はもうないのだ。それは罠だと、私たちの先祖が築き上げてきた歴史から学べる。
なら難しく考えればよいのか? そうではない。多くの人々の答えをたくさん集めてみると良い。たくさんある答えの種類から、最適な答えを二つ三つ四つといくつも採用してみれば良いのだ。私たちの世界は数学に彩られているが、答えは一つではない。

犯人捜し本能

悪の根源とはいうが、根は一本ではない。その根の形成には過去がある、歴史がある。悪の根源がもう二度と悲しみの花を咲かせる必要がなくなるように、間違いを防ぐための仕組みを作らねばならない。悪の根源は何を間違えたのか。根を張る場所か、他者と関わり合う関係性か。もしかすると原因はまったく無関係なところにあるかもしれない。しかるべき状況であれば、誰も悪になる必要がなかったかもしれない。答えは単純ではない。単純な答えこそ危うい。悪の根源、犯人はコイツだ!という決めつけこそ危険思想なのである。そうなってしまった複雑な原因を探っていこう。

焦り本能

いつやるか? 今でしょ! 大いに流行した。善は急げ、たしかに一理ある。
もしその気持ちが浮かんだとき、同時に焦りも生じた場合には立ち止まったほうがいい。深呼吸をし、データを確認し、アテにならない未来の予測は無視をして、改めて「いつやるか?」と自分に問いかけても遅くはない。検討材料がそろって、万全を期した上での「今でしょ!」でじゅうぶん間に合う。その後に積み重ねていく地道な一本が確実なものになるぶん、不安な胸中のまま焦って決めて走り出した人たちよりもいずれ先に進んでいける。

本書の冒頭には13の質問がある。世界中で頭が良い知識人とされる人々でさえ、全問正解者がいなかったという。(私は13問中3問正解した)
質問の言葉は平易で、誰にでも理解できる文章である。答えは三つの選択肢から選べばいい。だからランダムに選んだとしても、極端な話(極端な話は本当は良くないのだが……)、チンパンジーに質問を見せて三つの答えをどれか選ばせたところでも、正答率はおおよそ33%。13問中4問は正解する。
著者が14カ国に住む12000人にテストをしたら、5問以上正解した人はそのうちの1割しかいなかったというデータが巻末にある。1200人か。ランダムに選んだ場合よりも、チンパンジーの答えよりも、正答率が低かった人々がはるかに多い。
なぜか。
その答えが本書で記されている。
日々報道されるニュースの内容がほぼコレなのだ。

本書を読んでいるあいだは、実はわりと心が落ちついた。CMなどでよくある※効果は個人差があります、という注釈はもちろんつけるが、思いのほか効果はあったように思う。いわゆるビジネス書に本書が該当するのならば、ビジネス書は情勢や不安定な世の中に対するちょっとしたおクスリになるのかもしれない。世界への見方を変えて、正しい情報を取得するといい。その教えだけで、ちょっと安心が生まれた。
ただ、本書の主な著者は2017年に亡くなり、本書が日本で初版が刊行したのは2019年である。ここ数年の世界の変動を、ハンス・ロスリング氏が目の当たりにしていたらどう思うのだろうか。

FACTFULNESSをFACTFULLNESと見間違えていたところから、私の世界の見方は変わった。ように思える。変わったかどうかはわからない。変化は目に見えては起こりにくいが、確実に、ゆっくりと少しずつ、けれども確実に、良い方に向かって起きるのだ。


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