【短編】箱庭

 高校の社会科研究室には、箱庭があった。ある先生が自分の机の脇にもう一つの研究机を置き、そこにブルーのシートをかけて、どこかの砂漠か鳥取砂丘かから持ってきた砂を敷いて、「誰でも、いつでも作っていい箱庭」にしていた。隣には腰くらいの高さの飾り棚があり、飲料のオマケの小さな人形だとか、生徒からもらった世界各地の小さな土産物だとか、百円ショップで売っているような小物だとかが並べてあった。
 その頃暗くじめじめとした小説ばかり読んでいた私を腫れ物のように扱う代わりに明るく「よお文学少女」と呼ぶその先生に対して、他の大人に対してよりも深く親しみを感じていた。それでよく、特別な理由もなく、先生がいるタバコ部屋(その頃はまだ喫煙室というような設備はなく、何かの研究室の一部屋が喫煙者へあてがわれていた)に顔を出していた。タバコ部屋には雑然としたテーブルと申し訳程度の数脚の椅子が置いてあって、いつも何人かの、どちらかというと気だるげなタイプの先生がいて、いつも誰かが持ち込んだ何か新しい物があった。そこで私は綺麗な模様のからくり箱を開けたり、真鍮でできた不思議な地球儀の矛盾点を探したり、オチのないギャグ漫画の良さを聞いたり、乳房の形のゴムボールのグロテスクさにケラケラ笑ったりした。私は運動部と文化部を掛け持ちしていたし、それなりに友人と遊んだりもしていたはずなのに、放課後のことを思い出そうとすると、タバコ部屋の黄色っぽい風景が最も鮮明に浮かぶ。
 それで、ある日タバコ部屋で先生が言ったのだ。「そうだお前、箱庭作ったらいいよ」
 箱庭が何かのセラピーにもなる行為だと知ったのは随分後になってからだ。私が割り箸や定規を使って作る建築物や橋のような何かや、砂に均等に描いた線を先生は褒めてくれたし、「境界」や「狭間」という存在についてとても敏感だったその時期の私には、自分の手の内でその象徴を作るというのは大変に面白いことに感じられた。
 その頃に一度、私は唐突に「死のう」と考えた。なぜだったのか、思い出せないくらいだから、原因にそれほど事件性はなかったのだろう。ともかく私は「死ななくちゃ」という思いに囚われた。それで、最後なのだからと、誰もいない社会科研究室で(誰もいなかったということは、もしかしたらまだ授業中だったのかもしれない)、砂の上に渦の形になるように、竹串を撒いた。それ以外の何も置かなかった。
 そのまま駅まで行って各駅停車に乗り、特急が一番スピードを出して通り過ぎる駅で降りた。人目につきにくいホームの一番端で、私は電車を待った。でも、なかなか特急列車はやってこなかった。すると携帯電話が鳴った。先生だった。「大丈夫か」と先生は言った。それで私は、なんだ、箱庭は私を自由にしてくれるのではなく、私を箱庭の中に入れておくためだったのか、と理解した。それでとても馬鹿馬鹿しくなって、特急を待たずに次の各駅停車に乗り込み、二度と箱庭は作らなかった。
 でも、他の沢山のことは忘れてしまったのに、今でも時々、あのさらさらの砂を集める時の、ブルーシートのざーざーという音を、懐かしく思う事もある。

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