【遊び短編】果汁100%

絶対に、誰にも言わないでくれよ。幸田さんのことだ。サークル内で唯一、お前は人が傷付くようなことをしない人間だって信じているから言うんだ。
幸田さん、手袋してただろ。あれ取ったところ、お前は見たことある?俺も今までなかった。変だとは思ってただろ?肌が弱いって言ったって、何もメロンパン食う時まで白い手袋してるなんて、考えてみれば妙だった。まあ人間いろんな形の弱さがあるもんだし、ここには触れないでって言われてわざわざ掘り下げるほど仲良くもなかったから、何も言わなかった。

でも偶然、ほんと偶然だった。この前の雪の日だよ。学生も先生もまばらで、授業は一限の始まる直前に休講が貼り出された。お前は来てなかったろ?サークル部屋にも誰もいなかった、幸田さん以外には。俺は初めて二人になったんで、何かしゃべらなきゃって思った。幸田さん、きれいなひとだし、正直に言って仲良くなりたいって思ったんだよ。

そんで、挨拶みたいな感じで、どこ出身ですか、って聞いたんだ。そしたら幸田さんは、ファンデーション買ってきてくれって言うんだ。は?だろ。雪がびしゃびしゃ降ってる日に、買い物を、しかもファンデーションを他人に頼むなんて。そもそも俺は出身地を聞いたんだ。質問はスルーで、男の俺に、ファンデーションを、だよ。なんでですか、って聞いたら、取れてきちゃったから、雪でってさ。もしかして幸田さんってちょっと狂ってるのかなと思ったら、急に二人でいることが怖くなってきた。でもまあ、断る理由もないし、むしろ出るのにちょうどいい理由になるし、コンビニのでいいですか、色とかなんか指定あります?って聞いたんだよ。自分で買いにいけない理由もききたかったけど、それはなんかまあ、嫌味に聞こえるかもしれないし、狂ってるひとに何か物申すのってちょっと怖いじゃん。それでメーカーは問わない、ピンクとかイエローとかの付かないただのオークルでお願いします、って三千円渡されたんで、傘さしてコンビニいったんだよ。そしたらちょうどオークルが売り切れてて、ピンクオークルってやつにしたんだ。それを持って幸田さんところに戻って、すみません売り切れててピンクのやつなんですけど、って言っておつりと一緒に渡したら、まあちょっと眉をしかめて、それでも礼を言ってくれたよ。そのまま席を立ってしばらくして戻って来たら、幸田さんの肌の色が変わってるわけ。顔だけじゃなくて、首とか、鎖骨とか、肌が見えてるところ全部。そのピンクオークルって色がまた、ちょっと色気があるというか、窓の外の雪の白さに映えて綺麗に見えたんだよ。で、ちょっと幸田さんの後ろの棚に用がある風にして、隣に席を移ってさ、さっきの質問ですけど、幸田さんってどこ出身なんですか、ってもう一回に口に出した。そしたら、本当に知りたいですか?って。これが、綺麗に笑うんだよ。神々しいというか、雪の日で、ここには二人しかいなくて、多分この後には誰もこの部屋には来なくて、密室感があって、まあ期待は膨らんじゃうよね。たとえ狂人だったとしてもいいかっていう。で、知りたいです、って言って、手を握ろうと思って彼女の手袋に手をかけたんだよ。右手の手袋を半分まで下げたら、オレンジ色だった、手が。ピンクオークルが手の甲から途切れて、その先はジュースみたいなオレンジ色だった。みたい、っていうより、それは液体だったんだよ。俺もちょっと狂いかけてたんだろうな、その手を持ち上げて、吸ったんだ。そしたら、そのまんま、オレンジジュースの味がした。幸田さんは微動だにしなくて、全部飲まれると困るんです、なくなっちゃうので、とだけ言った。まあ、それが彼女がサークルに来なくなっちゃった理由だよ。その雪の日以来、連絡も取れない。
え?ああ、結局、彼女の出身が和歌山なのか、愛媛なのかは最後まで教えてくれなかったよ。でも多分、あの味は愛媛だと思うね。

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