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シガーに委ねた深層に開高健との邂逅の真相を辿る《本厚木Sun faceの後編》

前編↓↓↓

待ち合わせ場所は本厚木駅の改札前。集合したヨシクラ夫妻とちひろと私の四人は、ヨシクラさんが予約してくれたお店を徒歩で目指す。

年末の暴挙を詫び、楽しみにしていたことを伝えた。最初の一杯を交わすまでに何を話すか逡巡しながら歩いていたが、久しぶりの本厚木の街並みに思考を委ねることにした。

人通りが多く賑やかだった街の通りは、商店や歓楽街が減り、ビルやマンションが建ち並び、街の方向性を決めかねて誰かの決断を待っている様子だった。

「俺がこのビルの家賃払ってるんだぜ」

と、借金をしてまで風俗ビルの下から上までをハシゴして足繁く通っていた友人を思い出していた。

「お前が大金払ってたビルな、跡形もないぞ」

と前を行く三人を見ながら思い出の友人に挨拶をし、泡沫の夢を見た気分に入り始め、今日は良い夜になりそうだと思い耽る時間で徒歩は終了した。

そのお店は夜の存在を教えてくれるように、少しだけの灯りで迎えてくれた。

用意されていたカウンターの席に四人で並び座った。横並びでも声が通る静かな距離で、決して会話を邪魔しない店内の明るさと雰囲気だった。

ヨシクラさんは、馴染みのお店に入り、この夜の期待から自然と口角が上がっている。この日と、このお店を信頼しているのが見て分かる。人の楽しそうな姿を感じることは、時間の緊張をほどいてくれる。

「あの絵、マスターが書いてるんだよ」

ヨシクラさんに誘われるように私は、少しだけ見上げて絵を見ていた。

「絵を見るときは、どうしてこの絵を描きたくなったかを考えるの。それがあなたにとってのその絵の意味になるのよ」

自身も絵を描く女性が、私に教えてくれたことを思い出していた。私は、絵を描くこの女性の方に興味があったのだが、うまくあしらわれて終わってしまった。今になって、絵を見て考えるという時間の使い方を知り感謝している。

マスターが描いた絵は、暗がりから一つの手掛かりが覗いているような、そのエネルギーを掴みかけていて、だけどそのままを感じるだけでも良いと言っているようだった。

自分でも、何を考えているのかと恥ずかしい気分で俯いたが、伏し目の私に飛び込んできたのは、ショーケースのようなガラスのカウンターの中に雑然としているように見える、偽札や峰不二子のフィギュアだった。

上目遣いで未来を感じ、伏し目で欲望を知る。

この空間を、上下の視線だけで誘われ、語らずとも考える雰囲気に心が躍らない理由がなかった。

最初のビールを終え、ヨシクラさんが次を薦めてくれる。誘われた私は、正直に胸のうちを明かす。

「私は、次はどの道へ進めば良いですか」

私は、マスターの案内を待っている。

「Sun faceのオリジナルカクテルにしましょう。食事にも合います」

決して多くを語らないマスターは、「両手を縛っている」職人だと感じた。

エキゾチックと呼ばれるオリジナルカクテルは、ハーブからくる香りと、後味に少しだけ残るグリーンカレーの風味で本当に食事を助けてくれた。食べるために飲むのか、飲むために食べるのか分からなくなるくらい、体内から喜んだ。

鹿肉を赤ワインでいただきながら、横でちひろが「マリアージュですね」と興奮している。ちひろの繊細な舌は、飲むもの、食べるものの敏感な味の感覚を察知する。

マスターとヨシクラさんの会話に身を寄せているとあることに気付いた。

マスターは、自分のお店を自分のお店の名前で呼んでいる。

何度も、Sun faceと呼んでいるのを聞いた。

「うちの店、この店」と多くの人がそう伝えるが、自分のお店を名前できちんと添えている人を初めて見た。

この人は、お店と一緒に物語を創っていると感じた。私までもが名前で呼んであげたいと感じてしまう。

良い時間だなと思っていた。

食事も一段落し、ヨシクラさんは葉巻を薦めてくれた。私は、薦められた一本の葉巻を吸うことにした。

マスターは、シガーカッターで吸い口をV字にカットしてくれた。煙をいっぱい吸えて味わえるということだった。

葉巻は、一分に一回位吸うのを目安にし40分くらいかけて吸い終わるのが楽しいとヨシクラさんは教えてくれた。

「途中で火が消えても愛嬌だ。それを再び着火し直す所作の時間がまた乙なんだ」

時間の楽しみ方を知っている人の言葉は、遊び心に溢れている。私は羨ましいなと葉巻を咥えた。

ゆっくりと吐き出す。その煙を見ながら自分を掴もうとする。この時間が好きだと本当に思う。

一筋の消えそうな煙を見ながら、ヨシクラさんが私に尋ねた。

「開高健を君に聞いてから読んでるんだ。日本語の意味を調べながらね」

ヨシクラさんは、私のために開高健を読んでくれていた。辞書で意味を調べながら。それが何を意味するか。正面で人の心を突くことをされると、途端に人は言葉を紡げなくなる。心の中の感謝を伝えきれなかった。初めて会った年末の酔って溢れてしまった文学への想いを汲み取ってくれていた。

涙が出そうだった。が、溢れなかった。

ヨシクラさんは、若い時代にカメラをずっと好きで続けていたらしい。奥様のことも撮影して残しておきたいと思ったそうだ。

カメラをやめたきっかけは、被写体の奥様が自分の撮影した写真より、現実の方がキレイだと分かったからやめようと思った。とのことだった。

世の女性は妄想でも現実でもいつも私の前ではキレイでしかないと、年中欲望に負けてしまっている私にとって、この台詞は生涯口にするかわからない台詞であり、生涯忘れられない台詞になった。

ヨシクラさんの奥様は、この日も静かに隣にいて時折眠り、話しに頷いて楽しそうにヨシクラさんのそばにいた。

お揃いの時計を見せてくれ、苦労かけたからと
労っているのを横で見ていて、私は葉巻の火が消えているのも気付かなかった。

マスターは、チョコレートを一つ一つ説明してくれた。ヨシクラさんは、お酒とチョコレートと葉巻の組み合わせの楽しみ方を教えてくれた。

私は、オレンジの味がするチョコを食べブランデーを飲み、再びゆっくりと円を描くように火を付け葉巻を咥えた。ほんの何秒の所作で葉巻に近付いた気がした。横でニコニコしているヨシクラさんの意図に沿うように、どう探しても笑顔がこぼれない理由はなかった。

横でちひろがまた「マリアージュですね」と感動している。ちひろは、この先、自分のお店で「マリアージュ」と連呼し、自分のお店の女性客をいったい何人喜ばせるのだろうかと想像した。

私は、「マリアージュ」とは結婚の意味ではなかろうかと思い、お酒とチョコレートと葉巻という三位一体をちひろは許容しているのかと考えていた。

であるならば、早く私に似合うマリアージュを紹介して欲しいと願っていた。あと五人位。

グラスの上の砂糖漬けレモンを先に口に含みゆっくり噛み締める。そこにブランデーを流し込み口の中で調和させて味わうニコラシカというカクテルをいただいた後、最後は本当に優しい水割りで締めた。

シャルトリューズヴェールの水割りは、常温で優しく体内に届く。ハーブを感じるおかげかリラックスしながらも、次の日の力をくれているようで、酔いを増長し誘うようなものではなかった。

「味はもとより、お酒はもとよりだけど、飲食店は僕に気付きをくれるんです」

ヨシクラさんは、最後にこう教えてくれた。

「皆さんに育てられて続けられています」

と、マスターは本心の言葉を続けた。

ちひろは、今日の日を忘れないと仕切りに言っていた。きっと少しの「気付き」があったのだろう。

彼は活かすと思う。

私へのマリアージュも忘れないで欲しいものだ。

釣りの話をするときは両手を縛っておけ

開高健はこう遺した。私はこの日出会った人達に引き算の美学を味わった夜だと感じ、時間の本質とその創り出し方を学んだ。多くの伝えきれないことは、次に会った時で良い。それが食事を共にすることだと教わった。

終電間近の相模線に乗りながら、深夜に連絡出来る女性がいたら良いのにと考えずにいられなかった。

私は、この言葉を残したい。

女性の話をするときは両手を拡げて迎えてくれ

ヨシクラさん。
「私は書き記すことをしたい」と心から伝えることが出来て良かったです。

ありがとうございました。

文学は死なねえぞと開高健に
今日の日の現実と煙に巻く世界へ

なんのはなしですか

本厚木 Bar Sun face 


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