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沖縄の歴史

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沖縄の歴史についての記事です。
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記事一覧

御後絵に描かれた国王衣装の考察

前回の記事で琉球国王の肖像画「御後絵」に描かれた国王の衣装は明代と清代では異なると紹介し…

本部流
1か月前
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見つかった琉球国王の肖像画「御後絵」とその所有権

御後絵(おごえ、沖:ウグイ)は琉球国王の肖像画のことである。第二尚氏王統の歴代国王の御後…

本部流
1か月前
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沖縄の空手家の名字の読みの問題

沖縄には本土にはない独特な名字があります。たとえば、今帰仁(なきじん)とか仲村渠(なかん…

本部流
3か月前
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沖縄の空手家の名字の読み方

最近、島袋龍夫(一心流開祖)の名字を「シマブクロ」と読むのは間違いで、「シマブク」と読ま…

本部流
5か月前
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義村御殿、浦添御殿、本部御殿の血縁関係

昨年秋、那覇にある義村御殿のお墓を訪れた。これまで何度か紹介してきたように、義村朝明の長…

本部流
8か月前
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開化党ー沖縄の鹿鳴館グループー

開化党は、琉球王国(琉球藩)の滅亡後、日本による琉球併合を支持したグループである。これに…

本部流
8か月前
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御殿言葉 ー沖縄の宮廷言葉ー

以前、ある本を読んだとき、本部朝基が話すシーンが小説風に描かれている箇所があって、そこで本部朝基が唾を飛ばしながら荒々しい口調でしゃべっていた。 本部朝基が特に唾を飛ばしていたという話は聞いたことがないし、たまに唾を飛ばすくらいなら誰にだってあるであろう。 この著者は、掛け試しのイメージから本部朝基は野卑なしゃべり方をしていたに違いない、と想像したのかもしれない。 しかし、本部朝基とじかに会ったことのある門中の本部澄子(朝勇孫)さんや他の古老の人たちによると、「サーラー

小城按司と伊野波按司

これまでアメブロやnoteで何度も紹介してきた義村朝義は、義村御殿の次男であった。ところで、…

本部流
9か月前
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本部御殿の初代・本部王子朝平

本部御殿の初代は第二尚氏王統第10代・尚質王の第6王子、唐名・尚弘信、和名・本部王子朝平で…

本部流
10か月前
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琉球王朝の末裔

2016年のことである。ヤフーのトップニュースに、「ある女優は琉球王朝の末裔」という記事が出…

本部流
11か月前
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琉球の花押

2016年6月3日、遺言書の花押を印の代わりと認めないという最高裁の判決があったという記事をネ…

本部流
1年前
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琉球士族と刀

下の広告は、明治33(1900)年10月29日の琉球新報に掲載されたものである。内容は具志川朝及が…

本部流
1年前
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御殿

御殿(うどぅん)とは、琉球王家の分家の称号である。日本の宮家に相当する。御殿のもともとの…

本部流
1年前
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琉球刀

中国の故宮博物院には、琉球王国から清の皇帝に贈られた琉球刀が十数口現存している。このうち、6口が2008年に沖縄県立博物館・美術館で開催された展覧会で、沖縄ではじめて展示された。 琉球刀といってもその実体はほとんどが日本刀である。専門家によると、中国皇帝への貢ぎ物として薩摩を通じて日本刀が調達されて、それが贈られたらしい。 もっとも刀身は日本製だが、鞘や柄などは琉球側で製作されたり、一部に手を加えられたりしたものもある。 これらの刀の大半は、薩摩拵の打刀か太刀であるが、