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ガラスの靴 (短編青春恋物語)

それでさ、俺ってほら経験豊富じゃん?
お前と同じ17歳には見えないじゃん?
お前、5センチくらいの距離でサイの角って見たことある?
俺?俺かぁ……っあるんだなぁ!
いいよ、経験なんて焦んなよ、学生ってのはモラトリアムだよ。
アフリカはいいぞぉ、行ったことないけど。
そんでよぉ……ん、なんだ、あれ

ーーおい、あそこ見てみろよ。

「え……」

不意に電車が横を通り過ぎる。
車窓から伸びた蛍光灯が、僕らの足元に影を落とし続けた。

ーーほら、あそこだって、首落ちの側溝んとこ!あそこで何か光っただろう?

「そうなの?」

ーー行ってみりゃわかる、よれたサラリーマンの帰路じゃあるまいし、
もっと目を開かないと駄目だぜ?お前も首から落ちんぞ

網のない側溝には、確かに光るものがあった。
その内に太陽の残り滓を宿して、懐かしい色に染まっている。

ーー拾ってみろよ

「僕が?」

ーー経験はできるうちが花ってね、お前さ、そんなこともわからないと将来知れたもんになっちまうぜ?
お前消毒液とか一気飲みしたことないタイプだもんなぁ

「ガラスの靴だね、一足しかない、持ち主はどこへ消えたんだろう」

つまらなそうに

ーー魔法が解けたんだよ

と呟いた。

そうか、解けるタイプの魔法だったのかと僕は思った。

サラリーマンが不信そうに僕らを見て通り過ぎていった。

ーーなんか書いてないのか?サイズとか、名前とかそういうの、
てか、本当にガラスの靴なんか?

僕は人類が発見して計測したであろうあらゆる角度からガラスの靴を眺めた。
反射して眩しくなることもあったけれど、それはまた角度を変えることによって抑えることができた。

「持ち主に関わる情報はないね、それに、ほらこの音聞いてよ、ガラスだよね?」

ーー俺は別に驚かないけどね、ガラスの靴でも、俺って暇なときよく街灯引っこ抜いて遊んでいたし、そういう経験がタフにしてくれたよ、ただ引きはするな、頭の中に絵本でも移植された人間の持ち物だろうな、間違いなく、匂いはどうよ、女の匂いするか?

これが女性のものだ、と考えたら妙に胸がウズウズとした。
風邪の前触れみたいに熱が体内に一気に籠って、少し息が苦しくなったような気もした。

それでも僕は、まるで壺に入った水を仰ぐようにして飲むみたいに、ひんやりとしたガラスの靴で鼻を覆った。

「くっさ」
でも僕の体のあちこちで小さな爆発が起こっているのを感じる。
踵からくるぶしにかけて連鎖的に爆発して、お腹、胸、指先、肘
首、頬、頭まで来ると強力な静電気で髪の気が逆立ったような錯覚を覚えた。

ーーは?マジのすけ侍の徳川慶喜?ちょっとかがせてみ、っやべ、こりゃやべ世界保健機関に連絡すべき事態だ、お前英語話せる?俺少し風邪気味で今話せないんだよね

「いや、僕は元から話せないよ」

ーーくぁ、それにしてもきっついな、
あれだ、一度嗅いだことがあるな、うーん、あ、そうだ

手をポンと打った表情はようやく晴れた空のようだった。

ーーあれだよあれ、久しぶりだな嗅ぐの、腐ったチーズを3カ月間密閉した容器の底辺りをダイヤモンドの鋭い角で削った時に出る匂いだ

「どっちも嗅いだことないからわからないけど、それはどっちの方がくさいの?」

ーーそんなの決まってるだろう?それを持っちまった俺の手が一番臭い

彼は笑った。

あれ、なんかおかしいな、変なめまい。
逆立った髪の毛が全部空に吸い込まれてしまったような気分。

鬱屈としていた学生生活。
僕の友達は目の前の友人一人。
名前はホラフキリンタロウ。彼はなんでも知っていて、なんでも僕より経験している。
宇宙で使えるボールペンを開発したって言うし、夕飯は裏山の湿った土の炒め物が一番テンション上がるらしいし、生まれてから一度も右足の親指の爪を切ったことがないのに、しっかり靴のなかに収める収納術だって持っている。

ホラフキリンタロウ君は、いつも僕に同じことをいう。
ーー学校のやつらは、てんでお話にならないな、金魚に似ていると思うんだ、お前も賛同するだろう?それなら俺は何かって?俺はそうだなぁ、木星人ってところかな、この学校で唯一俺が話してもいいなって思えるのはお前だけだよ、ほんとの話

僕はホラフキリンタロウ君を尊敬しているけれど、今は物凄く遠くにいるように感じた。

明日も学校も修学旅行も、もっとずっと先のことが、でたらめに混ぜた絵具みたいにぐちゃぐちゃ。

「あ、それ」
後ろから女の人の声が聞こえる。

「はい?」

「わわわたしのです、かかかえしてください!」

足元を見ると片方の足にはガラスの靴がはまっていた。
ホラフキリンタロウ君は声もでない。

僕はそっと、返した。

「ありがとう、足が痛くてしょうがなかったの」

女性はガラスの靴に足を入れこもうとする。

「あれ、浮腫みかな、入らない、ずっと裸足で歩いてたから無理させちゃったかも、え、そんな太ったかな?」

両手で顔を抑えはじめた。
「あれ、太ったかな、太ったかな、太ったかな、太ったかな、太ったかな、太ったかな、太ったかな、太ったかな、太ったかな」

がしゃんと、靴が砕けた。
僕の心臓ががしゃんと言った。

「恋したかも」

ーーそりゃあ、すげぇや、そればっかりは俺でも経験したことないな、案外あの靴はお前の足にはまったかもな







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