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エンドロールで流れないから

例えば、と考える。

例えばあの夜、急に君の小指に触れられていたら、暗いワンルームに朝日がさしたりしただろうか。退廃的ドラマチックに、わたしと君は、ベランダでカップスープを飲んだだろうか。君の髪が光に透ける様に、たまらなくなって掻き抱いても、笑って許して、優しくしあえただろうか。

スクリーンの中で、彼女は「Maybe(あるいは、)」と口元に人差し指を寄せる。圧倒的な美しさ。挑発的な可憐さ。ブロンドの髪が、夜の闇を瞬くように光って揺れる。

ふと、キャミソールの袖からむき出しの、自分の肩を見た。スクリーンに映し出されている色が、淡くにじんで肌に溶け込んでいる。光は混ざりあっても、黒にはならないんだ。美しい水彩絵の具もすべて混ぜるとおぞましいドブ色になって、洗い場の前で呆然としたのは、小学生のわたしだった。



つきあうことになったんです。
あの日、彼がどんな顔をしていたのか、わたしは知らない。見てないから。見たくなかったから。パソコンのキーボードを打つ指は、血が通ってないみたいに冷たくなっていくのに、動くのをやめられず、わたしは知らぬ間にブラインドタッチを会得していた。ドッドッドッという音が近い。心臓は、きっと耳元にあるんだ。

それは、それは、いいことだね。
ブルースクリーンの光がメガネに反射していた。喉がカラカラで、舌がもつれていないか不安。それでもなにか言わなければ、と口先から出た言葉の、なんと可愛げのないことか!思わず舌打ちをし、ハッとして、ごめん、と謝ってから削除キーを連打した。おめでとう、が予測候補にでてこない。

好きなんですよね、と聞いた時から、いつこの人に心をぐちゃぐちゃにされてもいいように備えてきたつもりだった。手を握る。掌に薬指の爪をたてる。痛い。我慢できる。大丈夫。繰り返し唱えて、耐震補強にも努めてきた。

もし彼に向けていた感情の終わりならば、映画のようにうつくしいエンディングが流れて、わたしは否応がなしに、突き放してもらえたんじゃないか。明日もわたしは彼と会い、熱っぽい言葉の数々を受け止める。きっと、ずっとそうだ。

好きだよ、わたしも。

あ、と思った。口から出た瞬間に後悔した。本来、その先を夢みて振り絞るはずの勇気を、わたしはいま、奈落に落ちるために振り絞ったんだと悟った。キーボードを叩く音も、暖房によって唸る風の音もなく、ひゅっと彼が息を飲んだ音だけが大きく聞こえて、わたしの肩が跳ねた。

なんで、なんで言うんですか、それ。

正しくびくつき、その息ひとつで、わたしはポンと押し出され、真っ逆さま。暗転したままの映画、エンディングも最悪に決まってる。

僕を好きなままで、友だちでいて欲しかったのに。

ほらみろ。涙もでなかった。



「大丈夫ですか?」

声に、はっとする。映画は終わっていて、劇場は明るい照明の光で満ちていた。シートからはほとんどの人が立ち上がって、出口に向かって階段をおりている。口々に、「感動したね」とか、「ラストの演出がさ」とか取るに足らない感想をいい、残ったポップコーンを流し込みながら。大丈夫ですか、といった男の人は、大きな体を折り、こちらを伺っていた。

「あ、大丈夫です、すみません、あの。」

足をぎゅっとシートに引き寄せて、前を通れるようにスペースを作った。声の主は、微笑みの奥に迷惑と呆れを忍ばせて横切っていく。鼻から吸って口から深く吐く。浅い呼吸を、深く深くできるようになるまで繰り返す。足に力を入れられるように、手の痛覚を、だんだん下ろすイメージで頭の中をいっぱいにした。

落ち着いてスマートフォンの電源をいれると、新着のメール通知がいくつかあり、1件だけ横スワイプで表示を消した。例えば、いまの非表示モーションが右から左じゃなかったら、見れたんだろうか。

上から下へ流れていかない、君の名前を、まだ見られない。

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