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母の料理を思い出す、午後5時のスーパー

「あっ、ブリが安い」
 スーパーで値段を見て、つい口に出してしまった。ハッとして、口元に手をあてる。ああ恥ずかしい。母にそっくりな言い方。母のことはきらいじゃないのに、どうしてか似てきた部分を恥じてしまう。理由は、たぶんない。

 母はスーパーで献立のメインになる食材を見つけると、決まって「あっ」と立ち止まった。そして、それが特別安くなくても「安い」と言ってカゴに入れた。お決まりの動作。

 私がいまスーパーで見つけたブリは、本当にいつもより安かった。分厚い切り身が3つで198円。東京のスーパーではなかなか出会えないお得感がある。気を取り直して、わたしは鮮魚売り場をキョロキョロした。探したいものは、目の前にある切り身ではない。

 あっ、あった。ブリのアラ。

 丁寧に並んだ切り身とは違い、ぶつ切りにされ、ぎょろりと濁った目玉が混じってぎゅうぎゅう詰められたブリのアラ。ちょっと怖い。切り身3切れと同じ値段でも、その質量は倍以上にずっしりしている。ほしかったのは、これだ。
 わが家は母と肉の相性が悪かったせいで、魚料理が食卓のまん中に鎮座することが多かった。母とは逆に、父は肉喰らいなので、もちろん肉料理も食卓に乗った。が、味はイマイチだった。味見ができないせいで、味付けが濃かったり薄かったり安定しないし、なにより焼き加減が最悪だった。焼き過ぎなのだ。一度、焼きすぎてパサパサになった鶏肉に我慢できなくなり談判した弟に、「だって、生焼けは怖いやんか」と母は釈明した。彼女に料理される肉は気の毒だなあ、と思ったし肉料理の日は食が進まなかった。

 ただ、魚に関しては別格だった。母はきちんと、その扱いを心得ていた。海の街に生まれ育った、彼女の目利きは最高だった。器用に魚をさばくし、味付けも、調理の仕方も、その魚に最適な方法が選ばれていた。肉料理と違い、美味しいからよく食べたし、魚の食べ方もうまくなった。
 魚はアラのほうがおいしい。「切り身はお行儀よく食べなあかんけど、アラは骨の周りがいちばんやから、チューチュー吸ってもええよ」とは、母がよく言った言葉だ。

 今日は、ブリあらを甘辛く煮付けよう。大根と一緒に。

 わたしの料理の腕は、母によって鍛えられたものだ。そのおかげか、まわりの女の子たちより、魚の扱いは心得ている。
 ブリのアラは、塩と酒をいれたお湯でサッと湯通しすると臭み消しになる。こってり味をつけたいときのタレの比率は水3:酒3:砂糖1:しょうゆ1。「だいたいこれぐらい」と母がドボドボやってるのに、なんとなく便宜上、わたしなりに数字を当てはめたにすぎないのだけど、これが案外、失敗しらずで、“こってり”させたい他のものにも応用できる。

 スーパーで匂いまで想像できて、お腹が一気に空いてきた。空腹が音に変換される前にレジを通り抜けて家路につきたい。
 サッと、目の濁っていないブリのアラを見つけてかごにいれ、大股で他の食材を探しに行く。こってり甘く煮付けた魚に、母ならなにを合わせたか考える。

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最後まで読んでくださりありがとうございました。スキです。

ありがとうございます。また書こうって原動力になりました。
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まりさん

日々の出来事を思い出して文章にします。95%のフィクションと、5%のノンフィクションをまぜて、忘れないようにするのが趣味。

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