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★ 母死して(番外編)

 一人暮らしを望んだ母が自分の家の中で死にました。風呂に浮かんだ状態で発見されたのは3日後でした。警察の検死の結果は心臓の発作でした。葬儀は家族だけで行われてお骨は未だ母の家に置かれています。納骨は行われる予定ですが日付は決まっていません。

 悲しみ?、それはありません。誰も涙は流しませんでした。近いところに住む弟夫婦は早々に葬儀場を決めました。葬儀屋に電話して簡素な葬儀を依頼し、当日は子供たちを連れてやって来ました。皆、お決まりの黒装束ではありましたが誰も母の思い出について話す事は無く笑顔で冗談を言い合っていました。火葬場へ行き、葬儀屋が用意した弁当をつまみ、1時間半待つと放送で呼び出されて骨壺に骨を入れました。それで終わりです。

 家に残された多くの食器類、それはほとんど使われないままに棚に収納されていた物でしたが、自治体の指示に従って半透明の袋に雑に詰められて回収されました。いくつかの古い棚も壊されて燃やすゴミになりました。近所から数人が訪れて線香をあげて行きました。居間に残るたくさんの薬、冷凍庫の中の賞味期限切れの食品、買いすぎた調味料、貰い物のタオル、なぜかどの棚からも出てくるハサミ。全て処分されました。 

 母は確かに少し前まで生きてそこにいました。そして80年と少し前から生きていたと断言できます。その人生の時間の全てではありませんが、何割かは私が見ていましたから。ですがその記憶も曖昧で既にモヤがかかったようになってしまいました。

 母は息子の私から見ても妙にトゲトゲして生きていた気がします。他人からじbがどう見られるかを気にしていましたし、家の小さな庭に草が生えるとだらしなく見られると言って腰が曲がってからも細かい草の芽をいつもむしっていました。地面に苔が少し生えたのも気に入りませんし、庭木の枝が伸びると高いところに登って切りました。その結果、庭はいつも土が露出していましたし、太く大きく育ってよく実をつけていた枇杷は枯れてしまいました。そうした姿を目にする近所の人からは几帳面と思われていたようですが、他人から見えない家の中身は使われる事の無い物に溢れていて乱雑でした。そして朝から晩までテレビの前に座って過ごす時間が長く、いつも寝るのは深夜でした。


 過去に私は母に離婚を勧めた事がありました。先に亡くなった父が理不尽で暴力をふるう事が何度もあったころにです。父は心のどこかにコンプレックスを抱えたまま生きているようでしたがそれが何故かはわかりません。その事が家の中で父を暴君にしていたと考えられますが、母はそれに耐えて生きていましたから見かねて離婚を勧めたのでした。ですが母は離婚しませんでした。当時の私にはそれが理解できませんでした。

 後になってわかったのは、父の暴力や横暴に耐える事こそが母の人生そのものになっていたという事です。攻める父と耐える母は私が意識した時には既にワン・セットで強く噛み合っていて引き剥がすとどちらの人生も、生きる事さえも成り立たないほどになっていたのです。父のどんな横暴よりも暴力よりも、その事実はどうにも理不尽で何とも仕方のないものだったのです。それ無しにはもう生きられないほどの母の人生の重大な要素になってしまっていたのです。

 そして父が亡くなった時に母の人生は転機を迎えます。もう耐える必要が無いのです。母の生活は変わりました。もう何もすべき事が無くなってしまったのです。その後に残ったものは他人に対するちょっとした見栄と山ほどの不要品。それだけです。母の死はそんな生からの解放だったのでしょうか?

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