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釜山冒険記。


僕は海外旅行に行くたびに何か1つ大やらかしをしてしまうのだが、今回は数ある中から1つを紹介したいと思う。


海外へ行こう!

大学1回生から2回生にまもなく変わろうかという春休み。僕は大学で知り合った友人3人と海外旅行に行く約束をしていた。

それまで海外に行ったことは2回あった。でも、それは学校の行事としてだったので旅行ではなく研修という名目だった。もちろん、行く場所は決まっている。すでに決まってるタイムスケジュールを渡されてそれに合わせて行動するだけだった。それでも海外に行けるだけで楽しかったのだが、今回は全部自分たちで決めることができる海外旅行ということでかなり高ぶっていた。

男4人で釜山にいこうと決めたのは春休みに入る直前だった。もともと、春休みに海外に行こうという話を4人でしていた。ただお金もないので安く海外に行けるなら韓国だということで初めはソウルに行こうとしていた。

テスト期間中にテストのやる気を出すためにもチケットなどいろいろと手続きを済ませてしまおうと1度4人で集まった。その際、僕らは釜山の方が飛行機のチケット代が安いことに気が付き、とにかく海外に行くことが目的だったので安いに越したことはないと目的地を釜山に変更した。飛行機のチケット、ホテルの予約をしてそれぞれテストを頑張って乗り越えようと鼓舞し合い解散した。

その時、おれ、本当にこいつらと海外に行くんだと思った時に感じたことのないふわっとした感覚が体を駆け巡ったことは今も覚えている。


釜山上陸

その日が来た。今から俺たちは釜山に行くぜ!

朝はかなり久しぶりの早起き。初めての関西国際空港。

この時からなのだが、飛行機に乗るために来る空港が僕は好きだ。空港という場所自体が好きだと思っていたけど、飛行機に乗るためにという前提がないと駄目なことにちょっと前気が付いた。この感覚が誰か伝われば嬉しい。

そんな訳で、気持ちは昂りまくっていた。荷物検査をして搭乗口に入り飛行機に乗り込んだ。僕らを乗せた飛行機は飛び立ち、待ちに待った釜山に到着した。

空港に到着して1番最初に気になるのはニオイだ。こんなに違うもんなのかと思わされた。

とにかくホテルにチェックインしようとみんなで向かった。僕らはなぜかチャレンジャーでWi-Fiをもっていかなかった。行かなければならない場所は日本で調べてスクショしたものを当てにして動いていた。それほどお金をかけないことを考えていたんだろう。

空港から電車に乗ってホテル最寄りの駅までたどり着いた。ここでラッキーだったのは空港の駅で悩んでいた僕らを見て日本語を話せる韓国人お兄さんがいろいろと教えてくれたこと。ここから最寄りまでどうやって行けばいいのかや、釜山はこんなところでどこにいくといいかなど。気さくに話してくれて僕らはものすごく助かった。あのお兄さんがいなかったら一生空港だった。

ちょっと苦労したが、何とかホテルにたどり着いた。しかし、ホテルについても驚きは止まらなかった。なぜなら僕らが泊まるホテルは夜の街のど真ん中にあったからだ。ちょっと歩けば、何人もの金髪ロシア美女たちが手招きしている道に出るのだ。

ホテルの通り沿いにずっと立っている韓国人のおばちゃんもいた。そのおばちゃんはすれ違う度にぼくらに話しかけてきた。「10万ウォン、10万ウォン。S○X、S○X。」といつも言ってきた。僕らは断り続けたが、断り続けるを悪く思った友人の1人が具体的に話を聞いてあげるとロシアのお店の勧誘だった。その友人は結局お断りしたが悪いと思ったのか、コンビニで買ったチョコをあげて僕らの方に帰ってきた。それ以来、こいつらはお金にならないと思われたのかどれだけすれ違っても話しかけられることは全くなくなった。

僕らが宿泊したホテルの部屋もダブルベッドがひとつと豪華な浴室があるだけだった。むちゃくちゃ安くてラッキーだと思っていたけど、ここもしかしてラブホなのかという疑問が4人の頭に同時に浮かんだ。でも、ホテルの人は優しくてベッド分の毛布しかなかったので人数分もらえますかというと文句ひとつ言わずに用意してくれた。それが余計にこのホテルがどっちなのかがわからなくしてしまった。


いざ、観光

釜山に来たのはいいものの僕らは何の予定も立ててなかった。特に行きたいところもなかったが、ひとつだけ決まっていたことがある。それはたらふくグルメを食すこと。ここでしか食べられないものや本場の味を堪能しようととにかく食べることだけにはストイックだった。

食も文化の1つだと思うので、今思えば良い観光の仕方だったのではないかと思う。

本当にいろんなところに行った。焼き肉、冷麵屋、韓国料理屋、海鮮、屋台飯、マクドナルドなどなど。晩御飯3食食べる日もあった。日本人が良く来るので日本語のメニューがあるお店にも行ったが、地元の人しか行かなさそうなお店にもガンガン入っていった。僕は比較的なんでも食べれるタイプなので常にお腹いっぱいだったが、友人はものによっては全く食べられないものもあったりと食文化の違いを感じる瞬間もあっていい経験だった。


もちろん、食以外にもザ観光地みたいなところにいった。釜山タワーに行ったり、どでかいモールに行ったり、チャガルチ市場に行ったり、若者が買い物するようなストリートにも行ったし、カジノにも行った。ちょうどその時期はマーベル作品の『ブラックパンサー』が公開されるくらいの時期だったので、その舞台の1つでもある釜山にブラックパンサーの像が置いてあって一緒に写真を撮ったりもした。タクシーの安さにも驚きながらいろんなところを巡った。



悲劇の始まり。

この旅行は2泊3日だった。3日目もうあとは帰るだけの時間。お昼を食べて、時間つぶして空港まで行こうかとみんなで話して昼ご飯を食べた。

昼ご飯を食べながら残りの時間は各自したいことをしようと決めた。僕はお土産を買おうと思っていた。2人は最後またカジノで楽しみたいと、残り1人は僕と同様買い物したいということだったので集合時間と場所だけ決めて二手に分かれた。

僕らはどでかいモールで買い物をした。ちょうどそのとき平昌五輪が開催されていてオリンピックグッズが売っているブースがあったので記念にそこで買い物をしようと思っていた。

そのブースを探しているとVR体験コーナーをたまたま見つけた。お金もだいぶ余っていたし、面白そうだったのでやることにした。僕はバイクレースのVRで遊んだのだが、ここからが悲劇の始まりだった。

このVRを体験したことで乗り物酔いをしてしまった。小さい頃から乗り物酔いをしやすい体質なのでやってしまったとは思ったが、酔いの覚まし方も知っているので何とかなると思っていた。


いつものように落ち着かせようとするもまったく気分の悪さが治まらない。むしろ、どんどん悪化して行っている。どうにか歩くことはできるが明らかに顔色は悪くなっていった。一緒に買い物していた友人からも大丈夫かよーと言われ、ちょっとまじやばいわーと笑い合いながら誤魔化していたが限界が近づいていることを感じていた。

早めに集合場所に着いた僕らはカジノ組を待っていたのだが、そこで限界を迎えた僕はトイレに行くことを友人に告げて駆け込んだ。そして、お昼ご飯で食べたチゲが胃の中から逆流し大便器に姿を現した。当分トイレにこもっていたが、少し回復してからみんなの元に戻った。チゲが体に合わなかったのか、入っていた豚肉に火が通っていなかったのかなと思いながら空港へ向かった。


おかしい。体が明らかにおかしい。もどしてしまった理由は他にあるのか。いつもならもどしてしまった後は回復していくはずなのに、一向に体が回復していかない。水すら体が受け付けない。胃の中は空っぽのはずなのにどうして。空港へ向かう電車に乗っている時間はかなり長かった。その時間は僕にとってかなり苦痛だった。友人も僕がここから回復していくだろうと思っていただろうに、最初はやらかしたなぁ~と言っていた時の表情から笑顔は消えていた。

なんとか空港にたどり着いたのだが、1番の心配は搭乗口まで入ることができるかだった。とにかくこれ以上容態が悪くなるより先に入ってしまおうとついてすぐに搭乗手続きをした。特に止められることもなく、搭乗口まで行くことはできたが、早く入りすぎたので待っている時間はずっと苦痛だった。早く飛行機に乗って日本に帰りたいと目をつむりながらひたすら思っていた。友人たちは優しい人しかいないので、心配して水を買ってきてくれた。

体が回復していかないが、悪化していくのも止まった気がした。ここからなんとか体調を回復させていきたいと思っていた。僕は胃が空っぽなのもよくないかなと思い、その水を少しずつ飲んで飛行機を待っていた。すると突然吐き気が襲っていた。誰にも何も言わず、1人でトイレに駆け込む。再びもどしてしまった。


ダメだ。しんどすぎる。こんなにしんどいことは経験したことがない。胃に何か入れてはだめだ。とにかくおとなしく時間が過ぎるのを待っているしかないのか。


みんなのところに戻り、またかましてしまいましたと報告すると飛行機搭乗アナウンスが流れた。



エチケット袋

飛行機ではずっと寝ていようと思っていた。座った瞬間に寝て、目が覚めたら関空。そうなることを願って眠りについた。


目が覚める。CAさんが何か言っている。やっと関空だ、日本だ。そう思ったのも束の間、「ビーフorチキン?」と尋ねられた。晩御飯の時間だった。

胃の中に何か入れてはいけないとわかっていたので、「いらないです。水だけ下さい。」と伝えた。寝たことで少し気分が良くなったのでもらった水をゆっくり飲んでいこうと思った。

しかし、事態はそんなに甘くなかった。

体調が悪そうな僕をみたCAさんが僕のことを心配してしまったのだ。すごくありがたいことだが、僕としては正直ほっておいてほしかった。CAさんはまずお水を持ってきてくれた。その次になぜか炭酸水を持ってきて、飲むように言われてた。そして、薬と水を持ってきて飲むようにと言われた。最後にお湯を持ってきて飲むように言われた。

短期間でそれらを飲んだ僕は当たり前のように気分が悪くなった。そして、人生で使うことなんかあるわけないと思っていた座席の前に挟まっているエチケット袋を使わざるを得なくなった。

今でも覚えている。パンパンになったエチケット袋の映像。あれは忘れることができない。そして、すこし感心してしまったことがある。それは水、炭酸水、お湯、錠剤しか胃になかったので嘔吐物がまったくの透明だったこと。飛行機で胃に入れたものが全くそのまま出てきたのだ。人生で初めて使ったエチケット袋に出したものは人生で初めての透明な嘔吐物だったのだ。我ながらモザイク処理しなくてもいいじゃんと思えるほどだった。

それは置いておいて、もどしてしまった僕を更にCAさんは心配し始めた。隣に座っていた日本語を話せる韓国人夫婦もさすがに心配してくれた。ここまで衰弱しきっていると体は本当に言うことを効かなくなる。体を動かすこと自体疲れるし、何もしたく無くなる。

CAさんはとなりのおばさんに僕をみておくようにいった。おばさんはどうしてこうなったのか聞いてくれたりと僕が少しでも落ち着けるようにしてくれた。胃が悪いとわかると、このツボを押すと良いと言って左手の親指と人差し指の間の部分を強く押した。あまりの強さに弱り切っていた僕でも「イッタい!!!」と声を荒げてしまった。

戻ってきたCAさんは熱々のおしぼりを僕に渡してくれた。手を拭こうとしていたら隣のおばさんがそのおしぼりを取り上げて僕の顔を拭こうと顔におしぼりを押し付けてきた。あまりにそのおしぼりが熱すぎて、「あっつい!!!」と声を荒げて、手を振り払ってしまった。今思うと感謝しなければいけないとは思うが、あまりにそのおしぼりが熱すぎたのは忘れることができない。拷問かよと思ってしまったのは事実だ。

あとで友人から話を聞くと飛行機内でCAさんは慌てふためいていたそう。僕らはバラバラの席で座っていたのだが、CAさんが「痛い人がいます、痛い人がいます。」と通路を往復していたらしい。友人は僕の体調不良を知っていたが、まさかねぇと思っていたらしい。でも、それは僕だった。



帰国

空でも大やらかしをした僕であったが、なんとか関空にたどり着くことができた。

到着した段階で、CAさんたちが僕のもとに駆けつけて僕が1番最初に下ろしてもらうことになった。飛行機の出口に向かうと車いすが待っていて、そこに座った。付添人はいるかと聞かれて、3人のことを話すと3人が呼ばれてやってきた。僕は関空のスタッフに車いすで運ばれ、3人はそれについてきてくれた。もう外に出れると思いきや検疫所に運ばれた。初めての経験だったのだが、そこで感染症に感染していないか確認されて大丈夫とのことで外に出してもらった。

僕はもう動くことができなったので、最終手段として東海地方にある実家から母親に迎えに来てもらうことになった。3人とは終電もあるのでそこでお別れになった。

母親に来てもらい関空のそばにあるホテルに泊まったのだが、夜寝ようにもあまりにしんどくて寝れない。体温を測ると40度を超えていた。これもまた初めての経験。ホテルの方に救急で行けるところがあるかと尋ねたが、近い所でも長い事待つことになるとのことだったので言っても状況は変わらないと思いとにかく寝ることにした。

朝、目が覚めると昨夜比べて体調は改善していたがまだまだ気分はすぐれなかった。水は飲めるけど、本当にすこしずつじゃないと怖くて飲むこともできなかった。何かを胃に入れるという行為がここまで怖かったことはこれ以前も以降もない。実家に帰る電車で4人のグループLINEで皆に申し訳なかったとLINEしたのだが、僕のほかにも1人謝っている友人がいた。それがなぜかはわからなかった。

実家に帰って病院にかかったのだが、検査を色々と受けると胃の中にいる細菌の数値が2,3個通常値の3倍くらいになっていた。食あたりだった。

何か当たるものを食べたかとお医者さんに聞かれて考えてみると、これだなと思うものがあった。それはチャガルチ市場で食べた生牡蠣だ。安く結構な量があったのでみんなで食べた牡蠣だった。牡蠣は皆で食べたのになんで俺だけあたってるんだと思った。


グループLINEで原因を報告するとみんな納得していた。話を聞くと、僕以外に謝っていた友人は京都駅に帰る電車で気分が悪くなり、京都駅について瞬間にもどしてしまったといっていた。残りの2人も家についてから体調が悪くなり、高熱が出て何度ももどしてしまったと言っていた。

今となっては笑い話だが、あのときはものすごくしんどかった。そして、あまりに汚すぎる話なので、僕は笑い話として話しても笑ってもらうより引かれてしまうことが多いのが何とも残念なのでここに書き残しておこうと思った。

この経験を通じて学んだ事がひとつある。

それは、


海外で生牡蠣食うな!!

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