moyashi

「井上もやし」です。自分なりにテーマを決めて,文章を綴ってみます。

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みうらじゅんフェスのこと 〜この収集魔・分類魔は牧野富太郎だ!〜

9月23日から、仙台市で「みうらじゅんフェス」が開かれていることをSNSで知りましました。 みうらじゅんさんを積極的に追い掛けたことはなかったのですが、いつも気になる存在でした。学生時代、就職した頃のJICC出版「宝島」でお名前をよく見掛けしていたし、 講談社「見ぐるしいほど愛されたい」(昭和61年刊)を手にしたことで、私の心の奥底にみうらさんが潜むことになりました。熱狂的なファンではなく、ずっと「平熱的なファン」です。みうらじゅんさんが「タモリ倶楽部」に出ていれば見る、

    • 財テクから新NISAの時代へ

      兎に角、踊らされてはいけない。やはり自分で考えて、自分の余裕資金で計画的に進めないと、結局、普通の庶民は馬鹿を見るだけだと感じる。だから、バブル期の平成元年暮れに日経平均株価が3万8,915円87銭(終値)を記録し、その記録が破られるのは時間の問題と言われている現在にこそ、冷静さと客観性が大事だと思う。それで、自分自身の今までの経験と世の中のこととを簡単にnoteに書いておきたい。 昭和58年4月に私は就職した。ホントに田舎(福島県東白川郡)に住む極々普通の教員であった。世

      • 映画「福田村事件」〜エンタメとドキュメンタリーとの間で〜

        遅ればせながら、映画「福田村事件」を10月12日(木)にフォーラム福島で鑑賞しました。テアトル新宿などと比べて、3週間遅れの公開で、こちらの公開期間は2週間だけでした。私が見たのは、フォーラム福島での最終上映回ということになります。 一言で言うと、重苦しい映画でした。ドキュメンタリー映画が専門の森達也監督が初めて撮った劇映画とのことです。何故、重苦しいかと言えば、史実に忠実に描こうとしているためか、ほとんど笑いがないのです。昭和の映画には「涙と笑いと裸」がありました。映画の

        • みうらじゅんフェスの余韻 〜驚異のMJ版「般若心経」〜

          今も、おとといに鑑賞した「みうらじゅんフェス」の熱が全く冷めません。とにかく、あの物量にやられました。完璧主義者です! 超人です!! いや、偏執狂です!!! 私が一番驚いたのは、MJ版「般若心経」です。そう、仏教系の学校で暗唱させられたり、写経として書かれたりする、「『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』観自在菩薩/行深般若波羅蜜多時…」で有名なあれです。 みうらさんは、身の回りにある看板やポスター、表示板にある文字を撮影して集め、般若心経を作り上げていったのです。一種のコラージュ

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        みうらじゅんフェスのこと 〜この収集魔・分類魔は牧野富太郎だ!〜

          2023年の「1984」

          ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984」を基にしたコミックは、私の知っている限り国内で4種類出版されている。その中で、昨年、出版されたいそっぷ社版の評判がすこぶるよいので、amazonで購入した。 実は、私が大学の卒業論文としてテーマにしたのが、「オーウェル『動物農場』の寓意性について」である。高校生の時に、井上ひさしの小説にノックアウトされ、風刺小説の魅力に惹かれた当然の帰結である。オーウェルのエッセイ集や実体験を基にした「カタロニア讃歌」「パリ・ロンドン放浪記」、そ

          2023年の「1984」

          別冊宝島のこと

          YouTube「『博士の異常な対談』【月イチ博士と町山】8月号第7話」を見ていたら、パンチラ写真やパチンコ雑誌で名を馳せた末井昭氏の話題と共に、「別冊宝島 おたくの本」が町山智浩さんの口から紹介されていた。 別冊宝島…。僕らの「シン・岩波新書」だ。昭和の終わり頃から、平成の前半あたりまでは最強の入門ムックであった。RCサクセションやYMO、ビートたけしなどのロングインタビューが売りの雑誌「宝島」を販売しているJICC出版(後の「宝島社」)が出す初心者向けムックだからつまらな

          別冊宝島のこと

          原発事故を覚えていないのか?

          原発再稼働? 8月下旬,岸田総理はオンラインでGX(グリーントランスフォーメーション)実行会議に出席し、各方面に原発の積極活用策に舵を切るよう指示したそうだ。それ以前にも,経産省資源エネルギー庁では原発再稼働や新規建設についての策定が進められてきたと報じられている。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉通り,東日本大震災による原発事故や東海村のJCO臨界事故を忘れてしまったのかと愕然とした。原子力はまだまだ人間が簡単にコントロールできるものではない。青森県六ヶ所村の核燃料再処理

          原発事故を覚えていないのか?

          水道橋博士還暦祭の前と後と

          8月18日に,浅草花やしき「花劇場」を会場として,お笑い芸人・水道橋博士が還暦を迎えたことを祝う生誕祭が開催された。これについては,ネットニュースでも報じられたし,多くの方がnote等で素晴らしい記事を書いているので,私はその「前後」について書いてみたい。還暦祭自体は,博士が還暦を迎えたことや7月に参議院議員に当選したことを芸人仲間,そしてご家族が博士に祝福のメッセージを送る形式であった。それは非常にベタに見えながらも,さながら令和のフジ「オールスター家族対抗歌合戦」で,一族

          水道橋博士還暦祭の前と後と

          やっぱり浅草キッドは最強だよ!

          たけし軍団の三軍メンバーから出発した漫才コンビ・浅草キッドは,誰が何と言おうと,私にとっては最強&最凶なコンビなのだ。6月に55歳となった東京都新宿出身のボケ担当・玉袋筋太郎さん(以下,玉ちゃん)と,間もなく還暦を迎える岡山県倉敷市育ちのツッコミ担当・水道橋博士さん(以下,博士)のコンビだ。今年は二人にとって激動の年となった。それは,初孫が誕生して玉ちゃんがおじいちゃんとなったり,博士があれよあれよという間に参議院議員となってしまったりしたからだ。 私は,日本テレビの「スー

          やっぱり浅草キッドは最強だよ!

          「平和」という奇跡を起こそう!

          noteを相互フォローしている井ノ口人さんの記事を読んで,「HEIWAの鐘」という曲を知った。私は畑違いなので初めて知ったのだが,合唱コンクールでよく歌われる合唱曲らしい。この曲では,「ぼくらの生まれたこの地球(ほし)に奇跡を起こしてみないか」「君が一人立てば変わるのさ」と歌っている。確かに平和は奇跡なのかもしれない。人類の歴史は戦争の歴史,平和な期間は本当に短い。でも,人類はその愚かな行為から,どうすれば戦争をなくせるかも考えてきた。その1つの結論が日本国憲法の前文や第9条

          「平和」という奇跡を起こそう!

          「世界は一家、人類は皆兄弟」

          言わずと知れた笹川良一氏の言葉である。日本船舶振興会(現・日本財団)の元会長にして、右翼の大物とされる。還暦過ぎの私くらいの年代では、「♩ 戸締り用心、火の用心〜」や「お年寄りを大切に」などを訴える日本船舶振興会のテレビCMが沢山流れていたことを覚えているはずだ。 安倍元総理銃撃事件に関連して、旧統一教会と自民党等の議員とのずぶずぶな関係が連日報じられらようになった。その話題の中で、統一教会の創始者・文鮮明氏と笹川良一氏との暗躍ぶりにも注目が集まっている。また、統一教会は、

          「世界は一家、人類は皆兄弟」

          東北の片隅で,戦争反対を叫ぶ

          小学生に歴史を教えてきて小学6年生の社会科では、日本の歴史を学ぶ。私は,その最初の授業で「何故,歴史を学習するのか?」と児童に質問してきた。児童は,ほぼ「知識として」「先祖のことを知るため」などと答える。それは,間違いではない。でも,私はこう話してきた。「人間は愚かだから,同じような過ちを繰り返さないために歴史を学ぶ。特に戦争は愚かなことだと思う。」と。11歳程度の子どもたちの心には届かなかったかもしれないが,そのような気持ちで教えてきた。 敗戦後,我々の住む日本は幸いなこ

          東北の片隅で,戦争反対を叫ぶ

          プロレスがそばにあった頃

          プロレスとの出会い子どもの頃から,プロレスが大好きだった。物心が付いたときには,金曜日の午後8時に祖母が興奮しながらモノクロテレビにかじりついて,三菱電機提供の「プロレス中継」を見ていた。昭和30年代の終わりの頃である。父も母も,そして私も一緒に観戦していた。だから,三代続いてのプロレスファンである。残念ながら,私の息子たちにそれは引き継がれなかったが。笑 書き出したらそれこそ際限がなくなるので,今回も概観的にプロレスについて気ままに書いてみたい。勿論,日本で「プロレス」と呼

          プロレスがそばにあった頃

          山本コウタローよ、安らかに

          山本コウタローさんが亡くなったことを、今朝、ニュースで知った。昨日、note記事を書いたから、飽きないためには、次に書くのは数週間後か数ヶ月後でよいだろうと思っていたが、コウタローさんの思い出を少し書いて、供養としたい。 私が小学生の頃にソルティー・シュガーの「走れコウタロー」という大ヒット曲があった。ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」と並び称されるコミック・ソングの代表曲だ。でも、私にとってのコウタローさんはTBSラジオ「パックインミュージック」のパーソ

          山本コウタローよ、安らかに

          ハガキ投稿という趣味があった頃

          メインはハガキ何か用事があれば電話やSNS等で済ませてしまい,昨今は封書やハガキを投函することがめっきりと減った。だが,Windows95が爆発的に普及する以前は雑誌社や放送局などに投稿する方法はハガキが最も一般的であった。言い忘れたが,私は1960年(昭和35年)の生まれである。ハガキ投稿にまつわる一つ一つの出来事が非常に濃く,そのときの気持ちにも触れながら細かく書きたいところではあるが,今回は初めてのnote公開でもあるので,まずは概観的にあっさりと書いてみたい。 憧れ

          ハガキ投稿という趣味があった頃

          はじめまして

          皆様,初めまして。「井上もやし」と申します。定年退職を迎え,ほぼ無職です。noteが徐々に浸透してきていることを感じます。私も,自分が思ったことや経験したことなど,テーマを決めて書いていければと思っています。どうぞよろしくお願いします。

          はじめまして