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老いた猫、老いた母と手の写真

コロナ禍でなかなか母と会えなかった中、昨年夏に母が大腿骨頸部骨折した。
リハビリで歩けるようになり、9月末に自宅退院。
3か月経った年末年始に休みが取れたので、久々に京都の実家を訪れる。
86歳になる母はおしゃれ好きでグルメ。
買って帰るお土産にことごとく文句をつけるため、彼女が唯一喜ぶお花を買って帰宅した。

お正月仕様。

普段は京都に住む姉達と妹に母を任せきり。
年に数回しか帰省できない私に合わせ、大晦日に姉妹全員集合し楽しい時間を過ごした。
妹が実家に持ち込んだ2匹の猫はすっかり年老い、ソファーで丸くなっている。

2匹のニャンズ。

若い時はドタバタ走り回り、とんがってシャーシャー言っていた彼女たちもおばあちゃんになった。
彼女たちが若かった時は、スリッパをプロテクターとして履いていないと猫パンチがあちこちから飛んできて、足が傷だらけになった。
たまにしか現れない私には懐かず、私の鼻もまた彼女たちの毛にアレルギー反応がでた。
まだ時々猫パンチが飛んでくるけれど、静かに寝る2匹を見て時が経ったと感じる。

私を見ても怒らなくなったニャンコ。左足を引きずるようになった。

母はというと、こちらもまた寝ている時間が増え、退院時に杖1本ですたすた歩けていたのが、杖2本でよちよち歩きになっていた。
記憶力がさらに低下し、新しくものを覚えられないのに相手を質問攻め。
しばらくして同じ質問をして、娘たちからツッコまれてシュンとしている。
少し会わない間に母の老いも進んだと感じる。

妹は、認知症予防にと話かけたりトランプをしたり工夫してくれている。
私もトランプに参戦するが、30年以上していないせいでルールをさっぱり忘れていた。

3人で七並べ。

母は「大富豪」のルールは理解できないが「七並べ」は理解できるレベル。七並べで勝ったと喜んだり、カードを出さずに意地悪したり。
久々に笑う彼女を見てホッとする。

一歩一歩、人生の下り坂を降りる母。
これ以上長生きはしたくないと、延命の希望はない。
いつまで元気でいられるか。
そろそろ、永遠の別れに向けて心の覚悟を決めないといけない。
老いていく姿を残したくないと、写真撮影を一切拒否する母。
それでは手の写真を撮らせて、とお願いした。

50年近く使っているテーブルに、母の手と私の手。

手は、その人のこれまでの人生を映す鏡。
その人の「生きる営み」を良く感じられる部位だと思う。
よく働いてしわくちゃな手。
お手入れされてつるつるな手。
骨ばったセクシーな手。
ぽっちゃりした可愛らしい手。
その手で食事し、家事をし、仕事をする。
愛する人を抱きしめる。
一人として同じ手をした人はいない。

母は、歩くことはサボりつつ、爪の手入れは怠っていなかった。
母として、妻として、女性として優等生だったんだろうと思う。
私たち4人を育ててくれた母。
この手で私たちを育て、料理を作り、外に出るときは必ず化粧しておしゃれをしていた。
いつか、この母の手がこの世から、私の人生から消える。
そう思うと、言いようもない寂しさが私の心を覆いつくす。

母へ。
私を育ててくれて本当にありがとう。
今は、年を取る大変さを私たちに教えてくれているんだね。
母という存在は偉大だと、改めて思っています。
いつか来るあなたとの別れ。
「葬儀も墓もいらない、遺骨は海に撒いて。」というあなた。
「何で手の写真を撮るの」と疑い深い目で私を見たけれど、同じ時間を生きていた証として、あなたのことを覚えていたいから写真を撮りました。
あなたを思い出したい時に墓も無い、写真も無いじゃ寂しいから。