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時間を消費する

直したいと思う習慣がたくさんある。疲れるとただYouTubeを見ながらひたすらにゲームをしてしまう。何も考えたくない、何もしたくない、でもゲームはしたい。そんな毎日。仕事の時間の前後をいかに有意義に過ごすか、ということが自分の目標達成のためには必要なのだが、なぜかそれができない。自分で選択しているはずなのに「やらない」ではなく「できない」と言ってしまう。多分「仕事のせいでできない」と言い訳したいだけなのだ。

ただ、それをやめたところで、とても無理をした生活になり、以前少しだけ症状が出ていた強迫性障害のようになるのではないか、と思ってしまう。「こうあるべき」に縛られる世界、それができない自分に落ち込み続ける日々でとても辛かった。むしろ「やらない」ことを選択するのも必要ではないか、と自分を慰める。

でもどうして、こんなに不必要なことに時間を消費してしまうのだろう。周りを見渡しても、仕事の時間は仕事に、それ以外の時間はひたすらゲームや生産性のないことに費やし、気づいたら寝て、起きたらまた仕事という生活が溢れているように感じる。

みんなが時短勤務になって、少し考える時間や立ち止まってさまざまなものを見るということができたら、この世界はもっと良いものになるのではないか、と思う。いやむしろ時短勤務を強制するのではなく、時短勤務「も」できる、少し疲れた人はそちらを選んでも、良いですよ、保障しますよ、という、頑張れば頑張ったほどお金をもらえますよではない世界に住みたいと思ってしまう。それは社会主義なのだろうか。こういう話題を母に話すと、じゃあ誰がそのお金を出すの?と言われてしまう。確かに。でも低賃金で働いている人のお金までも政府に搾取されて、というのは何か違う気がしてくる。私は働けば働くほど、精神的にも経済的にも、生活が苦しくなっているような気がする。

私は飽き性だ。多分側から見ると引かれるほどの飽き性だ。特に時間を消費するためのいわゆる「推し」というものに関しては、本当に飽き性だ。一時期は性加害問題で問題となった事務所のアイドルや、アプリやアニメでしか出会えないアイドル、擬似恋愛ゲームのキャラクターなど、いろいろなものを好きになり、そして半年後には眼中から消えた。

本当に飽きたというのが大きいと思う。同じような映像や音楽を草食動物が草を反芻するようにただ繰り返し繰り返し見て、最初の頃は元気や勇気、夢を与えられる。でも少し経つと、それがただ時間とお金を浪費するだけの理由となり、自分が叶えたい夢や現実世界には何の関係もないことに気づく。それがとても辛く、いつも最後は心が離れてしまう。

ただ生きているだけ、仕事をしてお金を稼ぎ、自分の生活基準を少しずつを向上させる。隙間時間は推しに消費し、なんとか持ち堪える。そんな生活に私は満足しない。結局何か大事なことを忘れて生きているように見えてしまう。平和ボケというと少し言葉が辛辣かもしれないが、現実逃避のためだけに、そういったものを用意されているようで、胸糞悪いと思うことも多い。

もっとみんなが目を開いて生きたら、少しはこの世界に希望が差し込むのだろうか。もう8時間労働を強制せず、6時間労働にしてほしい、そして余った時間でこれからの未来について考えていくのはどうだろうか。24時間のうちの休憩を含め9時間も強制され、中には残業もさせられ、仕事仕事仕事。やっと休める時間は寝るかスマホいじりやゲーム。こんな生活で目を開くなんて、絶対に無理だ。

社会のことなんてどうでもいい、考える時間がない。自分の生活で精一杯。そんな毎日に「させられている」のだとしたら。私は絶対に嫌だ。そうはなりたくない。

推し文化も結局、自分たちの現実から目を逸らすためだけのものではないか、と思う。

そしてみんなそんな推しにひたすらに依存し消費しなんとか生きる、なんかそれっておかしくない?と思うのだ。Instagramを見ていると、可愛い格好をして、ホテルの一室に気持ちの悪いほど集めた缶バッチ(私は集合体恐怖症だ)やグッズを並べ、祭壇のようにした画像が、さまざまな「推し」を提供しているもので見かける。

「どうしてそこまでして依存してしまうの?もっと自分のことや社会のことを見て生きないの?」という心の中のおせっかいなおばさんが出てくる。それだけの時間やお金を消費して、得られるものが誰かの「いいね」だとして、それで幸せなのだろうか。数年後にただ眺めるだけの思い出となって、それで良いのだろうか。

人それぞれ、なのかもしれないけれど、でもそうではなくてもっと社会について考え、生きることも、私たちの生活には必要だと思う。推し文化にお金を使うよりももっと有意義な使い方があるのではないか、と、自分もたくさん消費してきたからこそ思う。そのために政府はもう少し、自由な時間を私たちに与えてくれ、と願う。

この記事は、とても尊敬する友人のnoteの記事を読んで、さらに思いを強くした。彼女の記事や考え方、研究はひたすらに面白い。もっと聞きたい、読みたいと思う。これからもずっと応援している。私に目を開かせてくれて、ありがとう。