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いいなあ

たとえば本を読んでいたり、誰かと喋っていたり、SNSを眺めていたりして、ふと漏れる心の声。「いいなあ」と思った時は立ち止まるようにしている。それが羨望なのか、嫉妬なのか、「それやってみたい」なのか、「それやってみよう」なのか。どれがしっくりくるかを考えてみる。ひっかかるにはそれなりの理由があるはずで、自分の欲を探るヒントになると思うから。

各種SNSアプリを渡り歩くためだけにiPhoneを握りしめる自分にうんざりして(それに浪費した時間も相当なものだ)先日見かけたこの図を思い出した。

ミレニアル世代の最古参な年齢である私としては、どのSNSにも[居心地がいい自分]を感じていたのは確かで、同時にSNS疲れもうんざりするほど経験した。全世界に向けて自由に発信できるはずが、いつの間にか[当たり障りのないこと]を[ウチ=鍵付き・フォロワーのみ]と[ソト=友達の友達=全世界]のどちらかに向けてしか呟けない不自由さを感じている。

たとえばさ、たとえばだよ。志半ばに中退した元同級生が見るSNSで「もうすぐ卒業だ」とか書けない、そういう人なんですよ。就活してる友人のいるアカウントで「就職祝いのランチ」とかね。気遣いができるとかではなくて、自分だったら傷付いてしまうから。単に想像力が豊かで、人を傷つけたくないと見せかけて自分が傷付きたくない。境界線があやふやなだけ。

まとまった文章を書く練習をするためにnoteに参入したはいいものの、ここだって誰が見ているか分からない。機能不全家族とか、生きづらさとか書いちゃってさ、現実で私を知っている人が見たら敬遠するのではないだろうか。すまんね。思考をまとめて脳の外に放流することで[自分に折り合いをつけている]のです。世界とつながっていたいのです。不快であれば、そっと画面を閉じていただけると有難い。逆に興味があるならば「noteのアレってさあ」と話題に出してもらっても構わない。

以前働いていた職場で「あなたはブログをやっているから」という理由で(勤務中も含め)上司に無視されたことがあった。Yahooブログだったかな、具体的な出来事には触れず、もちろん職場や自分の個人情報も明かさず、その日の景色と、感じたことを書いていたのだが、気分が沈んだ、憤りを感じたと書くだけで問答無用に職場の悪口とみなされた。「mixiやFacebookは繋がってるから構わない、それ以外のSNSは監視しきれないからやめてほしい」とのことだった。あとで聞いた話だが、Twitterも見られていたようで休日の動向が筒抜けだった。蓋を開ければ、それは独占欲と嫉妬だった。

趣味の分野が閉鎖的なヲタク空間だったこともあり、女の嫉妬が火種となってSNSを介したストーキングをされたことは何度もあるし、私もこの[顔色を伺う特技のせい]で誰かの投稿から行間の外にあるものを一方的に読み取ってしまう癖がある。その根底にあるものは「いいなあ」なのではないか。「いいなあ」を分析することで、深読みする被害妄想を改善できればと思う。

[誰か]に読んでほしい。しかし[誰]に読んでほしいわけではない。[誰か]の目を気にせずに感じたことを書き留めておきたい、そういう居場所が欲しい。

今のところ、ここでは関心の海に漂っていられることがとても心地良い。さて、おせち作ってこよう。

思考を整理して[ひとまとめの文章]にする練習をしています。気になった歌詞、言葉、出来事など。