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まだ誰も気づいていないコムドットの戦略の本質を東大生が分析してみる

(追記:やまと本人がtwitterでこの記事をいいねしてくれていたようです。嬉しい! ありがとうございます。) (本気出して書いたら13000字の論文になりました。誰が読むのか謎すぎるが、読んでくれた友人からは「めちゃくちゃ面白い!」と言ってもらえた。) 「そもそもうちの妹コムドットとか見てるタイプだからさ。」 -ある東大生の発言より コムドットやまと、好きですか? 嫌いだよね?俺にはわかる。 残念ながら筆者の周囲でコムドットを見ている人は少ないです。twitterで

    • 日記221029見たい現実だけ見るという人間の性について

      人間は見たい現実を見る。それは、自分にとって都合の良い現実ということである。言い換えれば、その価値基準においては他人との間で存在価値を持つことができると言い切れる価値基準を根底に置いて世界を眺める。 それは露悪的な言い方をすると他人より優れている自分を発見できるという、他者との比較の中での価値基準なのかもしれない。だがそれだけではないだろう。他者に必要とされているという形での、それも搾取ではなくて尊重という形において必要とされているということでの、存在価値を求める基準という

      • 日記221025

        依存症と貧困に関することをもう少し調べてみたい。自分が関心のあることを考えていてその二つに行き着いたから。思えば昔から関心があった。でもそういうことを公言するのも、自覚するのも嫌だった。なぜなら、自分は社会的に恵まれた層に属していると思っていたし、そういう人間が興味本位で観光のようにそういうことに関心を持っているという面をしているのがどうも自分ながらに嫌だったから。 だけど、最近、そうした問題が急に他人事でないと思うようになった。もはや就職して、経済的に自活をしていかなくて

        • 映画「線は、僕を描く」を解説しちゃうぞ

          映画「線は、僕を描く」を独断と偏見で解説しちゃいます。僕はここで「線は、僕を描く」というこのタイトルについて考えていきたい。 えっ、「僕は、線を描く」じゃないの? 逆じゃない? ははん、そうやって読者の気を引くんだな。 僕ももちろん、最初は一般的鑑賞者としてそういう風に考えてそういう風に映画を映画を見始めたわけです。なんで「線」が主語なんだろうって。 でも映画を観ると、ああそういうことね、と腑に落ちました。 結構スッキリ構成されていたから、一度気づくとその観点で映画の色

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          日記20221020 本を読みすぎている気がする

          本を読んでばかりいる。本を読んでばかりいると自分の考えがなくなってしまうので、よくないことだと思っている。これはショーペンハウアーが言っていたことだったはずである。 なぜ本を読んでばかりいるのかというと、読む必要がある本がたくさんあるからであるが、それはついつい本をたくさん買ってしまっているからである。 なぜ本をたくさん買ってしまうかというと、ある本を読んでいるとその本の中には大抵別の本が紹介されている。紹介されている本は気になってしまう。「いつか読むだろう」という気持ちでつ

          日記20221020 本を読みすぎている気がする

          時間・不在・ことば

          私は哲学をちゃんと勉強したこともないし、その方面の才能には恵まれていないので、何か新しくて正しいことを言おうと思ってこういう文章を書いているわけではなく、誰かに「こういう本を読むといいよ」と教えてもらえたらと思ってこの文章を書いています。 さっきまで哲学のオンライン講義を聞きながら、時間と不在(つまり存在のことかもしれませんが)とことばの関係性についてぼーっと(その割に夢中になって)考えていました。これは、思えば高校生くらいの時から考えている話の気がします。 物心ついてか

          時間・不在・ことば

          画像生成AIが跋扈する世の中では論文が漫画で書かれるようになるのだろうか

          書き散らし 未だに質の高い情報源として本は持て囃されている側面がある。例えば政治について質の高い情報を得ようと思ったらyoutubeでは限界がある。できれば入門書から始めても大学教授の書いた新書を読むのが望ましい、みたいな。もちろん、そこにはかつての「書籍」というもののブランド価値がまだ毀損しきっていないという側面もあるのだと思うけれど、それ以上に「書籍」という媒体が動画や漫画のような他の媒体と比較しても、用いる上での発信者側のハードルの低さというものもあると思う。 そも

          画像生成AIが跋扈する世の中では論文が漫画で書かれるようになるのだろうか

          【ネタバレ有り】「恋は光」という素晴らしい恋愛漫画が、ある原作ファン(私)から絶賛された実写映画化において、どのように読み解かれたのか考察する

          (弁解:実の所映画は一度映画館で見たのみであり、記憶に頼って書いていますので、事実に反する記述・考察の甘い部分が散見されると思いますが、完全を目指して完成しない文章を書くよりも、不完全な形でも一度公開をしてみようと思った次第です。もし間違いがあればコメントいただければ幸いです。) はじめに先日映画も公開されました「恋は光」という漫画ですが、僕は以前ブックオフでたまたま全七巻のこの恋愛コメディを大人買いしておりました。非常に好きな漫画です。中でも、この漫画のある一ページの衝撃

          【ネタバレ有り】「恋は光」という素晴らしい恋愛漫画が、ある原作ファン(私)から絶賛された実写映画化において、どのように読み解かれたのか考察する

          気づかないうちに傲慢になっていた

          「22歳なんてもうそんなに可能性はない」「『勝負するに足りる場所』に出会えていることが羨ましい」「妙にいろんなことに手を出して中途半端」をはじめとして、反省しているようで、「本来ならもっと輝かしい未来があった」っていうある種のおごりがある気がするな 友人から言われたこの言葉が、気づけば頭から離れない。「おごり」と言おうか、「傲慢」と言おうか。真っ直ぐに指摘されて、その時はあまりなんとも思わなかったが、10日程度たった今になって、ああ本当にその通りかもしれないと思う。 実の

          気づかないうちに傲慢になっていた

          第164回芥川賞候補作「小隊」という小説への私的で出鱈目な読み方

          第164回芥川賞候補作の「小隊」の面白さは「これが初めての戦争である」というところにもあるのですが、より正確に表現するのならば「これが誰にとっても初めての戦争である」「にも関わらず戦争が成立していく」というところから始まります。誰にとっても、というのは自衛隊の上官のみならず、ロシア軍も含めて、という事です。 我々は戦争と日常を別個の世界のものだと思っています。それを踏まえると戦争というものはこの登場人物の誰にとっても、全く経験したことのない世界のはず。そうであるのならば、全

          第164回芥川賞候補作「小隊」という小説への私的で出鱈目な読み方