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自由になりたいですか?

アルコール依存症のななにいにです。
コロナも明けて、人々の開放感がある生活が戻ってきたような気がします。
あなたはコロナからの支配が終わって、自由な人生を実感できていますか?
2020年の初頭から私たちの人生の支配者は間違いなくコロナウイルスでした。外出制限やマスクの着用などいろいろうんざりでしたね。それから解放されて自由を感じていますか?それとも、また新しいあなたの支配者が登場してきましたか?
自由とは何か、支配とは何かを理解して、意識的に自由を求めなければ、金銭的に豊かになっても何かに支配された息の詰まる人生を送ることになります。そして少々の諦めも実際は必要です。
私の人生経験をもとに解説していきたいと思います。

【ポイント:何かに支配されていることに気づくことは難しい】
私は18歳の時、つまり大学入学と同時に酒を飲み始めました。
初めて酒を飲んだ時の「フッ」と気持ちが楽になった感覚は今でも覚えています。決して酒は強い学生ではありませんでしたが酒を飲むと饒舌になり、明るい性格になり、大暴れしたら先輩に喜ばれるので所属感を求めて酒を飲んでいました。自分でも気づいていませんでしたがとても寂しがり屋だったのです。
私は「男らしさ」という言葉が何となく好きでしたので、居酒屋やタクシーではお釣りをもらわない、でも実際の生活は厳しいので塩をなめながら酒を飲むような生活をしていました。頑固で意固地なところがありました。
後輩を酒に誘っても、ほとんど後輩に財布を出させることはなく、何人引き連れて酒を飲んだ場合でも私がお金を全額払っていました。
そこまでした理由は「先輩としての務め」と当時は言っていましたが、今思えば寂しいだけだったのだと思います。一晩で5万、10万驕ることの方が、一人で夜を過ごすことよりも価値が高いという判断をしたわけですから極めて強く寂しさを感じていたわけです。「男らしさ」を求めた私は「寂しい」なんていう女々しい感情を認めるわけもなく、とにかく頑固に誰かを誘って酒を飲んで大暴れしていました。

結果的に私の酒癖が悪すぎて、たとえ私が全額の金を出すとわかっていたとしても私と酒を飲んでくれる人は少なくなってしまいました。私には妻と子供もいるのですが愛想を尽かされてしまったので、私は他の女性に愛を求め始めました。しかし、一緒に食事をしても私の酒癖が異常に悪く、セクハラ行為を頻繁にするようになりました。その評判が広がって社内で私と食事をしてくれる女性はいなくなりました。大切な友人をたくさんなくしました。

今になって思えば、私は誰かと一緒にいたかっただけなのです。一緒にいて流暢に会話をしたかっただけなのです。でも、人を誘うことにも、会話することにも私には酒必要でした。
私の人生は「寂しさ」と「アルコール」に支配されていたのです。
そのことに私は気づきませんでした。若干金銭欲に支配されているのではないかと思っていた時期はありましたが、寂しさを紛らわすためにアルコールを飲むには金が要りますので、そのために大金が必要だったと今になっては理解できます。
自分が寂しさに支配されていたなんて思いませんでした。なぜなら常に私の周りには飲み仲間や仕事仲間がおりまいた。冷めていた関係でしたが家族もおりました。アルコールでつながった関係を維持するためには酒を飲み続けないといけないので、酒を毎晩何万円もかけて飲むことになりました。

アルコール依存症ではないかとずっと言われていて自分でもネット診断してみましたが余裕でアルコール依存症でした。でも、私は男らしさを求める人間でした。酒を飲んでちゃぶ台をひっくり返して大暴れするアル中は私の求める「誤った」男の理想像でした。そのため本当の底つきを迎えるまでアルコール依存症外来にはいきませんでしたし、その過程においてセクハラを含めて多くの人たちを傷つけました。

私は間違いなく物質的にも精神的にも自由を求めていたはずなんです。でも、実際私の支配者が何なのかを明確に理解していませんでしたし、自由になった状態がどのような状態なのかも理解していませんでした。早く金を稼いで引退して離婚して何にも束縛されないでバリ島に住みたいと思っていました。実際実現したとしても私の支配者である「寂しさ」が襲い掛かり、一か月もしないうちに日本に帰ってきていたことでしょう。

あなたは自由になりたいですか?それならあなたは自分が恐れているものを棚卸して自分の支配者を明確にしましょう。そして、支配者から逃れて自由を手にするべきでしょう。
私はアルコールという支配者から逃げている途中です。まだ「寂しさ」はありますが、アルコールの自助会に参加することで免れています。物質的精神的自由はまだ得られていません。「寂しさ」を克服するのは大変です。実際完全に精神的に自由になることはないと思います。でも私たちは自由になることではなく自由を目指すことが成長につながるのだと思います。

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