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それでも私たちは、生きていく

先日、学生時代に親しかった友人を亡くしました。
突然の訃報でした。

今朝は起き抜けから体調が悪く、心が苦しくて、辛くて、この気持ちをどう扱ったらいいのか分からないというくらい、息が苦しかった。

30代の若さで、苦難や青春を分かち合ってきた友の死。
彼とのたくさんの思い出で胸が溢れかえり、切なくて切なくて、どうしようもなかった。

胸やけと息苦しさに飲まれてしまうと、もっとしんどくなってしまうので、外の空気を吸いに散歩に出ました。

そこには、いつもと変わらない美しい自然があって、照り付ける太陽があって、いつもと変わらない景色がある。
つい数日前まで生きていたひとりの人間が、もうこの世にいないことなんて、関係ないような日常。

散歩をして、太陽を浴びて、外ですれ違う人々を見ていたら、心が落ち着いてきた。体調も良くなってきた。

散歩からの帰り際、犬を2匹散歩している人がいた。
1匹は若くて、1匹は老犬。
若い犬に置いて行かれながらも、ゆっくりと一生懸命歩く老犬の姿に、涙が込み上げてきた。

6年前に旅立った愛犬を思い出した。

「長生きしてね」

心の中で、一生懸命歩く老犬に声をかけた。

人はなぜ死ぬのだろう。
大切な存在を失ってまで、なぜ人は生きるのだろう。

また、大事な存在を失った。
青春を共有した、大事な友人だった。

少し落ち着いてTikTokを見ていたら、ピエロと馬鹿にされた男性が、大勢の観衆の前で圧倒的なパフォーマンスをするショーが流れてきた。

普通より異様に小さな背丈の成人男性。
妻と2人の子供の前で、ステージを舞っていた。

その曲の歌詞に「生きろ」とあって、その言葉が妙に響いた。

ピエロと馬鹿にされた彼は、どんなに苦しかっただろう。
それを乗り越えて、大観衆から賞賛されるパフォーマンスを披露する彼の姿からは、「生きる美しさ」「生きているから味わえるもの」「生きる素晴らしさ」を感じた。

友人を失ったことは、惜しい。悲しい。悔しい。
だけど、私は生きている。
悲しみを分かち合った友人たちも、今、生きている。

私たちは、生きないといけないんだ。
生きている素晴らしさを、味わうことができるのだから。

最後に、旅立った友人へ。

出逢ってくれてありがとう。
産まれて来てくれて、ありがとう。
たくさんの思い出を、ありがとう。
大好きだよ。あなたとの思い出を一生忘れない。
どうか、安らかに。
お疲れさま。

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