【#15】Atomとイビツとネギと味噌汁。

ラーメンズにAtomという20分の舞台がある。鉄腕アトムが空を飛びタイヤのないクルマが飛び交う未来を、どうしてもこの目で見たいという欲望が抑えられなかった父は、我が子が生まれたと同時に生命維持装置に入り長い眠りにつく。

ややネタバレなのでここで一旦離脱してただいても構いません。。。

そして、子供が30歳になった時、父はタイマーにより目覚め未来に降臨する。父、30歳。父と子は同い年になった。渇望してやってきた未来を見たくてあれこれ見せろとせがむ父は未来が来ていないことに愕然とするというこの舞台、もう何年も前に見たDVDにも関わらず色濃く脳にこびりついている。

息子の就職先は宇宙管理局でも重力コントロールセンターでもなく、庭師。窓を開ければチューブの中を高速で行き交う車はなく京浜東北。部屋の電気には紐がぶら下がり、まだボンカレーを食べている。そう、未来とはアナクロにやってくるのだ。

ところが。手間と失敗と苦労さえ面白エピソードに変えてしまうひとりキャンプという体験が注目され、誰もがこぞって飛びつくはずだった日産リーフとは似ても似つかないジムニーは今買っても1年以上の納車待ち。会いに行かなくても良かったアイドルが会いに行けるようになった瞬間社会現象になってみたりドラッグストアでは”命の母”を、家電量販店では”ウォシュレット”を爆買いする人で溢れ、お店に行かなくても手に入るようになった音楽を聞くために、わざわざフェスに出かけていき、そのときにしか使わないアウトドアグッズやレインウェアを買うことも厭わない。お米も合鴨農法なんて手間のかかるものが見直されたり。

どんどん手間と体験への価値が見直され、エンジニアリングとテクノロジーの結晶である”簡単で自動的なもの”は安っぽく感じる。ずいぶんと未来は「話が違う」じゃないか。

人間は未来になったとて腕が3本になるわけじゃない。猫の手も借りたいのに。相変わらずタンスに小指をぶつけたら痛いし、お風呂の適温は相変わらず39度。つまりは、人間は進化などしていないが後には戻れない思考だというだけだ。便利から不便には戻れないから洗濯板が見直されることはないが洗濯機はいくら進化しても10分で洗い終える機能はしばらく搭載はしない。あんまりにも早く洗い終わられても、その間にやるべきことができなくなってしまう主婦がクレームを出すからだ。ほら、もう何を言っているのかわからないくらい人はイビツだからすんなり未来は来ないし、身の丈サイズの未来しか受け入れられないんだ。

以前戸越銀座を歩いていたら面白いものが中古で売られていた。トーストを焼いている熱を利用して同時に目玉焼きをつくりコーヒーまで入れてしまうという「3Way多機能モーニングメーカー」だ。昔見たドラえもんだかパタリロだかで、朝目覚めると朝食がベルトコンベアで運ばれ食後はロボットアームで歯磨きまで、みたいな発想がなんとも切なくて泣けてくる逸品だけど、こういう”テレビデオ”的な商品はとんと見なくなった。「ちゃんとリンスするシャンプーです ちゃん・リン・シャン」のSoft in 1も懐かしい。そういえば昔は”リンプー”と言ってたりもした。ATOMに登場するお父さんが夢見る未来と同じベクトルにあるのがトースト目玉焼きコーヒーマシンでありテレビデオだが、未来はそっち方面にカロリーを割かなかった。いや、人々はそれを求めなくなったから、なのかもしれない。

まもなく2019年を迎える今、来てるのか未来。死んで消えることが大前提の人やペットを複製するクローン技術が生み出され人と繋がれるSNSが誕生するも人とつながることで疲れるということもわかった。”ゆるキャラ”というキーワードがみうらじゅん氏が生み出して14年経た今でも新たなキャラが生まれ完全無菌の環境下で育つLEDライトの水耕栽培野菜はスーパーにはまだ並ばないし36枚しか撮れないフィルムカメラやレコードの需要はなんと伸びている。レシピ検索ワードでは”サバ 時短”などのように手間を掛けたくないモチベーションが見て取れるのに、ATOMのお父さん的未来っぽく完全レトルトで豪華ディナー!みたいな本は聞いたことがないし求められてもいない。日本のコンビニは店員さんが外国人が多くなり国籍は多様化。性別は2コじゃ済まなくなったし(タイなんかLGBTQどころじゃなく23コある!)ロハスだSUPヨガだビーガンだと言いながら千ベロでベロベロに酔いつぶれる。未来はイビツにやってくる。

今朝のスッキリ!で”スマホ認知症診断”がやっていたが人間は不便には戻れないのだからスマホなんて依存して当たり前なのである。ただとても現代を表した説明だなと思ったのは、今の人間はインプットが多すぎて整理ができず、その記憶を取り出そうとしてもどこにあるのかわからない。だからコトバが思い出せないし漢字が書けない。

イビツに生きていくんだ。そもそも大量のインプットなどできるように進化していなくても。ご飯を作って食べている時間だけは脳が休まる時間というか、そんな料理をつくりたい。TVが流れていても無意識に左手で口に運んだ味噌汁にハッとする、そんな料理をつくりたい。それは、顆粒出汁では絶対に無理だ、とはか言わないけど、そんな味に馴れまくっている脳を掴んで立ち止まらせる味は、ちゃんと引いた出汁なのかも、とは思う。料理は買い物の段階からその人のことだけを考えて自分を費やす愛情の権化のような行為だ。多少切りそこねて繋がったままのネギが浮かんでいても、誰かのためだけの味噌汁をつくりたい。Spotifyで音楽を聴きながら、僕は今日も有次でネギを切る。僕はイビツだ。

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