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〈間〉に現れる相手の真意を見落とすな!


はじめに

残念ながら世の中には様々な対立があります。それは人間である以上致し方がないことであると言えると思います。一切の対立が起きない世界を創造するのは幻想であり、実現可能性はゼロと言っているでしょう。


対立が生まれるシンプルな理由

なぜなら、哲学者のヘーゲルが言ったように人間は誰でも「自由に生きたい存在」であるからです。もちろんそれぞれ人間の欲求の形は違いますが、その根底には、自由に行きたいと言う根源的な欲求があるのです。したがって、多様な価値観や信念を持った人間が、自由に生きたいと思って、行動を起こそうとしたときには、他者の異なる自由とぶつかる事は避けられないと言って良いのかと思います。

これは自分自身の中でも起きることです。例えば甘いものが食べたいと思った場合、一方で甘いものを食べたらまた体重が増えるとか、病気になるとか、そういう内部の対立(葛藤)が起きることも珍しいことではありません。

このように自由の欲求はその内外で中がぶつかることがデフォルトとなっていると言えるのかもしれません。


自由の相互承認へ


しかし、ここで誤解しないでいただきたいのは、どんどん対立して喧嘩して世界を分裂しろと言うことを言いたいわけではないと言うことです。むしろ対立が避けられないのだとしたら、お互いにお互いの自由を侵害しないで、承認し合う「自由の相互承認」の原理をルールとして確認し合うことが重要だと言うことを言ってるわけです。

さらに言えば、お互いの意見が違って、対立したとしても、合意点を見つけ出して、その合意点を共通了解として、そこから関係や方向性を築き上げていけば良いわけです。今日、残念ながら世界で見られる様々な戦争も究極は合意点が見つかれば、解決の方法へと進んでいけるのではないでしょうか。もちろんそんな簡単なことではないでしょうが原理は同じことだと思います。



まずはしっかり目を見てみよう


そして、合意を見つけ出すためには、ぜひとも電話会談やインターネット会談ではなく、実際に物理的に同じ場所で面と向かって対話をすることを強くおすすめしたいと思います。

さらに言えば、お互いに原稿を読むのではなく、目と目を見ながら、じっくり対話をしてほしいのです(ビデオ通話では、お互いの目と目を合わせることが不可能です)。

なぜなら、私たちが目と目があった時、そこにはそれまでなかった引力が働き、2人の間に2人だけの固有の<間>が生じるからです。この〈間〉は、一般化ができない、極めて、固有のユニークな次元であり、この<間>はそこから逃げたくなるネガティブな次元になる場合もありますし、お互いに創造性を発揮して、お互いに自己変革を促すポジティ<間>になる可能性もあります。

皆さんも経験があると思いますが、自分にとって本当に重要だと思える相手との間に発生する<間>においては、その時間が非常に豊かで、何かが生み出される貴重な機会になります。したがって、相手を合意形成する場合には、何とかその<間>を豊かにすることが重要になってくるわけです。


〈間〉に現れる相手の本当の欲望•関心

そして、その<間>において、意味が伝達される言葉の間からにじみ出てくるその人固有の思いを感じ取ること、そしてそれを受け取ることが重要になってくるんじゃないかと思うのです。

何を言ってるかと言うと、原理的に言って、私たちは物事を認識するときに、それは物事を中立に認識しているんではなく、自分の欲望や関心や目的に基づいて認識しているということです(欲望•関心相関性の原理)。同じ問題を話し合っている時も、噛み合わなかったり、対立したりする場合は、お互いの中におった欲望や関心や目的が見えてない可能性が高いのです

お互いに議論が白熱して対立してる時と言うのは、メタな視点が働かず、議論してるトピックの裏にあるこうした欲望や関心や目的が見えにくかったりするのですが、相手と目を合わせて<間>を作り出すことで、お互いの心の奥底にある欲望や関心や目的にアクセスしやすくなるんじゃないかと思うのです。

具体的に言ったら、対立している相手の目の中に、言葉では表現されていない。悲しさとか、プレッシャーとかワクワクさとか、そんなものを感じるかもしれません。そうした言語化されていないその人の欲望や関心や目的に目を向けることで、ひょっとしたら、それらの言語化されて、そこから一気に対話が進むかもしれません。


おわりに


たとえ対立していたとしても、同じ人間ですから、欲望、関心、目的の次元では相手を理解することも可能で、そこに合意点を見つけ出すことも可能だと思うのです。

皆様はどう思いますか?

野中恒宏

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