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マイ•エレメント - 対立を乗り越える方法

はじめに

最近はほとんどディズニーの映画を見ていなかったのですが、久しぶりに「マイエレメント」を見ることができました。別に前評判を聞いたわけでもなく、ただその絵の美しさに惹かれて観たというのが正直なところです。

しかし、見れば見るほど、どんどんその世界観に引き込まれて最後まで食い入るように見てしまいました。


あらすじと背景

物語は架空の街、エレメントシティーで展開します。この街には世界中から様々なキャラクターがやってきます。しかし、そのキャラクターは、人間ではなく、この世界を構成している様々な要素(エレメント)なのです。例えば火、水、木、空気、などです。これらは、古代ギリシャの時代において、哲学者たちが世界を説明するために使ったエレメントでもあります。そういうところからして、このストーリーには初めから何かしらの深いメッセージ性があるかもなぁと直観していました。

その直観は当たりました。

後でこの映画のドキュメンタリー作品を見てはっきりわかったのですが、この物語は人種のるつぼであるニューヨークを舞台にして、異なった文化、異なった言語、異なった習慣を持った様々な人種が展開する現実の生活をもとにしていると言うことです。実際にこの映画のディレクターも、保護者は韓国の出身であり、もともとマイノリティーとしてこのニューヨークに生まれたのでした。


正反対な二人の主人公


この物語の主人公は火のエレメントを持った女の子と水のエレメントの男の子です。2人は火と水ということで、もともと性格も文化も考え方も異なります。火の女の子は怒りやすく、ちょっとしたことでも文字通り爆発してしまいます。一方で、水の男の子は非常に涙もろく、ちょっとしたことでも涙を流すくらい感受性の強いキャラクターです。

その2人がひょんなことから出会い、関係を深めていくのですが、もともと火と水ですから、お互いに触れ合うこともできないし、わかり合えることもできないと思い込んでいたわけです。

しかし、2人は次第に惹かれ合っていきます。

そのプロセスで本当に大切なメッセージがいくつも散見られていたように感じました。


愛が世界を拡大する


まず第一に、2人が気になる関係になり始めてから、相手に関係するものに関してさえも、興味を抱き始めると言う場面がありました。

例えば、それまで水は自分の存在を消すかもしれない敵対的な存在として捉えていたにもかかわらず、水の男の子と親しくなってから、火の女の子は、街を流れる水も愛おしく感じるような場面がありました。

これは人間の場合も同じで、それまで何とも思ってなかった相手のことを気になり始めると、その相手が大切にしていることや、相手の属性がそれまで以上に大いなる好奇心とともに再発見されることがあるからです。


知恵と勇気で繋がれる

そして、第二に、わかりあえないと思っていた存在同士であっても、ちょっとした勇気や工夫で分かりあえたり、協力しあえたりするということです。

この物語の中で、火の娘の父親が水の男の子に火で燃え盛る食べ物を口にするように言うシーンがありましたが、そこでちょっとした勇気を振り絞って、その熱い熱い食べ物を身体を沸騰させながら口にしたり、ちょっと自分の体内にある水と混ぜて飲んでみたりするシーンがありました。

また、2人の相性を示すために、キャンドル占いなどをするシーンもありましたが、火の女の子にとっては簡単にキャンドルに火をともすことができるわけですが、水の男の子にとっては不可能にも思えることでした。しかし、燃え盛る女の子の炎を利用して、水の男の子は自分を虫眼鏡のレンズのようにして、激しく燃え盛る火の光を集めてろうそくに火をつけたのです。このように、諦めるのではなく、勇気と知恵を使うことによって、わかりあえないと思っていた2人も実は協力しあえるし、わかり合えるし、一緒になれるということが描かれていたと思いました。


アイデンティティは間にある


第3に、アイデンティティーについてです。この物語の中では、火の女の子は父親の仕事を継ぐことだけが自分の生きる道だと思っていました。しかし、異なったアイデンティティーを持つ水の男の子と付き合うことによって、次第に自分の本当のアイデンティティー(本当にやりたいこと)に目覚めていきます。改めてアイデンティティーと言うのは、自分1人の中に固定的にあるのではなく、関係性によって引き出されていくものであると言うことがよくわかりました


社会の燃料は愛


そして、ある日、街に大洪水が発生します。

ここでも2人は、自分たちの持ち味を生かして、1人では出せなかった新たな力を2人で協力することによって発揮して、この街を危機から救ったのでした

それを可能にさせた大きな原動力は、このそもそもアイデンティティーの全く異なる(正反対の) 2人の間に芽生えた愛ではなかったかと思います。

この先行き不透明な現代において、未来を展望する場合に、参加型社会になるとか、自己組織的な社会になるとか、いろいろな言われ方がされますが、いずれにおいても、そこに人と人との間に愛がなかったら、どんな世界も参加型ではなく酸化してしまうかもしれませんし、自己組織化しようとしても自己葬式化してしまうかもしれません。これはダジャレではなく、本当にそうなるかもしれないなと思っています。

確かに社会をシステム的に図式などを使って客観的に論じる事は素晴らしいと思います。それによって、それまで見えなかった社会の一端をわかりやすく、理解することもできるからです。しかし、そうしたシステム的に図式を使って、未来の社会を論じるということは、多くの個々の人間の生々としたユニークな人生がこぼれ落ちてしまうということです。そして、その新しい社会の中にも、人間である以上、忘れてはならない民主主義や愛という観点が抜け落ちてしまうわけです。


おわりに


今回の「マイエレメント」と言う作品は、どのような新しい社会においても、どんなに異なったアイデンティティーを持つものであっても、共に生きていくためには、勇気や知恵だけでなく、愛も必要であると言うことを克明に描いていたように感じました。

この映画を見た方はどのように感じましたか。まだご覧になってない方は、ぜひどうぞご覧ください。



野中恒宏

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