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黒岩涙香「無惨」(1889) 紹介と感想

黒岩涙香『黒岩涙香探偵小説選Ⅰ』論創社, 2006, p.1-54
黒岩涙香『黒岩涙香探偵小説選Ⅱ』論創社, 2006, p.249-255

黒岩涙香(1862~1920)は、主に明治期に活躍しており、ミステリー好きにとっては外国作家の小説を翻案して日本に紹介したことで知られています。


無惨(1889/明治二十二年)

あらすじ
数多くの創傷、擦剥、打傷があり、頭も裂けている世にも無惨な死体が見つかる。谷間田と大鞆、二人の刑事が目を付けた手がかりは、死体が握っていた縮れた数本の髪の毛だった。
谷間田という40歳頃の刑事は、勘と経験だけを頼りに、お紺という女に目を付ける。
大鞆という20代の刑事は、谷間田のやり方を馬鹿にし、理学と論理のみを頼りに支那人こそが犯人だと検討をつける。
二人とも、上司の折柄警部へ意気揚々と自分の推理を報告した。
果たして、二人の推理合戦は、どのように決着をみせるのだろうか。


紹介と感想
日本探偵小説の祖として知られる、黒岩涙香の創作探偵小説です。
ちなみに、1889年はシャーロック・ホームズも第1作目『緋色の研究』しか発表されていない時代になります。
そのため、作中で名前が出る探偵はルコックです。

物語は、上篇、中篇、下篇の3部に分かれており、上篇で事件概要と谷間田の推理、中篇で大鞆の推理、下篇で事件の真相が語られる構成となっています。
このように、構成上からも謎と解決が重視した小説を書こうとしているのが分かります。

会話文の書き方が現代と違うため慣れるまで戸惑いましたが、慣れてくると今読んでもスムーズに読める会話文の上手さで、特に谷間田と大鞆のやり取りと、報告を受けている折柄警部の心の声が楽しめました。

ちなみに、自分は始め青空文庫で読んだのですが、論創ミステリ叢書の『黒岩涙香探偵小説選Ⅰ』では現代仮名遣いに改められており、会話文も読みやすく区切られているため、原文に拘るのでなければ、こちらの方がお勧めです。

(大)ナニ気が附て居るよ二寸も深く突込んだ様に(谷)夫なら君アレを何で附けた傷と思う(大)夫は未だ思考中だ(谷)ソレ分るまい分らぬならば黙ッて聞く可しだ、私はアレを此頃流行るアノ太い鉄の頭挿を突込んだ者と鑑定するが何うだ」大鞆は思わずも笑わんとして辛と食留め「女がかえ

大「ナニ気が付いているよ。二寸も深く突き込んだように」
谷「そんなら君、アレを何で付けた傷と思う」
大「それはまだ思考中だ」
谷「ソレ分かるまい、分らぬならば黙ッて聞くべしだ。私はアレをこの頃流行るアノ太い鉄の頭挿を突き込んだものと鑑定するがどうだ」
大鞆は思わずも笑わんとして辛と食い留め、
「女がかえ」

上が原文、下が『黒岩涙香探偵小説選Ⅰ』より同場面

ミステリーとしては、この時代の短編推理小説らしく読者に推理の手がかりはなく、探偵の推理を受け入れるしかないものではありますが、本書の読みどころは犯人は誰かだけではないと感じました。

読者は自然、谷間田と大鞆のどちらが正解なのかと、両極端な二人のやり口を見守ることになりますが、これこそが本作を最後まで引っ張る牽引力となっていました。
そして、期待に応える落としどころで応えてくれたと思います。好みで言えば、更に一捻り欲しいですが、それは更にミステリーが複雑化した黄金時代以降の作品に慣れた考え方だと思うので、今作としては満足でした。

現代の目で見れば甘い所もあり、探偵役も好感が持てませんが、「論理をメインに押し出した探偵小説を書く」という志の高さが感じられ、しかも読んでいる間は結構面白く読めるので、涙香には創作探偵小説をもっと残して欲しかったと思いました。
登場人物的には、折柄警部が良い味を出しており、お気に入りです。

 刑事巡査、下世話に謂う探偵、世にこれほど忌わしき職務は無く、またこれほど立派なる職務は無し。忌わしきところを言えば我が身の鬼々しき心を隠し、友達顔を作りて人に交り、信切顔をしてその人の秘密を聞き出だし、それをすぐさま官に売り付けて世を渡る。外面如菩薩内心如夜叉とは、女に非ず探偵なり。切り取り強盗、人殺し、牢破りなど言える悪人多からずば、その職繁昌せず、悪人を探すために善人をまでも疑い、見ぬ振りをして偸み視、聞かぬ様をして偸み聴く、人を見れば盗坊と思えてう恐ろしき誡めを職業の虎の巻とし、果ては疑うに止まらで、人を見れば盗坊で有れかし罪人で有れかしと祈るにも至るあり。この人もし謀反人ならば、吾捕えて我が手柄にせんものを。この男もし罪人ならば、我密告して酒の代に有り付かんものを。頭に蝋燭は戴かねど、見る人毎を呪うとは恐ろしくも忌わしき職業なり。立派というところを言えば、斯くまで人に憎まるるを厭わず、悪人を看破りてその種を尽くし、以て世の人の安きを計る、いわゆる身を殺して仁を為す者、これほど立派なる者あらんや。

黒岩涙香『黒岩涙香探偵小説選Ⅰ』論創社, 2006, p.6-7
「無惨」上篇(疑団)より、探偵についての記述

黒岩涙香と探偵小説について

探偵談と疑獄譚と感動小説には判然たる区別あり(1889/明治二十二年)

犯罪を中心に据えた小説には「探偵談」「疑獄談」「感動小説」の3種類があり、それぞれに特徴があることが書かれていました。

「探偵談」は、犯罪があり、探偵が捜査・推理をし、最後に謎解きや自白がある。話の主点は探偵を主人公とすることにあるとのことです。
「疑獄談」は、前記の探偵と謎解きの間に裁判があり、裁判官を主眼としその断訟の妙を描くことにある。
「感動小説」は、探偵や裁判は無くても良く、読者の神経を悚動させることが目的である。そして、主人公は犯罪に巻き込まれた様々な境遇の人間になるとのことです。

涙香がどのようにミステリーを考えていたかが良く分かり、「無惨」が探偵談を意識して書かれている事も良く分かります。


探偵譚について(1893/明治二十六年)

探偵小説が文学史において目立つようになってきた頃に、「探偵小説のせいで文学が荒れている」との意見が出てきたことに対する、涙香の強めの反論でした。

現在の純文学と言われるものを指しているだろう「ノベル」と、探偵談「ストーリー」とは別々の道を歩んでおり、お互い衝突をせずに進み行くものである。探偵談以外が売れていないのを、探偵談が人気だからだと言うのは、批評家の中でも狭量なる人間であり、有名な人情小説にも探偵談の構成を取り入れた物があることを心得て欲しいと意見していました。

涙香は、あくまで西洋にはこんなものがあるのだと紹介するつもりで掲載したものであり、文学のためにしていた訳ではないとのことでした。



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