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アガサ・クリスティー『忘られぬ死』(1945)紹介と再読感想

アガサ・クリスティー  中村能三訳『忘られぬ死 Sparkling Cyanide』早川書房, 2012(電子書籍)

個人的に、BBCミニシリーズでドラマ化して欲しい作品で上位に来る原作を、久しぶりに再読しました。


あらすじ

自身の誕生日パーティーの最中に青酸カリを飲んで死んだローズマリー・バートン。その死は、自殺として処理された。
それから1年が経ったが、妹のアイリス、夫のジョージ、ジョージの秘書であるルース、ローズマリーの不倫相手だったスティーヴン、スティーヴンの妻であるアレクサンドラ、ローズマリーの友人だったアンソニーの6人は、ローズマリーのことを考えずにはいられなかった。
最近様子がおかしく見えたジョージが、アイリスの誕生日パーティーをローズマリーが死んだ店で行うことを決めた。
出席者は当時と同じ6人。まるで当時の状況を再現するかのような誕生日パーティーは、緊張感を伴いながらも何事もなく進行していく……。


紹介と感想(ネタバレなし)

1937年発表の短編「黄色いアイリス」から、ポワロを抜いて長篇に仕立て直した作品となります。
一部登場人物の配置や設定は踏襲していますが、物語展開や真相は別物となっています。

ミステリーとして大がかりなトリックが使われている訳ではありませんが、クリスティーが得意としている文章中に巧妙にヒントをバラまき、最後に切れ味鋭く全てを繋げる手法が冴え渡っており、高い満足感が味わえます。

また、その巧妙な記述を支える物語も完成度が高く、クリスティー標準長篇程度の長さに様々な愛の形が描かれています。
特に、第一篇の一人一人がローズマリーとの関係を振り返る部分は、このノリで最後まで進行しても良いくらいに好きです。

登場人物も個性的な人たちが揃っており、特にローズマリー、アレクサンドラ、ルシーラが印象に残りました。

ローズマリーは、作中では多くの人物から「とてつもない美人だが頭は空っぽ」という厳しい評価がなされています。
しかし、物質的に全てを持ちすぎるがゆえに自己を確立するチャンスがなく、他人からの評価がないと生きていけず抑制をすることも出来ない、哀しい存在だと思いました。

一方、冷静な頭と情熱的な心を併せ持つアレクサンドラは、自分をしっかり持ち、そのためなら何でも成せてしまう存在として描かれています。
スティーヴンに全てを捧げることに異論がある人もいそうですが、彼女自身が冷静にそれを選んでいる時点で、尊い選択だと思いました。
それに、スティーヴンはまだ実際的には幼いので、アレクサンドラがいないと上手くやっていけないでしょう。
作中の描写だけでも痺れますが、さらに深掘りしても面白くなりそうな人物です。

ルシーラは、クリスティー得意の一人語り系おばちゃんの究極系の一人だと思います。特に、第三篇の第6節でレイス大佐相手に行われる、地の文との区切りも飛び越えて延々と続く語りは必読です。
クリスティーじゃ会話文を書くのが上手い作家ですが、おばちゃんが一人語りを続けるだけで面白く読めてしまうところに、その凄さの一端が見られると思います。

捜査を担当するのは、『茶色の服の男』『ひらいたトランプ』『ナイルに死す』で存在感を示したレイス大佐と、バトル警視の部下として長く働いたというケンプ主任警部なのも、クリスティーファンとしては嬉しいところです。
余談ですが、バトル警視やケンプをメイン捜査陣にした、クリスティーパスティーシュを読みたいと昔から考えていました。

程よい愛のドラマとともに、切れ味の良いミステリー仕掛けが味わえる、中期の傑作の一つです。

ローズマリー、それは、記憶。恐ろしいほどに、それは真実をいいえていた。もし人間が、ほかの人間の心のなかに生きつづけるのなら、死んだとしてもなんの意味があるのだろう。

アガサ・クリスティー  中村能三訳『忘られぬ死 Sparkling Cyanide』早川書房, 2012(電子書籍)
第一篇 ローズマリー 5 アレクサンドラ・ファラデー より


紹介と感想(僅かにネタバレあり)

多くの人が様々な感情を持っている事件と向き合いましたが、事件自体は現代社会において最も純粋な欲求から起こされました。

個人的な心情について、あまり深く語らなかったルース。
彼女は、どれほどヴィクターに惹かれていたのか、ジョージが死んだ時は何を思ったのか、もっと知りたいと思いました。

最後、一連の悲劇の真相が明らかになることで、アイリスがローズマリーの死を受け入れることができるようになった描写が好きです。

読了後、最初から記述の一つ一つを振り返ってみたくなることが間違いないタイプの仕掛けになっているので、ぜひ再読をお勧めします。

「コーヒーですよ」アンソニーが言った。「あなたにも、お気に召さないだろうと思いますよ。ぼくがそうでしたからね」

アガサ・クリスティー  中村能三訳『忘られぬ死 Sparkling Cyanide』早川書房, 2012(電子書籍)
第三篇 アイリス 12 より

映像化

『忘られぬ死』(1983/米)

『忘られぬ死』(2003/英)

『アガサ・クリスティーの謎解きゲーム Les petits meurtres d'Agatha Christie』(仏)
 シーズン2 第2話「忘られぬ死 Meurtre au Champagne」(2013)

映像化は3本ありますが、どれも一長一短という感じでした。
個人的には90分程度の長篇ドラマよりも、ミニシリーズ全3話の構成の方がドラマとして面白くなると思うので、BBCミニシリーズに選ばれて欲しいなと思っています。


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