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『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(6)

『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(1)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(2)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(3)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(4)
『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実はあるのか?(5)

第5章までやって、もうそれで終わりにしよっかなー、とか思ってました。何故って、この西岡本に反論し続けても、私自身何も得ることがないからです。これまで、海外の記事の翻訳を中心に記事を沢山起こしてきましたが、それらの作業ではそれなりに知識を得て理解を深めることができたので、それなりに得るものはあったのです。

しかし、この西岡本、議論の対象にする以前にあまりにも基本的な誤りが多く、論理自体もあまりに稚拙過ぎて、毎回呆れ返ることがほとんどでした。もうなんと言うか、何もかもが杜撰すぎて、よくもまぁこんな出鱈目本を信じたりする人がいるのだなぁと、変なため息が何回も出ました。それくらい酷い本です。で、なんら新しい知識を得ることができるものですらないので、もう終わっとこうかなーとも考えたのですが、一応終わらせるために最後まで書くことにします。

でも今回でまとめて終わりです。できる限りさっさと終わらせてしまいたいと思います。


「第6章「ホロコースト」の政治学」について

この章に語られている内容については、前回までのように項目ごとに細かく批判したり反論したりする意味はないので、簡単に済ませてしまいたいと思います。要は、西岡は前章までで「ガス室」を十分否定できたと思い込んでおり(ほぼ全て誤りだと前回までで示しました)、では何故ガス室が強調されるのか?と問題を立てて、それをパレスチナ問題やソ連、連合国などに絡めて西岡が持論を語るという構成になっています。

この章には、第二次世界大戦後に欧米で活動が活発化したネオナチのことも、ホロコースト後も依然として消えなかった反ユダヤ主義のことも出てきません(そういうレッテルを貼るなという文脈では書かれていますが)。反ユダヤ主義についてはわずかに、シオニズム運動が起きた理由への西岡の理解という文脈で語られていますが、それっきりです。欧米で「ガス室否定」を主要なテーマの一つとして、ホロコースト否定の動きが現れたのは、ナチズム復興へのネオナチの活動と、反ユダヤ主義を抜きにしては絶対に語ることはできません。しかしこうした当たり前の常識的な切り口に対しては、西岡はまるっきり関心がないようです。

西岡は、ヨーロッパでホロコースト否定の禁止が進んだのは、シオニストの影響によるものだと語っていますが、そんな実証はかけらもありません。単に西岡の持論のストーリーにあるだけなのです。しかし実際には、ホロコースト否定の主張はヘイトクライムの一種と見做され、要は差別的であり人種や民族に対する憎悪を煽るものであって、危険で悪質な言論だと見做されてきたからです。また、ホロコースト犠牲者や遺族の心情を痛く傷つけるものであることも明らかでした。そのうえ、否定禁止法の制定は民主主義化で行われてきたのであって、法の成立がそうすんなり言ったわけでもありません。具体的な法律の制定は1990年代に入ってようやくという形であり、例えばフランスのゲソ法では数回にわたって審議が持ち越しになった末に成立しています。あのアウシュヴィッツの生存者として有名なシモーヌ・ヴェイユ議員はゲソ法に反対していました。

要は、「ガス室」否定に集中してこだわったのは、西岡を含むホロコースト否定派たち自身なのです。ホロコーストの入門書なりなんなりを読めばすぐわかります。ガス室にそれほど多数のページを割く普通の歴史書籍はなく、大きく取り上げたのはそれ自体をテーマにしたコゴンやプレサックの本くらいなものなのです。そもそも、西岡自身が本のタイトルに「ガス室」をわざわざ掲げておきながら、何を言っているのでしょうか?

6章についてはそれくらいでしょうか。パレスチナ問題や世界情勢について知りたいのなら、西岡の駄論など読まなくとも、優れた書籍はいっぱいありますし、ネットでもどこでも情報は溢れています。


「終章 戰時報道は終わらない」について

「「ナチ水蒸気室」はなかった」について

これは、ニューヨーク・タイムスが、ロンドン発の情報として伝えたドイツ占領下のポーランドについての「報道」ですが、戦争中に書かれたこの記事は、前述したトレブリンカ収容所に言及して、こんなことを書いているのです。

「当地(ロンドン)で発行されている『ポーランド労働闘争(Polish Labor Fights)」、今日、ポーランドのトレブリンカでドイツ人によって運営されているユダヤ人絶滅(extermination)のための施設の目撃談を報道した。この場所だけで、ドイツ人たちは、二〇〇万人の人々を殺したと言われている」

そして、この記事は、そのロンドンで発行されている「ポーランド労働闘争」が伝えた以下のような「目撃談」を引用するのです。

「それらの部屋は、(人々で)一杯になると、閉じられ、密封される。装置を通じて水蒸気(steam)が送り込まれ、犠牲者たちは、室息し始める。初めの内は、叫び声が聞こえるが、次第に聞こえなくなり、十五分後には全く聞こえなくなる。この罠が開かれ、死体が落とされると、熱と水蒸気で一緒に固まった死体が、一固まりになって転げ落ちて来る。その死体にホースで冷たい水がかけられ、それから、墓掘り人たちが、それらの死体を屠殺された動物の死体のように、プラットホームの上に積み上げて行く」

「それらの部屋は、(人々で)一杯になると、閉じられ、密封される。装置を通じて水蒸気(steam)が送り込まれ、犠牲者たちは、窒息し始める。初めの内は、叫び声が聞こえるが、次第に聞こえなくなり、十五分後には全く聞こえなくなる。この罠が開かれ、死体が落とされると、熱と水蒸気で一緒に固まった死体が、一固まりになって転げ落ちて来る。その死体にホースで冷たい水がかけられ、それから、墓掘り人たちが、それらの死体を屠殺された動物の死体のように、プラットホームの上に積み上げて行く」
これが、ニューヨーク・タイムスが戦争中の四三年に伝えていた、トレブリンカ収容所の様子だったのです。

西岡本

ホロコースト否定派がディーゼル否定論と並ぶくらい大好きな、蒸気室でのユダヤ人殺害の話です。この話については、すでに述べていますが、以下記事に詳しいです。

詳しい話は上記記事以降を読んでいただくとして、西岡はこの項目を以下のように締めます。

今日、「定説」個の歴史家は、この「トレブリンカの水蒸気室」について語ろうとはしません。もし、これが事実でなかったのなら、それが否定された理由があると思うのですが、それも不明なのです。考えてみれば、今日、トレブリンカに在ったとされる「ディーゼル・エンジンにより一酸化炭素を発生させるガス室」とこの「水蒸気室」がどれだけ違うか疑問ですが、一体、この「ナナ水蒸気室」の「目撃談」というのは、何だったのでしょうか?そして、この「水蒸気室」は何故、いつの間にか語られなくなったのでしょうか?

西岡本

何度も同じ事例を出しますが、松本サリン事件でどうして河野さんはいつの間にか容疑者から外れたのでしょうか? 西岡はどうしてこうした下らない「話が変わっているではないか!」ばかり言うのか、…何なのでしょうね? 話を変えてはいけないとでも言うのですか? 冤罪なのに河野さんを犯人のままにしておかなければならなかったとでも言うのですか?

水蒸気ガス室説は、西岡の知っている情報だけでもまずは確実に戦時中の情報だと言うことがわかります。イギリスにあったポーランド亡命政府関係のものと思われる労働党系の機関誌『Polish Labor Fights』に掲載されていた情報を元にニューヨークタイムズの記事になったものです。これだけでも相当のことがわかります。

つまり、元々はポーランドで誰かが、おそらくは脱走者がいて、トレブリンカ絶滅収容所でのユダヤ人の殺害風景を目撃し、それをワルシャワかどこかのユダヤ人ゲットーの地下組織に伝え、それがイギリスへ伝わったのだとろうと言うことくらい、容易に推測できるのです。そんな情報なのですから、殺害方法が誤っていたとして、何か不思議な点があるのでしょうか? 戦時中ですよ?

平時の日本の警察が、実際に河野氏宅を家宅捜索して、見つかった薬品から、河野氏を第一容疑者だとして逮捕したのですが、それらの薬品からはサリンなど製造不可能であることは明らかでした。警察が現場を実際に捜査してさえ、間違えることがあると言うのに、囚人の脱走者が殺害方法を間違いなく正確に把握できたとでも言うのでしょうか?

ちょっと考えるだけで、一酸化炭素ガスが目視でそれと判別できるわけもなく、殺害後に開けられた扉の中に見えた大量の死体から、密集していたが為のものと考えられる汗の蒸気が見えたので、それで蒸気で殺したのではないかと勘違いした、くらいの推測は素人にだって可能です。このように推測するだけで、目撃談は本当に目撃していたからこそ蒸気説になっていたとさえ言い得ます。

ほんとにあり得ないほどホロコースト否定派は救いようのないバカなのです。

なお、この話は、かなりワルシャワ・ゲットーに関して細かく学ばないとなかなか理解しにくい部分の多い話のようです。とは言っても、登場人物が誰が誰だかわからない、というような話であって、内容自体は比較的単純です。伝えられた情報の中には誤った情報もあった、ってだけです。そもそもなんで、ワルシャワ・ゲットーの中でユダヤ人絶滅の話を捏造しやんなあかんねん、ってことですな(笑)


「戦時報道としての「ホロコースト」」について

これだけではありません。これは私自身の目では確認していませんが、ウド・ウァレンディー(Udo Walendy)という研究者は、旧ソ連の新聞プラウダを調査し、ソ連軍がアウシュヴィッツを「解放」(?)した直後の四五年二月二日、プラウダがアウシュヴィッツについて驚くべきことを「報道」していた、と指摘しています。

西岡本

西岡は、ウド・ヴァレンディーはホロコースト否定論者の一人であるとどうして書かないのでしょうか? これで何度目?

ウド・ブルーノ・ヴァレンディ(1927年1月21日ベルリン生まれ、2022年11月17日ベルリン没[1])は、ドイツのパブリシスト。彼はナチスの戦争責任を否定する歴史修正主義者のグループに属していた。ホロコーストは、彼の出版社の出版物の多くでも否定されている。彼は憎悪扇動罪で何度か有罪判決を受けている[2]。

https://de.wikipedia.org/wiki/Udo_Walendy

それは、アウシュヴィッツでドイツが、人間をベルトコンベヤーと電気で段していた、という「報道」だというのです。そして、その記事には、今日、アウシュヴィッツの代名詞とされている「ガス室」のことは一言も書かれていない、とウァレンディー氏は指摘しているのです。これは一体、どういうことなのでしょうか? しかも、同様の「電気による大量殺人」は、ベルゼック(Belzec)収容所についても語られていたことが分かっています。しかし、今日、このベルゼックでそんなことが行なわれていたと言う歴史家を、私は知りません。ベルゼックについても、今日、「定説」側は、「ディーゼル・エンジンで一酸化炭素を発生させるガス室」があった、と言っているのです。

西岡本

西岡は、そのソースをここでは示しておらず、何の話かはっきりとはわかりません。どういうことなのかを西岡に聞いても分かるはずもありませんし、困ったことですねぇ。

しかし、アウシュヴィッツに関するその報道は確かにあります。以下に引用します。

解放直後、ロシアの著名な作家でプラウダの特派員であったボリス・ポレヴォイは、「アウシュヴィッツの死の工場」と題して、収容所の第一印象を書いた。アウシュヴィッツからの有線放送で、2月2日のプラウダに掲載された。 「アウシュビッツでのドイツ人による本当に比類のない暴挙の全貌が明らかになるまでには、特別委員会による長く慎重な調査が何週間も必要であろう」と記事は始まっている。
<中略>
そして、記事は「死の機械」に目を向けた。

「昨年、赤軍がマイダネクの恐ろしく忌まわしい秘密を世界に明らかにしたとき、アウシュビッツのドイツ人たちは自分たちの犯罪の痕跡を消し始めた。彼らは、収容所の東部にあるいわゆる「古い」墓の山を平らにし、電気ベルトコンベアの痕跡を引き裂いて破壊した。このベルトコンベアでは、何百人もの人々が同時に感電死させられ、その体はゆっくりと動くベルトコンベアの上に落ち、溶鉱炉の上まで運ばれて落ち、完全に焼かれ、骨は圧延機で粉にされ、周辺の野原に送られた。 退却時には、子供を殺すための特別な運搬装置が持ち出された。収容所の東側にある固定式ガス室は再構築され、小さな櫓やその他の建築的装飾が加えられ、罪のない車庫のように見えるようになった。
<後略>

https://note.com/ms2400/n/n0d3e2c6f9006

私には、この記事には如何なる情報ソースも書かれておらず、単に情報源不明の怪しい記事にしか読めないのですが。さらに付け加えると、例えば1944年には、あの有名なルドルフ・ヴルバとアルフレッド・ヴェッツラーの報告書があり、すでにガス室でのユダヤ人絶滅のことが書いてありました。

さらに以下には、それ以外にも戦時中から、早いものでは1941年中の情報としてアウシュヴィッツでのガス殺のことを記した情報もいくつもあります。

ポリス・ポレヴォイは、こうした情報を何も知らずに、ただアウシュヴィッツに行って、適当な周辺情報の伝聞から記事を起こしたか、最悪な場合は空想で記事を書いたかしただけなのではないでしょうか? ガセネタ・デマが流れるのは今現在の時代でも珍しくはありません。しかもこのポレヴォイの記事のネタはそれっきりであることも確認されており、誰も真剣に受け取らなかったのだと思われます。いずれにしても、すでにそれよりも前からいくつものガス殺の情報が出ており、それより後で出た誤った情報が如何なる重要性があるのか、私には理解しかねます。まー、西岡としては、欧米の修正主義者の主張を鵜呑みにして喜んでいることだけは理解できますが。そういえば、あんまり関係ないですけど、故・安倍元首相殺害事件の真相について、まだ山上以外のスナイパーだとする説を信じている人がいるそうで。そうした意味では、色んな説が出るのもまた自然なことではあるように思えますがねぇ。

しかしですね、それがどうしてこんな話になるのかは理解に苦しむところがあります。

こうしてみると、連合国は戦争中、ドイツがヨーロッパ各地に作った収容所に関して、そこでは「電気による大量殺人」が行なわれているとか、「水蒸気による大量殺人」が行なわれているとか、色々な宣伝をしていたことが分かります。

西岡本

一体どこで西岡はそんな証明を行ったのでしょう? いくら目を凝らしても、西岡本にはその根拠が何も書いてないのですが。この人の思い込みの凄まじさには呆れてしまうものがあります。それはあんたが勝手にそう言ってるだけやで(笑)

ところが、それらの話はいつの間にか語られなくなり、いつしか、「ガス室」の話がそれにとって代わっているのです。つまり、事の真偽はともかくとして、大戦中、連合国が行なっていた戦時宣伝の延長線上に「ガス室」の話があった、と言って間違いではないのです。

西岡本

いいえ間違いです(笑)。とっくの昔に西岡説が陳腐化していることは、ニューヨークタイムズに掲載されたトレブリンカの蒸気殺人説の出所が、ワルシャワ・ゲットーにあったと判明していることからわかります。それはリンゲルブルム・アーカイブや、当時の人々の日記などに記されていたからです。一流の(笑)否定派はだからすでに、蒸気殺人説の捏造現場はワルシャワ・ゲットーのユダヤ人だとしているのです。それが例えば、否定派の期待の新人だったはずだがすぐに消えてしまった、前述したリンク先にあるフリードリッヒ・ヤンソンの論文であったりするわけです。

ニューヨークタイムズのその記事の内容と、ちょっとした歴史的事実を知っておくだけで、西岡自身にすら簡単のその情報源が推測できたはずなのに、その簡単なことすらしない西岡の出鱈目さには呆れるばかりです。


「連合国側の戦時宣伝は検証されたか?」について

西岡は自分自身では一切何も検証しない(自分で書いた西岡本の原稿それ自体すら確認しない)くせに、ここでも偉そうなことを言っているようです。とりあえず見ていきましょう。

こうしてみると、「ホロコースト」の検証は、最終的には、第二次大戦中の戦時宣伝の問題にたどり着くように思われます。即ち、皆さんは、戦争中、日本やドイツが、新聞やラジオを検問し、敵に対するプロパガンダを大々的に行なっていたことは、よくご存知のことと思います。しかし、皆さんは、その一方で、第二次大戦中、アメリカやイギリスといった連合国側もメディアを検閲し、様々なブロパガンダを行なっていたことは、余りご存知ないのではないかと思います。
今お話しした「トレブリンカの水蒸気室」はその一例に過ぎません。こうした目茶苦茶な宣伝を連合国側もまた行なっていたのです。

西岡本

目茶苦茶なことを言っているのは西岡です。西岡は水蒸気ガス室がニューヨークタイムズ、つまりはアメリカの新聞に書かれていた、たったそれだけの理由で、連合国のプロパガンダと看做し、ソ連のプラウダに電気ベルトコンベアの話が書かれていた、たったそれだけの理由で連合国のプロパガンダだと見なすのです。これほど短絡的発想もありません。それならある国の新聞に書かれたニュースはすべてその国のプロパガンダだということになってしまうでしょう。目茶苦茶ですね。


「民主主義国家にとって戦時報道とは何か?」について

即ち、私たちは第二次大戰後、確かにファシズムからは解放されました。それは素晴しいことです。しかし、その一方で私たちは、この戦後社会において、マスメディアというものを余りにも信用し、それを検証することを忘れてきたのではないでしょうか?「新聞やテレビが嘘をつくはずがない」とでもいうように........
口師が暗示しているように、これは、人々が「民主主義」に住み慣れればこそ発生した問題だ、と言うことができます。その結果、例えばこの「ガス室」神話を検証なしに盲信し、少なくとも結果的には、パレスチナ問題などについて、歴史学者やジャーナリストたちをも含めた私たちみんなが、情報操作されてしまったのではないか?私は、この問いを皆さん全員に考えて頂きたいのです。

西岡本

欧米のホロコースト否定派によるガス室否定論を盲信したのは一体どこの誰なのでしょうか? 西岡はこの本で否定論それ自体を全く検証していないことを明らかにしてきました。本当に西岡のような人たちは、自分のことを棚上げにするのです。西岡は「私は研究者じゃない、単に疑惑を投げかけているだけだ」、と自らを常に無責任な外野に置こうとする卑怯者です。

新聞やマスコミガーという人は多いですが、そうした主張をする人たちの多くは現在では「ネットde真実」を主張したりしています。「ネットにこう書いてあった、マスコミではああ言ってたがネットでほんとの真実を知った」のようにいう人が目立つ昨今であることはよく知られていると思います。ネットの方がマスコミよりもはるかに酷いデマの世界なのに、不思議なものですね。

ともかく、西岡本は無茶苦茶でした。まだ、あとがきが続いていますが、語る意味はないのでこれにて西岡本への批判・反論はおしまいです。

結論

『アウシュヴィッツ「ガス室」の真実』に真実など欠片もありませんでした。以上。

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