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24-23. 妊娠30週のマタニティブルー

きのうは4月中旬にしては暑い日だった。日中はカラッと晴れていたが、夜は大嵐だった。ピカッピカッと空が光り、しばらくすると轟音が鳴り響く。でも娘はいつになく機嫌がよかった。

わたしは妊娠8ヶ月後半に突入。お腹が大きいってこんなに不自由で、こんなに苦しいことだっただろうか。7年前の一人目のときを思い出そうとするも、記憶ってこんなに風化するものだろうか。

喋っていても、歩いていても、寝ていても、呼吸が浅い。食べると苦しい、けど食べたい。排便のリズムがうまくいかない。早く歩けないのでゆっくりになる。左足のつけ根が詰まる感覚があり、ポテポテと左右に軽く揺れながら歩く。疲れやすいので、日中はかならずお昼寝をする。

胎動が激しくなってきて「いてて…」と悶える。グリングリンと狭い子宮のなかで動き回る現在カボチャサイズの第2号。

夜寝る前に「いてて…」と言っていると、7歳の長女が手を当ててくれた。お姉ちゃんだよ〜あんまり痛くしないでよ〜と言ってくれる。

娘は赤ちゃんが産まれてくることを、あまり楽しみにしてないようだ。むしろ、すごくプレッシャーに感じている。自分が我慢する機会が増えるだろうし、赤ちゃんが怒ったり、迷惑をかけられたりするかもしれないし、お世話しなきゃいけないし、と。

お世話するのはママなんだし大丈夫だよ。と笑って受け答えしているものの、やはり姉としての責任みたいなものを、彼女からヒシヒシと感じる。

まだ目の前にいない人のことなので、かわいいとか嬉しいとか、そういう気持ちにはなれないのは至極当然なことかもしれない。わたしにも7つ下の弟がいるが当時どんな心境だったかな。もう30年近く前のことで、それこそ記憶が風化している。

「赤ちゃんって産まれたら可愛いんだよ。我が家に幸せを運んできてくれるんだよ。」と言いつつも、自分の胸に手を当ててみるとどうだろう。

正直に言うと、わたしも同じく不安なのだろう。きっと娘はわたしの気持ちを感じ取って、それを代弁しているのだと思う。

忙しくして誤魔化していたけど、これはマタニティブルーってやつかもしれない。2人目だから余裕ぶって、経験しているから不安なんてないと思ってた。

でも、ここにあるこの形のモヤモヤはマタニティブルーなんだと気づいたら急に安心してきたのだった。


過去を振り返ったとき、誰しも「とつぜん人生が変わった日」というのがあるだろう。

わたしにとってのそれは、一人暮らしを始めた日、転職初日、そして長女を出産した日だった。

出産っていうのは「初めまして。一生いっしょにいることになります、あなたのお母さんです。」からはじまり、そこから長い長いストーリーが展開される。死ぬまで。

自分から出てくるとはいえ、どんな子が産まれてくるのかはわからない。

自分ではない1人の人間の人生において、一番大切な時期を一緒に過ごすことになるプレッシャーは、きっと何人産んでもそうなんだと思う。

夜中に目が覚めた。娘が産まれた日の写真を見返してみる。そうだそうだ、こんなに小さかったんだ。そして、このときのわたしは喜びに満ちていた。

今でも子育てってまだまだ大変なことがたくさんある。子育てによって試練を与えられ、学ばされ、わたし自身が育てられてきた。


翌朝、長女がご機嫌に学校へ行った。

やれやれと思いつつWLPのフィードバックを書こうとすると、見慣れた水筒が目に入る。

「やだ、水筒忘れてる!!」と、あわてて学校へ届けに行くオカーサンな自分を見てなんとなく微笑ましい気持ちになっている。

大丈夫、わたしが子どもを育て、子どもがわたしを育ててくれる。

子育ての渦中にいて、オカーサンとしての自分というのは近すぎて見えない存在だけど、みおさんのnoteをぐうぜんこのタイミングで読んで、2回目の赤ちゃんが少し楽しみになってきた。

いやきっと、かわいいのだろうなぁ。

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