見出し画像

古典哲学:プラトンと「イデア論」

 紀元前300年頃に活躍したギリシャの哲学者プラトンは、「この世の全てには、その源が存在する」と考えました。山とか馬とかいったものには、その大元に別の何かがあるのだ、と。しかも、やさしさとか美しさといった、目に見えないものにもその本体があるというのがプラトンの考えです。
 プラトンはこれらの本体を『イデア』と呼びました。英語のidea(アイデア)という言葉の元になった言葉です。
 ソクラテスと同じアテナイに生まれ、ソクラテスの弟子として哲学に励んだプラトンは、有名な『国家』や『ソクラテスの弁明』といった本を書きました。現代へ続く西洋哲学の元祖になった本です。

 イデアは、影に例えることができます。あなたが太陽を背にしたとき、地面にはあなたの影が見えるでしょう。あなたがピースサインをすれば、影もピースサインをします。ですが、影はあくまでただのコピーです。本体はあなたです。この世界を影の世界とするなら、どこかに本体となるイデアが存在する、というのがイデア論です。

 あらゆるものには、その本体となるイデアが存在する。この世界にあるものは、イデアの一部がそのコピーのような形になっただけだ。プラトンはこのように主張します。
 なぜこんな変わった考えを持ったのかというと、当時のギリシャにはいろいろな宗教や思想を持った人たちが一緒に生活していて、それぞれに答えがバラバラだったからです。牛の頭を持った神様が世界を作ったという人もいました。この世の全ては水から来ているという人もいました。この世界は平らな板のようになっていて、それを巨大な亀が支えていると言った人もいます。
 プラトンは、たったひとつの真実がどこかにあるのではないかと考えました。そして、この世界とは別のところに『イデア』があって、この世界は多かれ少なかれイデアをもとに作られている、プラトンはこう主張しました。
 そうすれば、正義も悪もイデアからやって来たと言うこともできます。どの地域の、どんな宗教を持つ人にも通用する答えがイデア論だというわけです。
 
 とはいえ、プラトンが実際にどこか別の世界へ行って、イデアの本体を見つけてきたのではありません。イデア論はあくまでプラトンが唱える説です。この説をもし本当のことだとしたら、この世界にあるものに対して、それはどこから生まれたのか?という質問に答えることができます。すべてはイデアから来たのだと。木のイデア、雲のイデア、美しさのイデア...というふうに。

 確かに、誰も「やさしさ」の本体を見たことが無いにもかかわらず、やさしさとは何かを知っています。誰が見てもやさしい人がいます。美しい景色というイメージについても、ほぼすべての人が同じような景色に対して「美しい」と感じます。
 イデアが説明するのは直観や物だけではありません。1+1=2とか、三角形の内側の角度をすべて足すと180度になるといった法則にも、この大元となるイデアが存在するとプラトンは言います。
 また、すべてはイデアのコピーだから、この世界にあるものはどれも完璧ではない、というのもイデア論の特徴です。元ネタはこの世界とは別のところにあって、それだけが完璧なのだ、というのです。
 一見するととんでもない主張のように聞こえますが、この世界と別のところに元ネタがあるという意見は非常に興味深いですね。顕微鏡も天体望遠鏡もない時代にここまで考えたプラトンは偉大です。

 ですが、イデア論だって完璧ではありません。昔には存在しなかったもの、たとえばスマートフォンのイデアは宇宙が誕生したころからずっとあったのか?とか、昔には存在しなかった心の動き、セクハラやパワハラのイデアも、ずっと昔からあったのか?という疑問が生まれます。なぜ昔の人は誰もパワハラを主張しなかったのか。なぜ昔の人は誰もスマートフォンを作らなったのか。「この世のすべてはイデアのコピーだ」というだけでは説明しきれないものが沢山あるのです。イデアは不変で一定とされていました。しかし、不変であるなら、こんどは「変化のイデアはどうやって固定されているのか?」といった、なぞなぞみたいな疑問もそこに生まれます。

 それでも、人間や世界の理想の姿を「これだ」というひとつのものに決めて、それを目指そうという考え方には価値があるものでした。
 真面目な恋愛を英語で(Platonic Love)プラトニック・ラブといいます。これは「最も正しく、最も美しい恋愛を目指す」という、プラトン的な生き方を例えた言葉です。
 いつでも、どんな場合でも正しいといえる完璧なものがどこかにある。たとえそれが目に見えなくても、手に取れなくても、それを追及し続けるといった姿勢を持つということが大切なのです。完璧を目指すことそのものは、決して否定されるものではありません。
 事実、そうした姿勢によって恋愛の形も変化し、多くの幸せの形が実現します。恋愛だけではありません。崩れない橋や、倒れない建物も、完璧な答えを目指そうとする哲学的な姿勢の賜物です。世界はそうして発展してきました。
 
 哲学が発展する前の時代では、目に見えないものやはっきりしないものに対して、神様がそう決めたからとか、悪魔がいたずらしたのだとかいう結論を出すことが一般的でした。皮膚病にかかった人や目が見えなくなった人に対して、「この人は神様にそむくことをしたのだ。それか、この人の親がなにか悪いことをしたからに違いない」という考え方もありました。これを『呪い』ともいいます。
 そういう主張に対して、「いやそんなはずはない」とか、「本当にそうだろうか?」と考えることが哲学です。プラトンは、どこの国の誰が見ても正しいと思える答えは何だろう?と考える生き方を後世に残しました。
 哲学はやがて錬金術と科学というふたつの分野に発展します。その途中で、人類は病気や障害の本当の原因を見つけ出し、その解決法を生み出したりもしたのです。
 完璧なものや理想の形を目指し続けるプラトンの生き方は多くのフォロワーを産み、そして世界中の人が悪魔の呪いから解放され、今に至ります。
 プラトンのイデア論は、まさに人類の歴史を変えるビッグ・アイデアだったのです。

この記事が参加している募集

英語がすき