time is NOT money
時間がない、と言う人がいる。その人はもうすぐ死にそうだからそう言ってるのかというと、そうではない。おそらく時間が「足りない」と言っているのだ。
また「時間を短縮する」とか「時間を節約する」という人もいる。それは時間をお金に例えるような感覚だと思う。
瞑想に時間を「費やす」
昨日また神社に行って、今度は池の前のベンチで30分以上も瞑想していた。もちろん30分通しでやったわけではない。時々目を開けて池の景色を眺めた。その神社は、家から駅3つ分くらい遠い場所にある。そこまで歩いて行って歩いて帰ったから、トータルで2時間くらいはかかっていたと思う。もっとかな?
それで、その日の午前中はその瞑想だけで時間を使ってしまった。本当は色々な用事があったので、午後から取り組んだ。そしたら、いつもと同じくらいか、もっと進んだのだ。不思議な話である。
そのことを友達に言ったら、「効率よく作業できたんじゃないですか?」との答えが返ってきた。その通りだった。
時間が「余った」ら
とても急いで作業する人がいて、短時間のうちに仕事や他の用事を片付けたとする。その後、その人は何をするのだろう?時間をお金と同じように扱っていいのなら、その人は時間を「余らせた」ことになる。その余った時間でなにをするのか。お金なら、別のものと換えることができる。しかし時間は…?
時間を何と交換すれば得するのだろう。時間を何に使ったら損したことになるのだろう。時間をお金のように捉えることは、一見するととてもしっくりくるように思う。
でも時間について深く深く考えてみると、それはお金のように取り扱うことができないような気がしてならない。しかも、たいていその余った時間に体験する出来事が「青春」なんて呼ばれる。本当にそうだろうか?何かがズレているような気がする。
かんじょう
時計は一定のペースで時間を刻む。しかし人間はいつもゆらゆらとしたペースで生きている。脳にしろ心にしろ、お金みたいに勘定するなんて不可能だと私は思う。
5分だけの体験がその後の人生にとってずっと価値ある財産となるかもしれない。反対に、何年もかけてやったことが無駄になって、激しく後悔するかもしれない。
しかもその「価値」だって、お金のように一定ではない。「自分にとって」なんだから、やっぱり共通の信用アイテムであるお金と、人によって味わい方の異なる時間は全くの別物だ。